ここ書いたらミーハーだと思われちゃうじゃない。(なら、止めとけよって?)
でも、前回の記事がえらいことになってしまいましたので、一旦流れを変えまして(変えるなよって?いやいや、一息つきましょう)なーんの考証もなく、神社の紹介などして気分一新といきませんか。
でも、この神社で気分一新されるのか?
倭大國魂神社
祭神 大國玉命 大己貴命(倭大國玉神大國敷神社の二座ならんかの説あり)
由緒 往古より式内神社と申傅且古城主小笠原氏より社領銀拾貫目年々寄付せられたりと口碑に傅ふ。 重清村史より
場所はここ
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重清西小学校の北側。八幡神社から登って行きます。
例によって例の如く「オヤジ殺し」の石段が。
といっても、大した事はなく、45分もあれば登れます。
ウソウソ、すぐですよ(笑)
そして、ちょっと壮麗でない(笑)社殿。
もちろん社殿の造りで判断しちゃダメなんですがね。
そして、よく噂になる神紋。
いまさら言う事も無いんですが「メノラー」じゃありません。
なんでも、そんなのに結びつける人がいるんで書いときますけど(ちなみに、そんなの大好きなんですけどね(笑))
メノラーっていうのはこんなの。
「7本立燭台」の事でろうそく立てそれぞれの先7箇所と幹部分の継ぎ目3箇所をセフィロトといい、枝部分の区切りみたいなのがパスといって22個あります。
カバラの教義に従って作られたものですので、こうでなければメノラーじゃありません。
この神紋は「丸に三ツ柏」です。
セフィロトもパスもありません。
「丸に三ツ柏」がメノラーなら恵比寿様のお腹についている紋、「柏」紋なんですが、これもメノラーか?
この辺り、郡里、岩倉、重清の三町古墳の密集地域でもあり、古墳様式から見て一つのブロックを構成していた事は間違いなく、その特異性より「阿波三国説」がささやかれる場所の中心となっております。
阿波国は国造(くにのみやつこ)が置かれていた頃「粟国」と「長国」に分かれていたといわれておりますが(粟国は蒸し返さないよ、今は(笑))その粟国の上流には「美馬国」があったのではないかと言う説です。
その根拠として、古墳の造りが特異である事、例えば石室の天井が持送り式、穹隆式に築かれていること、奥壁に石棚があることが挙げられています。
大杉氏に言わせれば「忌部国」だぁ〜って叫ぶんでしょうけど。
四国内にはこの地域と類似する様式を持つ古墳は無いんですが、面白い事に、和歌山県海草郡の岩橋千塚が酷似しているということです。
多分、海部(あまべ)じゃないこの近辺の古墳が、和歌山と酷似している。
どーゆーことなんでしょうね。
あ、この「阿波三国説」支持するセンセーは少ないようですので、ご注意を(笑)
御参拝後下って(もう終わりかよ)、折角ですので八幡神社にも(ヲイヲイ)お参りしておきましょう(コラコラ)。
それにしても、こおお重清西小学校、いい場所にありますなぁ。
小学生はそんなこと絶対思わんでしょうけどね(笑)
郷社八幡神社
御祭神 誉田別命、息長足姫命(神功皇后)、姫大神
ありゃ、息長足姫命(神功皇后)が祀られておりますね、やっぱ海部か?
あら、こちらの社殿の方が立派ではありませんか(笑)
それに、ほら、立派な庚申塔、でかいんだ、これが。
郷社ですし、地元の人はこちらの方に親密感があるんでしょうかね。
地神塔もちょっとワイルドに(古いよね)。
五角形じゃなく自然石そのままに刻んだような感じですね。
由緒に奉祀神官二宮左近将監とありました。
文政九年(1826)山崎忌部神社の神主となった二宮佐渡系列の墓ですよね。
今の宮司さんも二宮さんじゃなかったでしょうか?
と、名残は尽きないところですが、時間も大分立ちました。
そろそろ帰ろうではありませんか。
あっ!八幡古墳群見るの忘れた!!
重清城跡も!
今朝、何食べたかも!
あ〜、ボクは誰、今何歳?
ややこしいことは聞かないでね(笑)