白鳥神社(旧県社)
鎮座所 香川県東かがわ市松原69番地
祭神 日本武尊 両道入姫命 橘姫命
由緒
「日本武尊は人皇十二代、景行天皇の皇子に存らせられ、勅命に依りて九州中国を、その後東国を征定し給ひ環啓の途次、近江国の伊吹山にて癘病に触れさせ給ひ尾張国を経て伊勢国能褒野に至り病篤く、遂に薨じ給ふ。
御年三十、実に、景行天皇四十一年なり、天皇其の功を録し武部を定め群臣に命じ其の地に山稜を造り厚く葬り給ふ、群臣入棺し奉りしに、神霊白鶴に化し西方に飛び去る、棺内には只衣冠のみ空く在す、其の白鶴は大和国琴弾原に、又飛て河内国旧市の邑に至り亦更に飛て讃岐国大内郡鶴内の里に止り給ふ、依て此の所に神陵を建てさせ給ふ。
成務天皇の御宇、天皇の御兄弟神櫛王をして日本武尊の御子、武鼓王に従随せしめ給ひ讃岐の国造に封じ神陵を監せしめ給ふ。(武鼓王の神陵は綾歌郡に、神櫛王の神陵は木田郡牟礼町にあり)日本武尊の御子仲哀天皇の御宇神籬を建て封戸を寄せらる。
今の神社即ち其の御跡なり。爾後一盛一衰ありしも武家は弓矢の神と為し崇敬深かりき。寛文四年讃岐守高松藩祖松平頼重侯大に其の規模を拡め、社殿の修築をなし、領地を割き神領に寄し、幕府の朱印地に改めたり。明治五年県社に列せられ現在に及べり。」
大碓(オオウス)命と小碓(オウス)命の双生児がいました。しかし、あやまって小碓は大碓を殺してしまいます。そのことに帝は怒り、小碓を熊襲(くまそ)征伐という名目で大和から追放してしまいます。
熊襲の国ではタケルの宮殿が新しく造られ、各国造の客人で宴がたけなわです。その時、宮殿が闇となり、その一瞬にタケルが殺されます。そして混乱の中で、自分を討った小碓に、自分の名をとりヤマトタケルと強者の魂を授けました。
大和国に熊襲より帰ったヤマトタケルでしたが、父帝は蝦夷(えみし)征伐に行けと命じます。ヤマトタケル命は、伊勢の倭姫を訪ね、出発します。
相模の国造の計略で四方を火に囲まれ、倭姫にもらった火打石と剣で難を逃れます。
次に走水の嵐の中で橘弟姫は海に身を踊らせ、海を鎮めます。
大和への帰りに伊吹山の神の退治に出かけ、病に冒され、能煩野(のぼの)で息を引き取ります。しかし、ヤマトタケルは白い鳥となり、飛び去ったと伝えられています。
そして、讃岐の国松原村に舞い降りて、白鳥神社として祀られた。
白鳥神社ホームページより
さて、ここ讃岐白鳥神社の御由緒等には全く書かれておりませんが、徳島県の石井町にはやはり「白鳥神社」があり、その一の鳥居脇には、下の写真のように
「日本武尊 両國一社 白鳥宮」と刻まれております。
「阿波 白鳥神社」と「讃岐 白鳥神社」は両國で一社だと云う事に決めたのです(笑)
どちらが元宮かが分らなかったためです。
境内には代々の讃岐藩主が寄進した燈籠が所狭しと並ぶ。
阿波国風土記と常陸国風土記はこの御祭神である日本武尊(倭建命)を「倭建天皇」として記している。
ただ、記紀によれば日本武尊の魂は鵠(くぐい)となって飛び去った、とあるが、上に示したここ讃岐白鳥神社の由緒書きに寄れば「白鶴に化し西方に飛び去る」とある。
鵠(くぐい)はいわゆる白鳥。
白鳥(鵠)と白鶴、同じような鳥なの......でしょうか?
また、古事記によれば倭建命は、足柄坂(通説では神奈川・静岡県境)の神を蒜(ひる=野生の葱・韮)で打ち殺し、東国を平定して、四阿嶺に立ち、そこから東国を望んで弟橘姫を思い出し、「吾妻はや」(わが妻よ……)と三度嘆いた。そこから東国をアヅマ(東・吾妻)と呼ぶようになったと言う。また甲斐国の酒折宮で連歌の発祥とされる「新治筑波を過ぎて幾夜か寝つる」の歌を詠み、それに、「日々並べて(かがなべて) 夜には九夜 日には十日を」と下句を付けた火焚きの老人を東の国造に任じた。その後、科野(しなの=長野県)を経て、倭建命は尾張に入る。 wikipediaより引用
東国を望んで弟橘姫を思い出し、「吾妻はや」(わが妻よ……)と三度嘆いた。
とありますが、この弟橘姫、讃岐の出身なのです。
下の讃岐の史書「西讃府志」の137ページ。
「弟橘姫ハ讃岐人穂積氏忍山宿禰ノ女也.....」とあります。
そして現在は讃岐の善通寺市「大麻(おおま)神社」に祀られております。
なのに「東国を望んで弟橘姫を思い出し」って?
それはさておき、WEBで検索をかけていると、この「亦更に飛て讃岐国大内郡鶴内の里に止り給ふ、依て此の所に神陵を建てさせ給ふ」の段は、本居宣長の「古事記伝」に記録されているものなのだそうです。
そしてここから西へ進んで津田町に「鶴羽」の地名があり、さらに西に進むと鴨部の地名があります。
あるいは単純に地名の「鶴」「白鳥」から「倭建命」を祀ったなんて?
これは邪推ですね(笑)
でもね、上の様に、祝詞が「とほかみえみため」を唱える「先天の三種の大祓」。
吉田神道系列の祝詞ではありませんか。
あるいは、後年伝わったのか?
「先天の三種の大祓」がどうのと言ってる訳ではなく、「倭建命」にふさわしいのかと疑問が湧いて出るだけなのです。
あるいは「倭建命」以前の創建ではなかったかと思うだけなのです。
他の人の引用はできませんが、あるいは「鳥」を祀る「倭建命」よりも古いふるい神社ではなかったのでしょうか。
どうも通説というか、由緒にあるルートの「大和国琴弾原」に、又飛て「河内国旧市の邑」に至り亦更に飛て「讃岐国大内郡鶴内の里」というのもしっくり来ません。
いや、因縁付けてるんじゃないですよ(笑)
それにしても広大な社地を持つ神社でありまして、その規模においては、徳島の「白鳥神社」など足下にも及びません。
ただ、少なくとも、両神社の合意として「日本武尊 両國一社 白鳥宮」であることは憶えておいていただきたいものです。
また、ここから西へ数百mのところに「白鳥大神宮」という小さな神社があります。
GoogleMapでは「白鳥六神宮」となってますが「大神宮」のように見えます(笑)
ホントに小さな神社なんですが、見て下さい。
なんと地神塔が。
由緒などは不明ですが、何らかの形で阿波との関連があるのでしょう。
この辺りからも「鳥」と「山」を拝む形態を想像してしまうのです。
(うわぁ、すっげえ舌足らず。だれも分ってくれないだろなぁ)
すんません、考証も材料も足りないんで、妄想みたいな記事になってしまいました。
やっぱ、書くには早すぎたかな(涙)
しゃーないんで、こっち方面に来た時によく寄るうどん店を。
讃岐うどん、そのまんまの「讃岐屋」。
今日は「やさい天ぶっかけ」を。
これがね、おいしーの。
ちなみに、ボクが讃岐ですきなのは「長田」のかまあげ。
昔は志度に「源内」ってうどん屋さんがあって、そこは無茶苦茶美味しかったんだけど、大分前に閉店してしまいました、残念。
あ、書き忘れ、白鳥神社は駐車場はたくさんあります。
白鳥大神宮は軽が入りかねますのでご注意を。
より大きな地図で 白鳥神社 を表示
右のマークが「白鳥神社」左が「白鳥大神宮」