まとめ:大宜都比売命の裔(2)
まとめ:大宜都比売命の裔(3)
まとめ:大宜都比売命の裔(4)
まとめ:大宜都比売命の裔(5)
まとめ:大宜都比売命の裔(6)
まとめ:大宜都比売命の裔(7)
まとめ:大宜都比売命の裔(8)
まとめ:大宜都比売命の裔(9)
まとめ:大宜都比売命の裔(10)
というわけで
まとめ:大宜都比売命の裔(11)再開いたします。
前回より粟飯原家に伝わる伝承の幾つかを紹介してまいりましたが
曰く
家主ト為ルベキモノニハ必ズ身体ニ三日月形ノ痕跡アリト謂フ
曰く
子守ヲ雇シ時誤テ児ヲ跨ギタルニ忽チ體スクミ動クニナラス
曰く
宅地ノ裏ニ庵室アリ御庵(ごあん)ト称ス
等々の他、神山というか、大粟山近辺に伝わる伝承として「岩肩彦」あるいは「笑子岩(えびすいわ)」の伝承があります。
大粟氏の著す「大粟比売尊考證」には
神領村高根山に人面嶽といふ処あり
数十丈の大巖を人面のかたちにきざみたり 目鼻口眉其あさやかに上作なるる見る内に語を問ふのと思ふどおりにて春のうららこのなる日にてみると笑ふめんにみえ天上自然のわざと思へとも必神作又は上代の作なるへし 是等の作者にて岩肩彦と名を伝えし
とあり、粟飯原家住宅近辺より高根の山を撮影したのが下の写真でありますが、四角い枠で囲んだ中を見ていただければ
四角い枠の中を拡大いたします。
「春のうららこのなる日にてみると笑ふめんにみえ」るところを撮影いたしました。
いかがでしょうか?
「目鼻口眉其あさやかに上作なるる見る」「岩肩彦」がこれだというのです。
さらには、この「岩肩彦」粟飯原家のある栗生野近辺、ほんの2百メートル程度の範囲でしか見られないそうなのです(確認はしてないですけどね)。
粟飯原家当主によれば、これは粟飯原家の守護神であり、大粟家文書によれば、これは「味鉏高日子根(アヂスキタカヒコネ)命」であるというのです。
大宜都比売命こと阿波女神が自分の御夫の像を岩に彫らせたと....
阿遅鉏高日子根神は別名「迦毛大御神(かものおおみかみ)」とも呼ばれ、「古事記」では、葦原中国平定の段で現れる下照姫の夫であり、鴨氏が祭っていた大和の神であるとの理解が一般的であろうと思いますが、ここでは阿波女神の御夫であるとの記載であります。
この通説と異なる件についての説明は無論「十分に」可能なのですが、相当長くなりますので別稿とさせていただき、本稿ではこういう説が伝わっているとまでにさせていただきます。
さらには大粟家文書によれば
味鉏高日子根(アヂスキタカヒコネ)命ハ阿波女神ノ御夫ニテ粟国造粟直凡等之父神也
名東 名西 板野 阿波 勝浦 那賀 海部等七郡本来ノ人種ハ皆此神ノ氏子ナレハ何レノ人モ詣テ来リテ此神石ヲ拝スヘシ
いわゆる「長の国」に該当する(あるいは重なる)地域が挙げられており、「麻植」などの「粟の国」であった地域は書かれておりません。
これが何を意味するのか。
あるいは「阿波三國説」の傍証となるのか、そのあたりも別稿とさせていただきます。
ただ「個人的」には「大宜都比売命」は長国の出自であると考えており、賀志波比賣命との関連性を検証しております(「今出せ」と言われても困っちゃいませけどね)。
下の写真は 阿南市鎮座の式内社「賀志波比賣神社」と「小門(おど)神社)。
ヒントだけ書かせてもらうと、
下の神社の存在が確認されたから、なんですけど、考証は先が長そうなんで...
千葉県成田市
延喜式内社 麻賀多(まかた)神社
摂社 加志波比売神社(祭神:賀志波比賣命)
ちょっと話が逸れてしまいました。
次回でホントにまとめてこの稿については一旦終わらそうと思います。
でも、ワタクシのビョーキが治ったと思ったら、それは金露梅(県外の人は知らんやろ〜)並みに「あまーい!」。