「新聞見た?いつもなんたら言ってる神山のナンタラ神社で、古事記の話があるって載ってるよ〜」
「それはね神山の『上一宮大粟神社』で『阿波古事記研究会』の『阿波と古事記』の話があると書いてあるのだよ、ハニー」
「ふーん、で行かないの?」
「オゥ、だってハニー今日は君のステキなガーデンの手入れをする日なんだろ?ラブリードッグの『シルベスター』の散歩もいかなくちゃね、さあハニー君のためにオーツブレッドのトーストと自家製ストロベリージャムを用意したよ、ステキなブレックファーストにしようじゃないか。」
「うちにいると『ウ・ザ・イ』と言っておるのだよ、そこのオヤジ」
「HaHaHa、愉快なジョークじゃないかハニー、ほらカプチーノがすっかり冷めちゃったよ」
「はよいけ!!!」
という訳で、神山の「上一宮大粟神社」まで行って参りました。
ごめんなさい、M村氏のお話については今さら書く事もございません、いえいえ他意はございません。PowerPointの資料も素晴らしくまとまっており、ひじょーに入門編として分りやすい構成でありました。なかなか、あそこまで分りやすい説明はできません。
ちょっと基礎知識があればさらに面白いでしょう。
ただ一般の人には通説とのギャップがありすぎて受け入れてくれない人がいたのも面白かったです。
で、個人的にインパクトが大きかったのが宮司さんのお話。
というか、ワタクシあちらの世界から帰って来れないのではないかとビビってしまう程でした。
風の音、鳥の声、水の音、それらを祝詞に織り込み、世界と一つになろうとする意図を持った祝詞だとの事です。
なので毎回毎回音が違う、声が違う、発声が違う、宮司を持ってして「未だできない」と宣う祝詞。一回聞いたら祝詞集見ながら「読んでる」祝詞はもう聞けない。
いかん、聞くんじゃなかった。
そして、祝詞が終わった後、少しだけお話しさせていただきました。
「神山って山の上の方から開けて来たって聞きますが」
「ああ、高根の上に古い集落があってそこから」
おーい!!!すっげえ事しれっと言ってるじゃない。
「『お馬石』ってありますよね『大宜都比売』が伊勢から乗って来たって言う」
「(三重の)伊勢なんてことあるはずないじゃない。時代が全然違うのに」
おーい、「神山の伝説」とかにも「伊勢」からってあるのに簡単に否定しないでよ(笑)
「『腰の宮神社』ってありますよね」
「うん、『大宜都比売』がここに来たとき腰掛けて休んだところ。八柱の随神もいっしょに来たよ」
おーい、おーい、ううう、あそこで休まれたんですね大宜都比売が(感涙)。
「では、大宜都比売ってどっから来たんでしょうね」
「あの上に登ると阿南とか橘の方まで良く見えてね、尾根伝いに行くと早いよ」
うおーい、どーゆー意味で言ってるんですか。胸がドキドキするじゃないですか。
まあ、高いところが拓けてたっていうのは「焼き畑」をやってたからとも言ってましたが
それはそれで「水稲」の一族とは別に「焼き畑」の一族が山頂に住んでたって事ですので
それも弥生期に。これも別の意味でドキドキしてきますが。
最後にワタクシが椅子から転がり落ちそうになったのが、この神社の口伝。
「大宜都比売」は国の危急の時に「黄金の狐」を呼び危機を救う。
それと、知ってますか?弘法大師空海の予言。
「鉄の橋渡りて本土と阿波連なる時、本土を化かした狐たち今この時と逃げ戻る」
これが頭をよぎりました。
空海は狐を追い払ったんじゃない、四国が危機に陥った時の為に「狐」を四国の外にあえて送り出したんです。だから四国には狸ばっかり残ってるんですね。
もちろん比喩ですよ。
知ってる人は知ってるでしょう大宜都比売は豊宇気毘売神であり、稲荷神(倉稲魂尊)(うがのみたま)であることを。
だから大宜都比売が狐を・・・
さ、明日もお仕事っと。寝よ寝よ。