2010年1月31日日曜日

多祁御奈刀弥神社へ行ってきました(その2)

石井町石井諏訪の多祁御奈刀弥神社へまたもや行ってきました。前回詣でた際に
建御名方命が建御雷之男神と力比べをしたときに持っていた千引の石があること
をすっかり忘れておりまして、今回それを詣でて参りました。


上の写真が「それ」ですが、「想像を絶する巨石」などとは無縁に思える
身の丈のサイズの石でありました。
もっと言えば力比べをするにちょうどいいサイズでしょうか。
で、当神社へ詣でる前に、県立図書館が休館だったので石井町公民館内の
図書室で下調べをしておりました。
「浦庄村史」には「阿府誌」よりの引用として当神社について

多祁御奈刀弥神社ハ諏訪村ニ在リ、諏訪大明神也、大己貴命ノ御子ナリ
御母ハ阿波ノ高志ノ沼河姫命.........

その後の段で阿波に生まれた云々の記述がありました。
前にも書きましたが建御名方命は阿波の名方郡の生まれです。
本居宣長の「古事記伝」にも記述があります。
母親である沼河姫命は現在の石井町高志の生まれ。
つまりは父親である大国主命も阿波にいたということなのです。
つまり阿波は........

えー、詳しくはこんなブログよりもっと詳しいサイトとか資料とかで見てください。
ところで石井町公民館で面白い資料を発見いたしました。
「高天原天孫降臨と神武天皇軍久米軍団の実地研究調査」久米勝夫著 巻1、巻2
すごいですね。かの「久米軍団」の実地調査ですよ。
なんと手書きです。
まだ全部読めていませんが、八倉比売神社などについての記述もあり
神社裏の築山から慶応3年頃まで水銀朱が染み出ていたとか、戦時中必勝祈願に皇室より
奉弊使が来ていたなど書かれています。
公民館には高原村史、高川原村史などもあり、何度か通うことになりそうです。

2010年1月26日火曜日

八倉比売神社より賜りしもの

しばらく気延山より離れてしまっていたので、ちょっと近辺の雑記ということで
このような物をお見せいたしましょう
ある意味貴重品ですぞ(おいおい)


どうです、吸盤まで付いてますぜ。(うふ)
自家用車を乗り替えたので(いや軽4です)お祓いをお願いいたしましたところこのようなお宝を賜りましたので、ご紹介さし上げます。
大日靈女命のご加護を受けて走ってる軽4なんて滅多にありませんぜ。
いや、吸盤は跡がつくのでガラスには着けてませんが。

2010年1月23日土曜日

白鳥神社へ行ってきました

はい、またしても小学生の作文のようなタイトルです。
いやいや小学生の方がもっとまともなタイトルを付けるでしょう。
それはさておき、石井町の白鳥神社でございます。住所も石井町白鳥、八倉比売神社からは車で5分ほど、近くには「八倉【姫】神社」「東王子神社」「中王子神社」などなど史跡の宝庫でございます。
日本武尊命(倭建命)をお祀りしております。


鳥居前の石碑に「日本武尊 両国一社」とあるように、香川県の白鳥神社と対になる、いや
ここから香川の白鳥神社へ分祀したので、元宮と言うべきですね。
扁額にもありますように「白鳥宮」です。いやいや「白鳥陵」です。
香川の白鳥神社は倭建命の白鳥となってゆかれた先を見送るための神社ですし、いわんや亀山市の能褒野陵なんかじゃありません。ここが「白鳥陵」です。断言いたしましょう。
反論されても困りますけど(うわ、弱気)


参道入り口の鳥居です。
写真は撮れてないですけど、ここから社殿までが感動物の美しい参道です。
短すぎると思ってしまいました。一度見てほしいです。
ただ駐車場がないのが難点です。


社殿です。何の素っ気もない社殿ではございました。
いくつか碑がありましたが戦死者の鎮魂碑とかでした。
見間違ってたらすいません。(今日は弱気だな)


社殿裏のお社群です。多いなという感じでしたね。
無論、この近辺は古墳群でございます。掘れば必ず何かが出てきます。
それにしても徳島市の南環状線はひどいですね。発掘調査もせずに道路工事をしておき後から指摘されて改めて調査をする(しようとしている)なんて。
近辺の住宅地は建築、改築に伴って地盤に関わる工事の場合発掘調査をすべきであるとなっているのに。(うちの場所もそうです、売買時の重要事項確認書に記載されてます)
まあ、愚痴はさておき倭建命を参拝するのであればここ。間違えても熱田神宮なんかじゃありませんよ。

2010年1月1日金曜日

2010年初日の出

新年でございます。
取り立てて記すべきこともありませんが
阿波史跡公園からの初日の出の写真です。
天気の具合が心配でしたが、どうにか御来光を拝めました。

本年の無事を祈願して
平成22年元旦