2014年7月19日土曜日

予告編「伏見稲荷の元社は?」

多分、誰からも忘れ去られてると思うので、静かに更新します。
体調は最悪、ロクな事が起こらないし、この記事も書ききれるかどうか分りませんので、敢えて「予告編」として概略だけ記しておきます。
ちょっと情勢が回復したら、改めてきちんと書きたいのです。


伏見稲荷大社
伏見稲荷大社(ふしみいなりたいしゃ)は京都市伏見区にある神社。旧称は稲荷神社。式内社(名神大社)、二十二社(上七社)の一社。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁に属さない単立神社。稲荷山の麓に本殿があり、稲荷山全体を神域とする。

和銅年間(708 - 715年)(一説に和銅4年(711年)2月7日)に、伊侶巨秦公(いろこのはたのきみ)が勅命を受けて伊奈利山(稲荷山)の三つの峯にそれぞれの神を祀ったことに始まる。秦氏にゆかり深い神社である。和銅以降秦氏が禰宜・祝として奉仕したが、吉田兼倶の『延喜式神名帳頭註』所引の『山城国風土記』逸文には秦氏が稲荷神を祀ることになった経緯が以下のように記されている。
秦中家忌寸(はたのなかつへのいみき)達の先祖である伊侶巨秦公は稲を多く持ち富裕であったが、稲を舂いて作った餅を的にすると、その餅が白鳥となって稲荷山に飛翔して子を産み社となった。伊侶巨秦公の子孫は先祖の過ちを認め、その社の木を抜いて家に植え寿命長久を祈った。
『延喜式神名帳』には「山城国紀伊郡 稲荷神社三座 並名神大 月次・新甞」と記載され、名神大社に列し月次・新甞の幣帛を受けた。

主祭神
宇迦之御魂大神 (うかのみたまのおおかみ)

以上Wikipediaより引用

「延喜式神名帳頭註」所引部分がこれ。


また『延喜式神名帳』の記載部分はこれ。

さてと、主祭神は宇迦之御魂大神 (うかのみたまのおおかみ)となっておりますが延喜式では「三座」との記載です。
後の二座は?と言いますと。

上の画像は伏見稲荷大社の公式HPの物ですが、なんか変ですよね。
で、もっときちんと書かれた資料が無いかと探しておりますれば
「神社啓蒙」(白井宗因 寛文7年(1667年))にありました。

下社 大山祇女 非開耶姫 延喜式頭注
中社 倉稲魂 同名異神有三神 而司職各異也勿混
上社 土祖神 延喜式頭注

ということですね。
まず「中社 倉稲魂」でありますが
これもWikiより引用すれば

ウカノミタマは、日本神話に登場する神。『古事記』では宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)、『日本書紀』では倉稲魂命(うかのみたまのみこと)と表記する。名前の「ウカ」は穀物・食物の意味で、穀物の神である。両書とも性別が明確にわかるような記述はないが、古くから女神とされてきた。
伏見稲荷大社の主祭神であり、稲荷神(お稲荷さん)として広く信仰されている。伊勢神宮ではそれより早くから、御倉神(みくらのかみ)として祀られた。

とあります。
注意していただきたいのは
伊勢神宮ではそれより早くから、御倉神(みくらのかみ)として祀られた。」
の部分です。
つまり伏見稲荷大社に祀られている「稲荷神(倉稲魂)」は伏見の土産神ではなく、伊勢より分霊された神であるのではないでしょうか。
では伊勢神宮の神道五部書「御鎮座伝記」の調御倉神の部分を見てみますと。



調御倉神
「亦號大宜都比売神(また大宜都比売神と号す)」
と記載されています。
つまり伏見稲荷大社の主祭神は阿波の神である「大宜都比売神」なのです。
あとの上社、下社についての詳しい説明は本編(ホントに書けるのか?)まで待っていただくとしたいのですが、結論だけ書いておきますと

下社大山祇女非開耶姫延喜式頭注 
阿波國神宅村に祀られている「葦稲葉神」

上社土祖神延喜式頭注ヲ脱スカ
阿波國神領并一宮村に祀られている「埴尓女屋神」
であります。

つまり
「稲荷大明神ノ三座ハ阿波國魂及二子ノ神ニシテ阿波國根元ノ神ナリ大福神也」

なのであります。

以下本編では(ホントのホントに書けるのか?)
阿波から伊勢に移った話、秦氏が狐を祀っている件に付いて、空海が狐を四国から追い出した(様に見える)話について脈絡も無く(笑)書いてしまおうと思っておるのですが、なにしろ体調と時間と邪魔との戦い(笑)ですので、「それでも待ってるから書け」とおっしゃる奇特な方は、申し訳ございませんが気長にお待ちくださいませ。

(ホントのホントのホントに書けるのか?自問自答)