いろいろあったりするんですヨ。
で、今年最後の更新となるかもしれないんですが、その割にな〜んも調べずに書いてる
わけで、ま、いいかげんという事でしょう。(意味不明、疲れてるのよ(笑))
でご紹介するのが(ご紹介だけね(笑)疲れてるのよ)(←なら、書くなよって)
徳島市一宮町東丁に鎮座いたします「國中神社」
場所はここ
より大きな地図で 国中神社 を表示
名方郡十二社の中でも多分一番知られてないんじゃないでしょうか。
ち・な・み・に名方郡十二社といふのは。
御七社と呼ばれる
徳島市上八万町 宅宮神社
徳島市一宮町 國中神社
徳島市一宮町 一宮神社
徳島市国府町西矢野 天石門別八倉比売神社
名西郡石井町白鳥 白鳥神社(白鳥宮)
徳島市国府町府中 大御和神社
徳島市国府町井戸 八幡神社
あと市中五社として
徳島市南佐古 諏訪神社
徳島市眉山町大滝山 春日神社
徳島市福島 四所神社
徳島市伊賀町 八幡神社
徳島市勢見町 金刀比羅神社
足して十二社。
で「國中神社」はこんなところです。
暗いって?だってこの時期の夕方5時前なんだもの。
暗いと言うか、寒いし、怖いのよ。(←そんな時間に行くなよって)
ところで、この「國中神社」地図にある通り「國中寺」の真裏というかほとんど境内に
引っ付いてあるのです。
どうも「ぼけ封じ」で有名なようで、ワタクシゃ封じられて帰れないかと思いましたとさ。
で、御本尊が「波切不動尊」で弘法大師空海が唐に渡る時、嵐の中、先達となったのが
「波切不動尊」だそうです。この「國中寺」の「波切不動尊」の由緒は知りませんよ(笑)はい、余談でした。
Wikipediaによれば
平安時代より以前に創立。名方郡十二社のひとつ。那賀郡・美馬郡等に分社があり
当社はその根本社である。境内にはヒノキの一木造といわれる男神座像・如来形立像が
ある。また旧四カ村の産土神として栄えた。
とあります。
徳島県神社誌を見ると、これがなんと目次にはあるのに、本文には記載が無いという
離れ業をやっております。
ウソだと思ったら、図書館に行って見て下さい。
で、これが由緒書きなんですが、かすれてて「読めない」。
読めそ〜なとこだけ読んでみれば
◯◯◯◯神は阿波国造の祖神で
また四ヶ村の産土神である当社には
◯◯◯十二神が祀られておる
平安時代から鎌倉時代に作られたもので
千年の長い年月あらゆる人々を守り
続けておられる中にも主神像は松の
一木彫衣冠姿(?)の坐像でお顔お姿とも
美々しく神々しく県内では殆ど
他社に(?)例のない古い貴重なものである
ほかに一体の佛像があるこれも神の
お裏として祀られた珍しい遺品(?)で
主神像とともに徳島県の重要文化財に
指定されている
間違ってたらごめんなさい。だって読めないんだもん。
あ、書き忘れてたけど、Wikipediaには主祭神は
唯一真神
阿波国造祖神
他十二柱
とありました。
「唯一真神」ってよく分んないし。(誰か教えてくれ〜)
阿波国造祖神って単純に考えたら「天太玉命」とかなんでしょうけど、ねえ。
こんな書き方されたら、いろいろ考えちゃうじゃないですか。
ナカナカにそそられる神社ではございませんか?
あとねぇ、鳥居のすぐ脇に「神泉」がございました。
泉は枯れてましたけど。
はい、そうです。
これ以上何の考察もしないまま、年を越すのです。
中途半端で終わってしまうのはいつもの事とは言え。
ああ、こんなことで大年神様をお迎えすることができるのでしょうか。
宅宮神社で懺悔しなくてはならないのでしょうか。
それでは皆様良きお年を。(オチが無い)