阿波古代史における在野研究者の重鎮、M氏が二月逝去されました。
謹んで心からご冥福をお祈り申し上げます。
まず、阿波國の「在野」古代史研究家というのは因果なもので、その解釈であるとか、研究の方法論については、本当に独自のメソッドを貫いているのが当たり前になっているんです。
なんで、そこからそんな結論が出てくるのか?
と、言いたくなる様な方法論があちらこちらにみられるのですが(お前のことだよって?はい、仰る通りです)、M氏についても最初は「その手」の方法かなと、思ってた時期もありました。
が、この研究資料と発表をみた方もいらっしゃると思いますが、フィールドワークを含む、この調査は、想像を絶する内容が記載されておりました。
この調査は以後の氏の研究のベースとなったものだと思います。
阿波國における古(いにしえ)には某超有名神社の神職を務めていた系譜の某家の祭祀についてが調査内容となっております。
「霊部」と書いて「もののべ」と読む。
「もの」とは「霊」のことであるという内容から始まり、物部氏の出自にまで言及した、驚愕の調査内容なのです。
M氏無き今、私はその内容を開示することも解釈することもいたしません。
それはM氏にしか許されないことであるからです。
これも、詳しくは説明できない内容であります。
ただ、某社に伝わるのと全く同じ内容の祭祀方法と、さらに根元につながる祭祀が阿波國に伝わっていることは明確に示されております。
それは、繰り返し行われていた、氏の講義の端々に現れておりましたが、何人の方が気に留めていたでしょうか。
関係者の方々は氏の講座の時に十分にお聞きになり理解されているものと思うからです。
なので、私の解釈も示しません。
氏とは方法論も解釈も違っているからです。
これは、誰が正しいとか違っているとかいう話ではないのです。
根元へのアプローチ方法が根本から違うのです。
ただ、某日、某所に集まった数人については、確かに
「同じ月を見ていた」
のです。
群盲であったかも分かりませんが、少なくとも「同じ象」を撫でていたのです。
Mさん、楽しかったですね。
多忙を言い訳にせず、もっとやっとけば良かったですね。
でもMさん、あれはやっぱり違ってると思いますよ、また説明しますから(笑)。