2019年4月7日日曜日

番外:天行山、謎の石窟

またも番外で申し訳ありません。

天行山
標高 925 m
所在地 日本の旗 日本 徳島県美馬市
山系 四国山地 剣山系

天行山の位置
天行山(あまぎょうさん)は、徳島県美馬市木屋平にある山。標高は925m。

地理
名西郡神山町と旧美馬郡木屋平村を結ぶ川井峠の北方約1kmの地点にある。

川井峠から東宮山を経て、神山町の木屋平村との境界線をなしつつ「つ」の字型に奥野々山まで続く山稜から400mほど木屋平村に寄る。

頂上付近は原生林に覆われている。山頂に近い洞窟には砂岩に彫られた本尊の弘法大師座像がある。山腹の垢離取川から天行院(大師庵)まで約200mの間、3m幅の石段がまっすぐに作られている。
wikipedia


で、今回ワタクシめが誘われたのが「東宮山」から「天行山」の縦走トレッキングなのであります。😓😓😓
生きて帰れるかどうか、ひじょーに心配であるのですが(笑)


倉羅川井峠線経由で東宮山にアプローチします。

 春宮神社から

東宮山山頂を経由して尾根伝いに天行山へ向かうわけなんですが、まあここらは快調に(異論は認めず!)進んで行きましたので経過はすっ飛ばして。
「天行山」については「東宮山」と並び、古(いにしえ)より信仰の山として伝えられてきたのですが詳しいことは
古代の祭祀場、天桁山(あめのけたやま)」をご覧になっていただくのが一番わかりやすいでしょう。

つまりは
蜂須賀治世時代の諸文献では「天行山」ではなく「天桁山」「桁村」が地名として使われている所をみると、当然「天桁山(アメノケタヤマ)」が正しい地名と思われる。
「東宮山」と「天桁山」と連なるこの峯が正に絵に描いたような建物の大屋根そっくりの形をしている。木屋平の地名もこれから起こったのであろう。また木屋平は「天小屋根命」「天日鷲命」の居住地であった。神代の重要な儀式は天空を支える天の元山の中心地「天桁山」で行われてきたのである。
awa-otoko’s blog より

で、今回見つけてしまったのが
「東宮山」から見れば「天行山」頂上にほど近い場所、詳しい場所は説明いたしません。

ちなみにここが頂上ね。

そこの斜面の途中に、こんな苔むした岩が半分埋まっておりまして。

この程度の大きさの岩なんですが。

ね、切り欠きのような跡があるでしょ。

 明らかに加工した跡のような感じですよね。

内部をライトで照らしてみると。
「うーん、これは!!!」

 四角い石板のようなものと三つの自然にできたとは考えにくい小さな穴が、あるのです。
もしかしたら三つの穴は水滴などでできたものかもしれません。
ただ本体の岩の切り欠き様の跡と内部に見える石板様のものは、自然にできたものと考えにくいのです。
時代もしれず、人工のものかどうかも知れず、こうやってブログに記するのもどうかと一日悩んだのですが、これも何かの縁、記録として記しておきましょう。

あとは頂上を越して三十三観世音石仏の場所まで下り休憩。

最後は川井峠でゴール。
所要時間は3時間30分。
桜はこの日八分咲き程度でございましたとさ。

 さて、こんどこそ「倭の神座す地」最終回にかかりますぞ。(ホントか?)


2019年3月29日金曜日

番外:上賀茂神山 垂跡石

今回は番外ということで、ちょっと所用で京都に行ってまいりました。
まず到着いたしましたのが

上賀茂神社
京都府京都市北区上賀茂本山339

賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ)は、京都市北区にある神社。通称は上賀茂神社(かみがもじんじゃ)。式内社(名神大社)、山城国一宮、二十二社(上七社)の一社。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。

ユネスコの世界遺産に「古都京都の文化財」の1つとして登録されている。

京都最古の歴史を有する一社であり、かつてこの地を支配していた古代氏族である賀茂氏の氏神を祀る神社として、賀茂御祖神社(下鴨神社)とともに賀茂神社(賀茂社)と総称される。賀茂社は奈良時代には既に強大な勢力を誇り、平安遷都後は皇城の鎮護社として、京都という都市の形成に深く関わってきた。賀茂神社両社の祭事である賀茂祭(通称 葵祭)で有名である。
wikipedia

御祭神 賀茂別雷大神 (かもわけいかづちのおおかみ)






賀茂別雷命(かもわけいかづちのみこと)

『山城国風土記』逸文には、賀茂別雷命について次のような記述がある。賀茂建角身命(賀茂御祖神社の祭神)の娘の玉依姫(同じく賀茂御祖神社の祭神)が石川の瀬見の小川(鴨川)で遊んでいたところ、川上から丹塗矢が流れてきた。

それを持ち帰って寝床の近くに置いたところ玉依姫は懐妊し、男の子が生まれた。これが賀茂別雷命である。賀茂別雷命が成人し、その祝宴の席で祖父の賀茂建角身命が「汝の父と思はむ人に此の酒を飮ましめよ(お前のお父さんにもこの酒をあげなさい)」と言ったところ、賀茂別雷命は屋根を突き抜け天に昇っていったので、この子の父が神であることがわかったという。丹塗矢の正体は乙訓神社の火雷神であったという。

なお、賀茂別雷命の出生についての話と同様の話が『古事記』(大物主神と比売多多良伊須気余理比売)や『秦氏本系帳』(阿礼乎止女と大山咋神)にもあり、特に後者の話と混同されて、「賀茂別雷命の父は松尾大社の大山咋神である」とする話も流布している。
wikipedia

神代の昔、本殿の背後北北西に位置する秀峰・神山にご降臨になり、第40代天武天皇の御代・はくほう6ねん(678)には、山背国により賀茂神宮が造営され、現在までほとんど変容することのない御社殿の墓が築かれました。 以下略
上賀茂神社公式HPより

で、ここが「そこ」になるわけです。
ならば「そこ」を御参拝させていただこう思いたったわけです(笑)

で、今回は神山(こうやま)西南から登坂します。
そうなんです、神山とかいて「かみやま」ではなく「こうやま」と読むのです。
東からのルートもあるんですが、京都産業大学の所有地が含まれており、体育館からゲートを抜ける許可が必要であるため、今回は見送りました。

左下に見えるグラウンドからは多分数百メートルなんでしょうが、さてと。

それでは神山(こうやま)を見上げて、アプローチと参ります。

ちなみに立命館大学弓道場の脇を通ってアプローチです。

いきなり障害物発見。
先が思いやられます。

ところどころ、赤テープが残ってるけど古い。
それと山の勾配のきつさが分かっていただけますでしょうか。

まあ、テープ見つけると安心ですけどね。

アプローチ開始から45分、山頂到着。

円形の磐座が組まれておりました。

ここがMapにもある「垂跡石」です。

ここに賀茂別雷神が降臨したというのです。
まあちょっと考えてみてください。
一般的には全国の賀茂社の総元締めは「上賀茂神社」その御祭神が降臨したと言われるのが「ここ」なんですぞ。

では「賀茂別雷神」とは、といいますと。
「賀茂之本地」(上画像)によれば
此神天上にしては、あちすきたかひこねの神(阿遅鉏高日子根神)と申。 地にくだらせ給ては、わけいかづちのしん(別雷神)とあらはれ、 国土をまもり、風雨をしたがへ、五こく(五穀)をさかやして万民をたすけおはします。 御本地をたずぬれは、しやかむにせそん(釈迦牟尼世尊)のをうげ(応化)なり。 ぐせい(弘誓)のうみ(海)ふかう(深う)して、あまねくしゆじゅやう(衆生)をさいど(済度)し給へり。 ちはやふる(千早振る)神代のむかし日向の国にあまくだらせ(天下らせ)給て、とし(年)久しうぞすみ(住み)給ひける。 それよりやまと(大和)の国かづらきのみね(葛城の峰)にとびうつりおはします。 もとよりこの山には。かものたけずみのみこと(賀茂建角身命)と申御神すみ給ひしが、この山をゆずりて、たけずみのかみはやましろ(山城)の国にいたりて、をたぎのこほり(愛宕郡)、をかだむらにすみ給ひける。

「賀茂別雷神」は「阿遅鉏高日子根神(あじすきたかひこねのかみ)」であるそうです。
ただし、出典は江戸時代の、いわゆる本地本でありまして、絵物語でもあります。
に、しても「賀茂別雷神」は「阿遅鉏高日子根神」であるという共通の認識があったことには違いなく、阿波の神山(かみやま)を知る人にとっては、胸を打つものがあるでしょう(笑)
無論、狭心症ではありません😙😙😙



この「賀茂別雷神」を祀ってきたいわゆる「賀茂族」のうち地祇系の賀茂族は

大鴨積命(大鴨積)を始祖とし、三輪氏族に属する。大鴨積命(大鴨積)は大物主(三輪明神)の子の大田田根子の孫で、速須佐之男命の11世の孫である。

大鴨積は鴨の地に事代主を祀った神社(鴨都波神社)を建てたことから、賀茂君の姓を賜与された。なお、現在鴨の地にある高鴨神社の祭神である事代主や味鋤高彦根神(迦毛之大御神)は鴨氏が祀っていた神であると考えられている。
wikipedia

と、いろいろ繋がりかけてくるのですが、ここらは師匠の「鳥の一族」再開で全てが明らかになると思われますので、ワタクシめは、ここらで止めておきます。

山頂後参拝のあとは10回くらい滑り落ちながら降りてまいりました(笑)


靴がね、それ用じゃなかったんですよ。
ポールも持ってなかったしね。

その後は、知ってる人は知っている、京都植物園の真ん中に鎮座いたします
「半木(なからぎ)神社」へ御参拝。


御祭神は「天太玉命」

御祭神は現在「天太玉命」で由緒書きには
「賀茂族と秦族が阿波国から勧請した」との記述が見られますが、上記の賀茂族の縁起等を考えますと、明らかに「御祭神は違うでしょ」と言いたくなるのです。
なんで賀茂族・秦氏が忌部の祖神を祀るの?
詳しい説明は今回の本筋じゃないので割愛いたしますが、個人的には「阿遅鉏高日子根神」以外は考えられません。

というふうに、半日這いずり回ってきたのです。
まあ、ワタクシごとではございますが、これで四十年来の因縁の一部が解消されたように思われまして、一段落ついた気分なのです。

さて、やっと「倭の神座す地」最終回にかかります(といっても粗方書けて.....いや書けてない!!)。