10月13日(土)天石門別八倉比賣神社 秋の大祭でした。
今年は1年間地域の神社の当番と神輿を担ぐ役目が廻って来てて
ひじょ〜に忙しゅうございました。
9月22日 松熊神社掃除
9月23日 松熊神社 ご祈祷
10月7日 馬場掃除
10月11日 幟立て(提灯用の柱と御神燈の準備も)
そしたらこんな感じになります。
あとはそれぞれのお役目の頭屋さんのところに幟が立ち
(こんな感じ、今年のじゃないけど)
で10月13日、まず7時に集合して神輿の準備
16人で担ぐ神輿を8人で引っ張り出すという難行(笑)
天幕を張り、柱のサラシを巻換え、提灯を吊って掃除します。
(ここでワタクシの腰から異音が!)
その時見つけたのがこれ。
「八倉姫神宮」とあります。この神輿用の扁額、四方に同じようにありました。
wikipediaを見てみると
『日本書紀』では、伊勢神宮と石上神宮のみが「神宮」と記載されていた。
その後、平安時代に成立した『延喜式神名帳』では、石上神宮に代わり鹿島神宮と香取神宮が「神宮」と記載された。江戸時代まで「神宮」を社号とする神社は、この3社のみであった。その後、筥崎宮、宇佐八幡宮が加わった。
とありましたが、この神輿の裏側を覗くと「安政三年丙辰九月吉祥日」との墨書がありました。
御神輿なんで、どうにでも造ったんですかね?
社号とはなってなかったかもしれませんが安政三年(1856年)建立の神輿に適当な事を刻むものでしょうか?
それはさておき。
一旦家に帰り、腰に湿布やらテープやらを巻いて、とにかく最後まで動けるように準備を。ここでリタイアしたら交代要員がいないんです。
13時より神事が始まるんですが、ここらの写真はありません。
あったらおかしいでしょ。
本殿より御神体を納め、松熊神社へ向かい御神体を納め、箭執(やとり)神社で御神体を納め小休止。神社から神社まではトラックで移動しますが、御神体を納めるのに階段や急坂は当然「手担き」。
腰から異音が鳴りっぱなし(笑)。保ってよと祈りながらです。
やっと小休止、でもここで座り込んだら立てなくなるのも知ってるので、立つか柱にもたれかかって休みます。
(御神輿の天幕も大正十二年のもの)
この小休止のとき、神輿頭屋さんのご接待でお神酒とかが提供されます。
御神事だしお祭りだし神輿を担ぐから「力水」(笑)なんでしょうかね。
酒、ビールとお煮しめなどいただきますが、ここで飲み過ぎるとえらい
事になるのは経験済み(笑)。
失礼にならない程度にいただきます。
小休止の後、境外の「馬塚」お供えをしてご祈祷を。
あとは頭屋さんとか総代さんの所を数カ所廻り、帰途へ。
箭執(やとり)神社、松熊神社で御神体を戻し、本殿に帰り御神体を戻して終了。
今回は廻る所が少なかったので17時30分頃には終わりました。
あとは御神輿の天幕やら提灯やらを外して倉庫へ戻します。
そこではこんなのが。
鎧?
いつのでしょうね。
あるいは矢野一族のかな?
あるいは何かのイベントの時の衣装かな(笑)
そこまで確認する時間はありませんでした。閉じ込められそうになったんで飛び出します。
もう空は真っ暗。
腰はペキペキ(笑)
腕はだら〜ん。
でも、全員怪我も無く無事終了いたしましたとさ、めでたし、めでたし。