ご無沙汰でございます。今日も雨模様でどこにも行ってはないんですが
ちょっとは書いとこうかなとか思って書いております(意味不明)
でも、ホントはこの記事お蔵入りにしようかなと思ってたんです。理由は後で。
石井町利包(としかね)に真言宗のお寺「薬師庵」があります。
無茶苦茶分りにくい所にありますが、石井町の神宅(かんやけ)神社と白鳥神社の
間あたりです。
場所はここですが、例によって例の如く、車では行きにくい所です。
より大きな地図で 石井町利包の石風呂 を表示
さてここに何があるかと申しますと、石井町指定の文化財「石風呂跡」があるんですねぇ。
「薬師庵」自体はこんな感じです。
変なおっさんが突然バレーの練習の邪魔してごめんなさい。
阿波学会研究紀要に図面がありましたのでお借りいたします。
内部図面もありましたが「転載不可」でしたので。
で、解説はこうです。
で、これも阿波学会研究紀要からの引用ですが
薬師庵が所蔵する由来書が新旧二通ある。古い方は残片をとどめる程度で、全文の解読は
不可能である。新しい方は江戸中期ごろ、当時の庵主が古い方を転写したものと思われる。
その内容を概説すると次のとおりである。
「天平9年(737)聖武天皇は、厄除祈願のため僧行基に命じて、四国に九十九体の薬師
如来像を造らせた。行基は石井へ来て、前山の密林の中に小屋を建て、そこで薬師如来を
念じている中、「厄難を避けんと思えば、この山の温石(おんじゃく)で石風呂を築き、
17日間入浴すれば、厄難はもとより、諸病難を除くであろうとの霊示を得た。これがこの
石風呂の由来である。」
中略
ただ、石風呂の原型は天然の岩穴などの中で、焼いた温石に水を注いで蒸気を発生させた
といわれる。
従って現在のような、石を赤土で練り固めて築造した石風呂の登場は、ずっと時代が
下がり、江戸中期以後と考えたい。
無論、実際に聖武天皇の御宇の頃作られたとしても、そのままの形で残っている筈も無く
何度も構造が変えられていった事は想像に難くありませんので、旧態のまま残っていない
からといって由緒を疑う理由にならないのは当然ですよね。
それにしても聖武天皇の頃、行基上人が作られたというんですよ。
さて、ここからが書きにくい部分。
当ブログじゃあんまりおおっぴらに書いてはないんですが、要は記紀の舞台が阿波に
あったのではないかというスタンスで書いております。
「允恭天皇神社」しかり「舎心山太龍寺縁起」しかり「品陀真若王社跡」しかり
ってとこなんですが。
その伝で大師匠の「のらねこ大先生」が
「前略 久久能智神は石井の神宅神社。大山津見神は、阿讃山脈の大山。この2点を結ぶ
線上に鹿屋野比売をる鹿江比賣神社。
この4点を結ぶエリアで吉野川沿い平野部がすっぽり収まります。
久久能智は木の神ですが、ここが入り口でこの南のほうが木の国です。
古事記では「木国」「紀国」と書かれますが、のちに「紀伊の国」と書かれ、和歌山のこととされます。
これも地名のコピーですね。
方言のところにも書いたでしょう。
阿波弁では一音を伸ばして発音すると。
「木」の国は、阿波弁では「きーの国」と発音します。
後世、その音通りに漢字を当てたのが「紀伊」です。
つまり、「木」「紀」と書いて「きぃ」と発音する地方がオリジナルの「木(紀)の国」だとわかります。」
と申しております。
「紀伊の国」が石井町のあたり?
じゃあ、例えば日本書紀にでてくる斉明天皇紀のここ
「九月有間皇子性黠陽狂云々徃牟婁温湯偽療病来讃国体勢曰纔観彼地病自蠲消云云天皇聞悦思欲徃観 」
9月有間皇子は性ずるく狂ったようにふるまうことがある云々、(紀の国の)牟婁の湯に
行って偽の病の治療をしてきたように見せかけ 以下略
の部分とかは
「五年春正月己卯朔辛巳天皇至自紀温湯 」
5年春正月に天皇が紀(の国)の湯に行幸された
などの記載を受けて紀州、和歌山の白浜温泉だと言われております。
この紀の国を石井町とするなら温泉は?
石風呂のことでしょうね。
上に記した「薬師庵」は聖武天皇の頃ですので時期は合いませんが、石風呂、釜風呂が
仏教伝来とともに入ってきていたのなら、斉明天皇の頃に石風呂があっても全くおかしく
ないと思うんですが。
さらに、斉明天皇紀では「牟婁温湯」となっております。
「牟婁(むろ)」って「室(むろ)」が語源なんですが、ならば室の湯は石風呂じゃ
ないんですか?
大体白浜温泉があるのはもともと「牟婁郡」じゃありませんでしたしね。
石井町にあったであろう石風呂のほうが合うんじゃないかと思うんですが。
ただ、斉明天皇の頃に石風呂があったかどうかは想像するしかないですし、「紀温湯」
と書くとき、それは石風呂(蒸し風呂)ではなく温泉の湯の事を言うのが「今では」
一般的なので、その辺りも悩む所です。
という訳で(どういう)←もう飽きたよぉ。
ひじょ〜に書きにくい記事でございまして、写真とか資料とかは準備してたんですが
やっぱ止めようかなぁ〜と思っておりました。
が、書く事がないので何となく書いた次第でございます。
結局はいいかげんと言う事ですな、はっはっはっ。
なにを笑ってんだか分らない状態でお開きとさせていただきます。