2010年10月28日木曜日

徳島市「四所神社」秋祭

ちょっと今月は記事を書きすぎてるような気もしますが........

急に寒くなってまいりました。風邪など引かないよう暖かくしてくださいね。
台風も接近してるようですので、ご注意を。

で、雨でもやってました(ご苦労様です)徳島市福島2丁目「四所神社」の秋祭です。
場所はここです。

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「四所神社」
主祭神 武甕槌命(たけみかづちのみこと)天児屋根命(あめのこやねのみこと)
斎主(いわいぬし)神 比売(ひめ)神
由緒
旧阿波藩主崇敬社にして、もと大亀島に鎮座していたが、大同年間(九世紀はじめ)に
当所に遷座、明治三年郷社に列格。
「寛保改神社帳」に「福島四所大明神 神主福島榊本頼母」とある。
又「阿波名勝案内」に「四所明神福島町にあり、元津田沖合一里の海中にあり、文禄
中沈没したるお甕(かめ)に在りしを、地変に先立ち船に載せて此に至り祀ると称す。
文禄三年か、しかし大地震の記録なし。いわゆる伝説か、口碑の伝うる所は、島中
神社あり、狛犬の面赤らめばこの島滅亡なりとの予言事実となりて現れ、正直なる
島守の家族は、予言を信じて危難を逃れしも、村民の多くは、之を信ぜずして溺死
したという」とある。
「福島の明神さん」として親しまれ、祭礼は大そうにぎわう。
徳島県神社誌より

お昼頃通りかかったら、雨の中「檀尻(だんじり)」が出てましたので写真を。
晴れてたら、お子たちが引っ張るんですけどね。

で、この神社の「船だんじり」は徳島市の市民遺産にも選ばれてますので
このチャンスにと思ってましたが、お昼は出てませんでした。
で、帰りに寄ってみたら出てたんですが、時間が7時過ぎで
こんな写真しか撮れませんでした(涙)



船だんじりの上の方に伝説のレリーフがあるのが見えますか?
津田から遷座した事は別にしても、ここは住吉島ですし、昔はもっと海岸線が近かった
事は想像に難くありません。船を神輿や檀尻とするのは当然でしょう。
ちなみに鳴門の阿波井神社の秋祭りは10月16日だったのですが、阿波井神社も
船だんじりがあります。
「鬼骨寺」へ行ったとき、寄り道してみて見かけたんですが、駐車できずに写真も
撮れませんでした(残念)ここのよりちょっと小振りでした。

あんまりショボい写真ばっかりなんで、以前撮った写真を出しときます。
この神社、元の社地が道路で分断されてるんです。
それで、道路の向かい側にも
こうして露店がでるんです。
社殿はこのように新しくて立派です。

社地内の「醫王神社」と「若宮神社」です。

そして、道路の向かい側の(旧)社地内には
この近所に住んでいた、戦前のSF作家「海野十三(うんのじゅうざ)」の碑があります。
見ての通り、碑文は江戸川乱歩が書いています。


2010年10月26日火曜日

徳島市 オッパショ石

秋の夜長のおなぐさみに阿波の伝説などご紹介差し上げようと云う御趣向でございます。
(訳の分かんない出だしですねぇ)
この間、勢見山近辺をウロウロしてて撮った写真がありましたので、物語と一緒ご紹介しようって事です。
阿波伝説物語(笠井新也著)よりです。


オッパショ石というのは昔から名のある力士の墓だそうでございます。
何故この墓をオッパショの石というかというとこの墓をここに建てた当時は
別にかわったこともございませんでしたがその後二、三ヶ月すぎるとこの墓が
ものをいい出しました。
というのは夜おそくなって人がこの前を通りかかるとオッパショオッパショと申します。
はじめは信用する人もございませんでしたがだんだん評判が高くなりまして
もう夜おそくここを通る者がなくなりました。
ところがある非常に力の強い男がありまして自分が一度聞いてくるといって
夜おそくなるのを待ってここにまいりました。
するとまた同様にオッパショオッパショと申します。
それで、「負ってやろ」といいさまこの墓をかつぎました。
歩き出すと一歩一歩に重くなります。
それで男は己れッといいさまその石をそこへ投げつけました。
力の強い人になげられたので墓は見事二つにわれてその以後はもうオッパショを
云わないようになったとの事でございます。
この墓は今も猶われたまま存して居ります。
場所は上八万村の入口で二軒屋町を離れて数町まいりますと右側にございます。
大変大きな墓ですからすぐ目につきます。



「オッパショ」というのは方言で「おんぶして」という意味です。
で、このオッパショ石があるのがここ。



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こんな所です。
なんでか説明の札なんかが三つも立ってます。
割れた後があるのが分りますかね。
この方がよく分るでしょ。立て札にある「南無妙法蓮華経」の文字はちょっと
見にくいかな。

この立て札では「オッパショ大明神」となってます。
「阿波狸奉賛会」って、なに?とは聞かないでね。
知らないから。
ちなみにここは二軒屋町なんですけど、昔は「涙(泪)町」(なみだまち)って
言ってましたとさ。

2010年10月23日土曜日

徳島矯正展と船盡比売神社と船盡神社

何か最近日常の記事を書いても、あんまり見てくれないような気がするんですが..........
気のせいでしょうか、気のせいでしょうね。
では、まず雑記から書いてみますが、大丈夫なんだろな。

徳島刑務所の矯正展が開催されてましたので行ってきました。
場所はここです。

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いわゆる受刑者の更正支援の為の行事で施設見学とか作業製品の即売とかをやってます。
入場時から結構な人です。
マスコットの「すだちくん」にカメラを向けるとピースサインをしてくれました。
刑務官の先導で、所内施設の見学をしましたが、撮影禁止だったので写真は撮れてません。
代わりに入居房のモデルルーム(?)がありましたので
いつのまにか、こんな事をしてしまう自分が悲しい今日この頃です。

そして使いもしない、こんな物を買ってしまう自分が情けない今日この頃です。
(ちなみに「前掛け」です1,900円)

で、見る物みたし、買う物買ったしですが、このまま帰るのもなんなので(なにが)
ここまできたら、神山町もすぐそこなので数分走れば
まずは「船盡比売神社」がございます。
ここらは、すえドンさんのブログに詳しくありますので、ここではいろいろ
書きませんが(えっ、逃げてるって?なんで判るの)
ひとつだけ書けば、こんな三角に組んだ不思議な鳥居?石柱?があります。
ドルメンやストーンヘンジ、三柱の鳥居。いろいろな物に見えるでしょう。

御祭神は「船盡比売命」で、碑に書いてあるように「船盡神社」の遥拝所として
鳥居を建立したとあります。
では「船盡神社」はどこにあるかと言いますと
画像左上の「歯ノ辻神社」とあるのが「船盡神社」のことです。
鮎喰川をはさんで、ちょうど遥拝できる場所にあるのが分るでしょ。
では、「歯ノ辻神社」こと「船盡神社」に進みましょう。
「船盡比売神社」から車で5分くらいかな。
「歯ノ辻神社前」のバス停があります。ここです。
住所は名西郡神山町阿野字歯の辻一
主祭神 船尽比売尊 天手力雄尊

さっきの「船盡比売神社」の碑にありましたように
由緒として
式外の古社。「三代実録」に「貞観十四年(八七二)」十一月乙未正六位上船尽比咩神に
従五位下を加う」とみえる。
俗に「歯の辻神社」と称え歯痛を治す神として箸を納める風がある。

と、徳島県神社誌にございます。
逆光で扁額がよく見えずに申し訳ございません。
本殿はちょっと......
ちなみに「栗の実」が三粒奉ってありました。
トトロでも来たかな。
なので、虫歯や歯周病のかたは、この神社にお参りしてはいかがでしょうか。

だから、今日は矯正展がメインなの。


2010年10月16日土曜日

鳴門市 恵比寿神社と鬼骨寺

天気もいいので、鳴門方面を回ってきました。
受け狙いと思われそうな所ばっかしで、ちょっと恥ずかしいかも。
まずは、鳴門市のホームページにも載ってるパワースポット、恵比寿神社の神依岩です。
妙見山の麓、(旧)鳥居記念館を見上げる場所にあります。
場所はここ

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駐車場がないんですよね、ここ。ちょっと困ります。
もちろん御参拝はきちんとさせていただいてます。
で、上の写真の「神依岩」を。
看板の説明によれば
放射能が飛びかっているそうです.......
で、病気がちの人にご利益があり家内安全、無病息災......
と、「考古学者」の教授が申されていたそうです。
放射能ってすごいんですね。
ふつうに◯◯の御神体とつたえられる、云々って書けばいいのにって思いませんか?
で、この間を通ればご利益があるそうです。
人が通れば、こんな感じですね。

ここへ来ただけじゃ、ちょっと物足りなかったので少し走って北灘町の
「鬼骨寺」へ行ってきました。
徳島県鳴門市北灘町折野字屋敷です。
場所はここ


ここの地名「折野」は「鬼野」が転じたそうです。
ちょっと迷いながら到着。

すごいですねえ、「鬼骨寺」ですよ。
めったやたらとこんな名前のお寺ありませんよね。
門の瓦にも鬼が...
他のHPからの転載ですが


阿州東海山宝持院鬼骨記

阿波讃岐二州の堺より遠からず一区の密場有り。
いずくんぞ曰く鬼骨寺と。寺の僧相伝ふるところの本名は東海山薬師寺。
我が弘法大師の陳跡に及びしがいずくんぞ其の新刻の薬師如来の霊像存せんや。
蓋し鬼骨の号中葉(の頃)源空上人浄土専念の宗を弘め盛んにするに於いて也。
建永二年の春滴(言偏の字)される讃州路に二鬼とそれを将(ひき)いる父母
上人の船に詣りて延壽寺の術を問う。
上人無量を念ずる術を教う。
四鬼感悟し共に、棲む所の巖袖に身を投じ滅す。
上人瑞雲の起こるを看ゆ。
徒弟を遣わし遺骸を収して此処に葬す。
阿波国司小笠原氏義秋蘭若を修立の為水田若干を割き香火を賑し以て四鬼を薦する也。
此より浴呼を鬼骨寺とすと言うなり。


このあたりの昔話からも見てみると、要は

この辺りに四人(四匹?)の鬼が住んでいて長生きしたいと願っていた。
ある時、法然上人(上の鬼骨記では源空上人)の船が沖合を通りかかった時、山の上から船へ飛び乗り
長生きできるようにしてくれと頼んだ。
法然上人(源空上人)は
「お前たちがこの世でしてきた悪いことを謝るなら成仏し、仏になって極楽浄土で
永遠に生きる事ができるぞ」
と言った事を聞いた鬼たちは、今までの罪を悔いて、山から海へ飛びこんで死んでしまった。
鬼たちの後世を弔うために建てた寺が鬼骨寺だということです。

上の写真の碑にも、そんな話が刻んでありましたが、何かやりきれない話ですよね。
ちなみに「ムー」によると、このお寺には鬼のミイラが奉納されているそうです。
鬼の骨が残ってるというのは、どこかで見た憶えがあるんですが。

で、後は「釜揚げうどん一匠」でうどんを食べて帰りましたとさ。
めでたしめでたし。
どっとはらい。





2010年10月15日金曜日

満員御礼

日頃は拙い当ブログをご覧頂き、誠にありがとうございます。
今後とも御贔屓のほどお願い申し上げます。
ご寄付、差し入れ等々いつでも大歓迎ですので、首を長くしてお待ちしております。

さて、本年7月1日に上梓させていただきました
「阿波国風土記」(阿波国(続)風土記解読プロジェクトへようこそ)
ですが、ほったらかしにも関わらず多くの方のご訪問をいただいております。
サイト自体にアクセスカウンターは設けてございませんが
最近は便利な物がございまして、GoogleにはGoogleAnalyticsなるアクセス解析
サービスがございます。
これで、統計を取らせていただいておりますが、結構なご訪問をいただいております。
7月1日から昨日10月14日までで、504アクセス、284ユーザ、延べ閲覧ページ数が
5,182ページ、一日あたり平均48〜49ページという閲覧数です。
これが、当初だけでなく、最近も
10月7日には1日200ページと言う閲覧をいただきました。(14日も125ページ)
さらには、上の地図のようにまさしく北は北海道から南は沖縄までよりアクセスいただき
感謝の極みでございます。
上梓以来、現代語訳を含め追加情報など「全く」追加できてなくお恥ずかしい次第で
ございます。
まあ、恥ならばゴミ収集車何台分でも、かきまくっておりますが、それはさておき
「阿波国(続)風土記」に対する皆様方の多大なる関心が押し寄せてくるような感じ
すらいたします。
以降、どの程度、サイトの整備ができるかは、分りませんが(おいおい)ご協力なり
いやがらせのコメントなりいただければ、励みになると思いますので
「よろしくお願いいたします」
あと、のらねこ大先生。いつもブログに画面を出しててくれてありがとうございます。
美人の奥さんにもよろしく。(サービスいいでしょ)


2010年10月13日水曜日

天石門別八倉比賣神社 秋の大祭

秋期大祭なんですが、当番じゃなかったので仕事を休むわけにもいかず
参加できませんでした。
(参加してたら写真なんか撮れないんですけどね)
で、奥様にたのんで写真を撮ってきてもらったのですが........
これ以上書けませんので、画像だけ出しておきます。
「箭執神社」から降りてきた所です。
お祭りは、本殿から御神体を運び出し神輿に納める所から始まります。
神輿は、本殿から「松熊神社」へ進み、御神体を一旦祠に納めて祝詞を唱えます。
再び御神体を神輿に納め「箭執神社」へ。
同様に御神体を祠に移し、祝詞を。
御神体はもちろん見る事は叶いませんが、サッカーボール程度の大きさで
紫色(だったなかな?)の布で厳重に覆われています。
それを両手で捧げ持ち、祠や神輿に納めるんですが、その間ずっと「おおおぉぉぉ」
というような声を上げ続けます。
この後「乙女舞」が上の写真の所と東へ五百mくらい離れた場所2箇所で行われます。
上の写真の右端にちょっとだけ「乙女」が写ってるでしょ。
そして神輿は「本当屋」を含めた、各「当屋」の所を回ってから本殿に戻り
御神体を納めて祭りは終わります。
で、祭りの後です。(あとの祭りじゃないよ)
さっき(9時頃)撮ってきたんですが、ボケボケなんで小さい画像にしときます。
誰かいいカメラ買ってください。





2010年10月11日月曜日

徳島市 瑞厳寺

わーお、このブログでお寺を出したのは初めてじゃないでしょうか。
徳島市東山手町にある「瑞厳寺」です。
昨日、大滝山へ行く前にちょっとだけ寄ってたんですが、記事にしてませんでした。
場所はここ。

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以前徳島市 清玄坊神社紹介しました時

>玄坊の長男範月は家政公と和睦をし、父の
>菩提を弔う為、刻んだ石地蔵が霊験あらたか
>で、現在掃溜地蔵として瑞巌寺に安置する。

とありましたので、拝んで参りました。

ここも町中であるのに一歩はいると非常に静かな所です。
ご覧の通り「はきだめ地蔵尊」とあります。
でも、「阿波俗説に由緒ある......」って文章意味不明じゃないですか?
はっきり書きゃいいのに。
あ、とりあえず蜂須賀家由緒のお寺ですね。
で、こんなお堂がありまして、石の台に蜂須賀家の紋があるでしょ。

はっきり見えないって?
一人でしたし、前の物を全部どけて写真を撮るなんてまね、わたくしめにはできません。
これでご勘弁を。
で、お参りした後、大滝山へ向かったのでした。



2010年10月10日日曜日

徳島市 大滝山

考古資料館では古墳祭りとかやっていて、宮谷古墳の説明とかあるそうですが
最近、鬱っぽくて人が多いのが嫌なので、別の所に行ってきました。

大滝山です。忌部神社のある勢見山から北へ行った所ですが
神武天皇像がある所って言った方が分りやすいですかね。
八阪神社から登る道もありますが、今回は(旧)眉山パークウェイから入ってみました。


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真ん中辺りにある珈琲山茶屋を過ぎた所の
この看板を右に入ります。
本当はいけないかもしれないけど、ここらの道ばたに車を置いて左の道を歩き出します。
眉山病院があるので、その前には駐車はだめですよ。
こんな看板がありますが、もちろん目標なんて立てません。
こんな像もあります。写真にはいませんが、ネコちゃんが力士像の足下に寝てました。
あとはひたすら歩くだけ。舗装されてて、ほとんどフラットなので安心です。
あ、最後まで車で入っていけますが、歩いた方が面白いので、ぜひ歩きましょう。
途中ずっと新四国八十八ヶ所なんてありますが、個人的には無視です。
で、こんな橋を渡って

こんなお社には興味がわきますが。
義魂大明神だそうです。
気になる谷ですね。
ジョギングしてるおじさん、おばさん、おじいさん、おばあさんが
どんどん抜いていきます。(ほとんど全部やないかい)
いいんです、ゆっくり散策してるんですから。
で、とぼとぼ歩いていきますと。
まずは
明治天皇像がそびえておられます。
そして、
こうやって広くなった所に出ます。
ご覧のように車も置けます。
看板にも八阪神社とあります。階段で上がるとここへ出ます。
地図ではここらになります。

で、正面に見えるのが
かの神武天皇像が。
「道は阿波より始まる」によりますと、この像の鋳造を依頼したのは
乃木希典氏という事だそうです。
徳島市からは一円の寄付も集められていないとも書かれています。

なにはともあれ、わたくしめも来たのは初めてでございます。
充分に拝ませていただきましたので、皆様方も、特に徳島市内の方は
簡単にいけますので、森林浴がてら一度いかがでしょうか。
以上徳島市の観光案内でした。