なんの脈絡もなくとーとつに記事の投稿などしてみますね(笑)。
いわゆる「おいのこさん」と呼ばれる行事がありますです。
毎年十月最初の亥の日に行われ、阿波においては里芋の茎(ずき)を藁束で包み、細い縄で巻いた藁ぼてを子供たちが搗いてまわります。昭和十年ごろまでは行われておりましたが、それ以降は廃れておりますです。
亥の子(いのこ)は、旧暦10月(亥の月)の上の(上旬の、すなわち、最初の)亥の日のこと、あるいは、その日に行われる年中行事である。玄猪、亥の子の祝い、亥の子祭りとも。
主に西日本で見られる。行事の内容としては、亥の子餅を作って食べ万病除去・子孫繁栄を祈る、子供たちが地区の家の前で地面を搗(つ)いて回る、などがある。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
徳島県内では2016年、貞光町で行われたYouTUBE動画が残っています。
上の動画は「わらぼて」で搗くのではなく「石づき」でおこなっています。美馬町脇町、古作の記録ではこれを「亥の子石」と呼び、祠の御神体として祀っていたそうです。
で、このときに歌われる「おいのこの歌」なんですが、全国ベースでいくつか紹介いたしますと。
【岡山県津山市西吉田地区】
亥の子 亥の子 亥の子の夜さ
祝(いお)うた人は 四方の角(すみ)に
蔵建て並べて
福の神 どし込め どし込め
上山様祝うぞ わい
上記は、家人が出てきて祝った場合の歌で、
下記は、家人が不在等で祝わなかった場合の歌。
亥の子 亥の子 亥の子の夜さ
祝わん者は 鬼生め蛇生め
角が生えた子生め
じじいとばばあ どし込め どし込め
【広島県福山市・新市町金名地区】
亥の子の宵(えー)に祝わんものは 鬼産め 蛇産め 角のはえた子産め (せんせんせんよ)
一つ 鵯は 栴檀の実を 祝え (せんせんせんよ)
二つ 鮒子は 水の底 祝え (せんせんせんよ)
三つ 蚯蚓は 土の底 祝え (せんせんせんよ)
四つ 嫁御は 姑の髪 祝え (せんせんせんよ)
五つ 医者殿は 薬箱 祝え (せんせんせんよ)
六つ 娘は 化粧箱 祝え (せんせんせんよ)
七つ 泣き子は 親の乳 祝え (せんせんせんよ)
八つ 山伏は 法螺の貝 祝え (せんせんせんよ)
九つ 紺屋は 藍瓶(やがめ) 祝え (せんせんせんよ)
十で 豆腐屋は 豆腐籠 祝え (せんせんせんよ)
亥の子の宵(えー)に祝うた者は 四方へ蔵建て 繁盛せ 繁盛せ
では、阿波国内ではいかがでしょうか。
【阿波町】
お亥の子はんの夜さ、餅くれん家は、味噌も醤油もみな腐れ
女の子はこれに続いて
お亥の子はんにい祝うてつかはれ
と言ってまわった。
【川島町】
お亥の子はんの晩に、餅くれん家は、箸で家建てて、牛ぐそで壁塗って、馬ぐそで屋根葺いて、風が吹いたらすぐこけた
また
一に俵ふんまえて
二はにっこり笑わせて
三に酒を造って
四つ世の中ええよう
五ついつものごとくして
六つ無病息災に
七つ何事ないように
八つ屋敷を買いひろめ
九つ小倉を立てならべ
十でとっくり納まった、納まった
ヘイトーヘイ ヘイトーヘイ
また、この行事については宮中においても、玄猪(げんちょ)という呼び方で行われていたことが知られております。
『国史大辞典 1』(国史大辞典編集委員会編 吉川弘文館 1979)
「亥子(いのこ)」 異称を列挙する中に「玄猪」という名前もある。「旧暦十月、上の亥日に餅を食べると万病をのぞくという。古代中国の俗信によるもので、平安時代(寛平以前)から行われた。朝廷では内蔵寮が猪の子型に作った餅を進める儀があり、一般にも行われた」とあり。
『古事類苑 1 天部 歳時部』(吉川弘文館 1969)
「天皇がツクツクの作法をする準備が行われる」との説明です。
「御ツクツク議 云々」とあります。
非常に簡単に言えば、亥子(いのこ)餅を搗き、天皇自らが餅を配るという次第です。
(簡単すぎるかwww)
三 柚子と二股大根は必ず供える
ただ、ワタクシはみたことがありませんでした。
お亥の子はんの夜さ、餅くれん家は、味噌も醤油もみな腐れ
見ての通り餅をくれない家に対して祟ると脅している歌ですね。
また、これも前述の広島県福山市・新市町金名地区においては
と凄まじいばかりの呪詛を歌っております。
これらは「大黒舞」の歌ですが
川島町の
の歌と出自が同じであることが見られるのではないかと。
大黒天(だいこくてん、梵: Mahākāla、[マハーカーラ]、音写:摩訶迦羅など)とは、ヒンドゥー教のシヴァ神の異名であり、これが仏教に取り入れられたもの。七福神の一柱。
さらには神仏習合により「大国主命(おおくにぬしのみこと)」を大黒天と呼ぶ場合もありますです。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
で、オオクニヌシとイノシシ絡みの神話で思い出すのが。
大穴牟遅神(オオナムヂ、後の大国主)の兄神たちである八十神(ヤソガミ)は因幡国の八上比売(ヤガミヒメ)に求婚するが、ヤガミヒメはオオナムヂと結婚するといったため、八十神はオオナムヂを恨み、殺すことにした。オオナムヂを伯岐国の手前の山麓につれて来て、「赤い猪がこの山にいる。我々が一斉に追い下ろすから、お前は待ち受けてそれを捕えよ」と命令した。オオナムヂが待ち構えていると、八十神は猪に似た大石を火で焼いて転がし落とし、それを捕えようとしたオオナムヂは石の火に焼かれて死んでしまった。
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
という段ですね。
という妄想です(笑)
ただ、書けないんですがこの神像が出てきた場所を考えると、あながち…
日本歳時記を繙けば
などとあり、中国の五行から来たように思うけど誰も謂れを知らないよ。誰かよく知ってる人に聞いてね。
なんてことを言ってるほど謂れがわからない行事なのです。
さらには今までワタクシの調べてきたことの内、どえらい一致があるのですが、書けば間違いなくあちこちで即時パクられるのが見えてますので、プライベート講座の時だけ限定で話そうかなと思ってます。