岐神再び(2)
岐神再び(3)
岐神再び(4)
岐神再び(5)
岐神再び(6)
さて、と。
側高神社(そばたかじんじゃ)は、千葉県香取市大倉にある神社。香取神宮第一摂社で、旧社格は郷社。
利根川下流域には「そばたか」と社名を読む神社が多く分布するが、当社はそれらの本社とされる。
wikipedia
(由緒:パンフレットより)
側高神社は元来が香取神宮第一の摂社であるから、側高神社の由緒は香取神宮の由緒でもある。
又香取神宮の由緒は側高神社の由緒でもある。このことは香取神宮と鹿島神宮との関係についても言へる。
一口に"香取鹿島"という様に、香取神宮(祭神・経津主大神)と鹿島神宮(祭神・武甕槌神)とは左右一体の神で、
両神は神代の昔、天照大神の勅命を奉体して相共に国土平定の大任を成就せられた建国の大功神である。
従って香取、鹿島両神宮の間には密接不離なる関わりのあることは申すまでもなく、各摂末社のことについても又同様である。
そこで両武神が何故この東国の香取・鹿島の地に御鎮まりになられるのか、その理由について考えてみたい。
二柱の神は単なる武力の神ではなく、天神奉齋の重責をも兼任された祭祀の神でもあった。
経津主大神は別名を齋主神と申し上げる如く天神を側高の地に奉齋され、武甕槌大神は"高天原"と呼ばれる
聖地に天神を奉齋され、祭祀の大使命も成し遂げられたものと考えるのが至当であろう。
香取神宮の側高山、鹿島神宮高天原両聖地共に両神宮の東北東約二粁半ばかりの所に位置していることも偶然の符合ではない。
そして、更に東北東という方向は高千穂(宮崎県)や大和地方(奈良県)よりしても略同方向である。
このことは瓊々杵尊以来、御歴代の天皇が天神遙拝せられた方向、即ち地上に奉齋された高天原の方向であったことを示す。
経津主神社三十六ヶ深秘書に"遙宮側高之山也"と記されていることに依っても古代祭祀の形態は明らかである。
斯く両武神は聖地守護の大命を遂行して香取、鹿島の地に御鎮りになったものである。
下の写真は2017年に再興された徳島県吉野川市鴨島町「向麻山」麓に鎮座する「天日柱神社」旧の祠に祀られてあった御祭神を記した札でありますが「黒高大明神」と記されております。
この祠については「天日鷲命」の「御陵」の遥拝所であることは、ほぼ間違いないと思われます。
ならば、「黒高」が「黒鷹」であることについては異論は無いと考えております。
つまり「高」は「鷹」であり、「鷲」に使えていた役割の呼称であるのでしょう。
ならば「側高」は?
側高神社は元来が香取神宮第一の摂社であるから、側高神社の由緒は香取神宮の由緒でもある。又香取神宮の由緒は側高神社の由緒でもある。
と由緒にはあります。
香取が「経津主大神」であり、「由布洲主命」であるのならば、言わずとも意味は通じるでしょう。
社伝に、神武18年の創建という。古来、祭神は神秘として口にすることを許されず。俗に言わず語らずの神とのみ伝う。
ともありますので、御祭神を記するのは控えますが、「鷲の側にいた鷹」なのですよ、御祭神は。
また、茨城県には高天原と呼んでいるところが3ヶ所ありまして
2、筑波山の中腹にあって、岩石が重なり合っていて眺望の良い場所。
3 水戸市外。
この三ヶ所ですが、先の伝として考えると「高天原」は
「鷹天原」なのでしょうか?
まあ、これには自分自身にも異論があるので、ちょっと保留にしておきます。
さて、話を経津主神に戻しまして、阿波国におきまして「経津主神」を祀る神社として有名なところで
高越神社(齋主神) 徳島県吉野川市山川町木綿麻山4
建布都神社 徳島県阿波市土成町郡字建布都569
建布都神社 徳島県阿波市市場町香美字郷社本18
と数社ありまして、「建布都神社」については式内論社でもあり、由緒としては問題ないのですが、本拠地とするにはこの一社では弱いのではという意見も出てくると思います(出ないんなら、それでもいいです(笑))。
ちなみに土成町の建布都神社は「建布都・西宮神社」となっており、ちゃんと「事代主」とセットになっているのがお分りいただけますでしょうか。(下写真)
えと、本拠地とするには一社では弱いと言うならば(言わんかなwww)107社あればどうでしょうか。
前にも出した「岐神信仰論序説―徳島県下の特異性について―」からの引用図ですが、この中心部神山町に接する木屋平村「岐神祠」107祠となっておりますが、これが「岐神祠」でなかったら、どうします。
書いていいのか悪いのか、この木屋平村「岐神祠」107祠は実は「岐神祠」ではなく、「斎主(いわいぬし)命」の祠であると言うのです。
ボクも伝聞でしか確認していません。ですので、古い木屋平関係者にぜひとも確認してみてください。
過去、木屋平の「岐神祠」を悉皆調査した際に「祠の本当の御祭神を語ってはいけない」とのことで、全て「おふなとさん」としたと言う話を。
では「斎主(いわいぬし)神」とは?
経津主神(ふつぬしのかみ、正字:經津主神)は日本神話に登場する神である。『日本書紀』のみに登場し、『古事記』には登場しない。別名はイワイヌシ(イハヒヌシ)で、斎主神または伊波比主神と表記される。 wikipedia
木屋平には107の経津主神祠が存在している............?!!!
続く(次回最終回...かな)