阿波市阿波町新開 賀茂神社
祭神 瓊々杵尊(ににぎのみこと)
意富加牟積尊(おおかむすみのみこと)
天穂日命(あめのほひのみこと)
由緒
もと蜂須賀公の崇敬社であった。『阿波志』に「別雷祠 朽田村に在り 旧中野村に在り 貞亨元年ここに移す 越智通玄偃月刀一枝を納む 備中水田源国重造す・・・」とあるとおり、元、中野村に鎮座していたが伊沢市の住人河野六郎太夫という者の発願により貞亨元年(1684)現在の地へ移し祀ったといわれている。
徳島県神社誌
というわけで、徳島県神社誌にも記載のない「天津久米命」の神名が境内の石碑には刻まれております。
あるいは、ここなのか。
ここに祀られているのか?
そこまでは不明です。
それと久米一族については、石井町の久米勝夫氏による、全国の久米氏を調査した資料から上記の書籍が出版されております。
この書籍についての詳細は、阿波古事記研究会にお問い合わせされるのがよろしいかと思います。
原典となった「久米一族の調査研究」については石井町公民館内の図書室にあり、相当な大部となっております。
一部しかないはずなので、貸し出しおよびコピーは不可のはずです。
で、この久米氏の調査によれば、昭和55年現在、全国の久米姓は5461戸。
一般的に言われる久米氏の本拠地は大和国久米(奈良県橿原市)であるはずですが、奈良県に在する久米姓は、わずか43戸(当時)、徳島県は540戸となっておりました。
徳島県内では徳島市と石井町に集中しております。
さらに言えば、国府町の気延山付近を「気延の庄」、気延山を挟んだ北を「久米の庄」と呼んだそうです。
要は全国の久米姓の本拠地は石井近辺なのです。
ひとつ注意していただきたいのは、阿波の久米姓は
古代大和朝廷で軍事的な役割を果たしていた久米部に由来する名字。『日本書紀』の天孫降臨では、大伴氏の遠祖にあたる天忍日命(アメノオシヒノミコト)が、大来目命(天久米命)を率いて瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)を先導して天降ったとあり、大伴氏のもとで軍事的な役割を果たしていたことがわかる。
であって、1392年に明の洪武帝より琉球王国に下賜されたとされる閩人(現・福建省の中国人)の職能集団である「久米三十六姓」
とは全く別であるところです。
とすれば、阿波町に「天津久米命」それも「鴨神社」に祀られているのはなぜか?との疑問が出てきます。事代主や味鋤高彦根神(賀茂大御神)ならば納得はするのですが。
この辺りは後日の宿題とさせていただきます。
なお余談にはなりますが、このような古い由来の姓に「日下(くさか)」姓があります。
これは大阪、南堀江のお直し屋さん(リフォーム)である「木津屋」さんのサイトに詳しく載っておりますが
日下姓の由来
日下姓の起源
先の理由により、聖徳太子様の時代には存在していた名前でございます。更に、「古事記 中つ巻」の冒頭に日下の名前が登場いたしますので、神代の時代から人代の時代に入った時には、もう既に存在した名前でございます。即ち、古事記によるところ、人代の時代の始めから存在していた名前ということになります。勿論、日本書紀にも出て参ります。
であり
日下の由来は、いくつか有ると思われます。
阿波国
阿波国(あわのくに:徳島県)の蜂須賀藩家臣成立書に、日下姓が見られます。また、隣の香川県も日下姓が多く、高知県高岡郡日高村にも日下の地名がございます。現在西日本に存在する日下姓の大半は、徳島県か香川県等、四国地方を起源にしているのではないでしょうか。
各地方の日下姓
【徳島市】
徳島県としては、そこそこなのですが、徳島市に集中しており、日本一「日下姓」が多い町でございます。
【高松市】
香川県としては、そこそこなのですが、高松市に集中しており、徳島市に続いて「日下姓」が多い町でございます。
ということだそうです。
以上でございますが、いかがでしょうか。