岐神再び(2)
岐神再び(3)
から続けます。
くどいですけど前回の
日本書紀神代下 第九段一書(二)
於是、大己貴神報曰「天神勅教、慇懃如此。敢不從命乎。吾所治顯露事者、皇孫當治。吾將退治幽事。」乃薦岐神於二神曰「是當代我而奉從也。吾將自此避去。」卽躬披瑞之八坂瓊、而長隱者矣。故經津主神、以岐神爲鄕導、周流削平。有逆命者、卽加斬戮。歸順者、仍加褒美。是時、歸順之首渠者、大物主神及事代主神。乃合八十萬神於天高市、帥以昇天、陳其誠款之至。
大己貴神(オオアナモチ)は答えました。
「天神(アマツカミ)の申し出はあまりに懇切丁寧です。
命令に従わない訳にはいかないでしょう。
私が治める現世のことは、皇孫(スメミマ)が治めるべきでしょう。
わたしは現世から退いて、幽界(カクレコト)の世界を治めましょう」
そして岐神(フナトノカミ=道の神)を二柱の神(=フツヌシとタケミカヅチ)に推薦して言いました。
「この神は、私の代わりにお仕えするでしょう。わたしはここから去ります」
すぐに瑞之八坂瓊(ミヅノヤサカニ)を依り代として、永久に身を隠してしまいました。
經津主神(フツヌシノカミ)は岐神(フナトノカミ)を道の先導役として、葦原中国の各国を廻って平定しました。
逆らうものがいれば、斬り殺し、歸順(マツロ=従う)うものには褒美を与えました。このときに従った首渠(ヒトゴノカミ=集団の首長)は大物主神(オオモノヌシノカミ)と事代主神(コトシロヌシ)です。
八十萬神(ヤオヨロズノカミ)を天高市(アマノタケチ)に集めて、それらを率いて天に昇り、正道を説きました。
經津主神
さらには「古語拾遺」においては
古語拾遺11 吾勝尊
天祖吾勝尊 納高皇産靈神之女 栲幡千千姫命 生 天津彦尊 號曰皇孫命 【天照大神高皇産靈神二神之孫也 故曰皇孫也】 既而 天照大神高皇産靈尊 祟養皇孫 欲降爲豊葦原中国主 仍 遣經津主神 【是 磐筒女神之子 今 下總国香取神是也】 武甕槌神 【是甕速日神之子 今 常陸国鹿嶋神是也】 駈除平定 於是 大己貴神及其子事代主神 並皆奉避 仍 以平国矛 授二神曰 吾以此矛 卒有治功 天孫 若用此矛治国者 必當平安 今我將隱去矣 辭訖遂隱 於是 二神 誅伏諸不順鬼神等 果以復命
天祖(アマツミオヤ)である吾勝尊(アカツノミコト)は高皇産靈神(タカミムスビノカミ)の娘の栲幡千千姫命を嫁にして、天津彦尊(アマツヒコ)を産みました。皇孫命(スメミマノミコト)と言います。
まさしく、天照大神(アマテラスオオミカミ)・高皇産霊神(タカミムスビノカミ)は皇孫を崇め奉り、養育しまして、天から地上に降して、豊葦原(トヨアシハラ)の中国(ナカツクニ)の主(キミ)としようと思いました。そこで、経津主神(フツヌシノカミ)と、武甕槌神(タケミカヅチノカミ)を派遣して、駆除し、祓い、平定し、鎮めました。これで大己貴神(オオナムチノカミ)と、その子の事代主神(コトシロヌシノカミ)は皆、(地上の支配者から)去り、譲った。それで(大国主と事代主は)国を平定した矛を二柱(=ここでは経津主神と武甕槌神)の神に授けて、
「私は、この矛で、この地を統治した。天孫よ、もし、このこの矛を用いて国を治めたならば、必ずうまくいくでしょう。わたしは冥界に隠れましょう」
と言いました。言い終えると、ついに隠れてしまいました。それで二柱の神はもろもろの従わない鬼神(アラブルカミ)たち誅伐して、従わせ、ついに天界に報告しました。
「岐神」が「経津主神(フツヌシノカミ)」を先導して豊葦原(トヨアシハラ)の中国(ナカツクニ)を平定したとのことですね。
で、「経津主神」とは
経津主神
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経津主神
香取神宮 拝殿
(千葉県香取市香取)
神祇 天津神
全名 経津主神
別名 経津主大神、布都怒志命、布都努志命、伊波比主神、斎主神、普都大神
別称 香取神、香取大神、香取大明神、香取さま
神格 剣の神、軍神
父 磐筒男神
母 磐筒女神
子 天苗加命
神社 香取神宮、春日大社 等
関連氏族 物部氏、香取氏、中臣氏、藤原氏
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経津主神(ふつぬしのかみ、正字:經津主神)は日本神話に登場する神である。『日本書紀』のみに登場し、『古事記』には登場しない。別名はイワイヌシ(イハヒヌシ)で、斎主神または伊波比主神と表記される。『出雲国風土記』や『出雲国造神賀詞』では布都怒志命(ふつぬしのみこと、布都努志命とも)として登場する。『常陸国風土記』に出てくる普都大神(ふつのおおかみ)とも同視される。
香取神宮(千葉県香取市)の祭神であることから、香取神、香取大明神、香取さま等とも呼ばれる。
『日本書紀』巻第一(神代上)の第五段(神産みの段)の第六の一書では、伊弉諾尊(イザナギ)が火の神・軻遇突智(カグツチ)を斬ったとき、十握剣の刃から滴る血が固まって天の安河のほとりにある岩群・五百箇磐石(イオツイワムラ)となり、これが経津主神の祖であるとしている。第七の一書では、軻遇突智の血が五百箇磐石を染めたために磐裂神・根裂神が生まれ、その御子の磐筒男神・磐筒女神が経津主神を生んだとしている。巻第二(神代下)の第九段の本文も経津主神を「磐裂・根裂神の子、磐筒男・磐筒女が生(あ)れませる子」としている。『古語拾遺』にも「経津主神、是れ磐筒女神の子、今下総国の香取神是れなり」とある。
上記、『日本書紀』と『古語拾遺』の引用の通りの説明ですね。
で、ここからは推測も入ってきますが、この「経津主神(フツヌシノカミ)」と関わりがあると考えるのが「由布洲主命」「ゆふつぬしのみこと」と読みます。
安房忌部の祖と言われる神でありますが阿波国においては、例えば
【延喜式神名帳】忌部神社(名神大 月次/新嘗) 阿波国 麻殖郡鎮座
【現社名】山崎忌部神社
【住所】徳島県吉野川市山川町忌部山 14
【祭神】天日鷲翔矢尊 天日鷲命 津咋見命 后神言筥女命
天太玉尊 后神比理能売命 長白羽命 由布洲主命 衣織比女命
ここに祀られております。
由布洲主命(ゆふつぬしのみこと)
安房忌部氏の祖神で、天日鷲命の孫、大麻比古神の子とされる
上図「安房国忌部家系」の「由布洲主命」の部分を見てみますと、
又の名として「阿八和氣毘古命」とあります。
「あわわきびこ」つまり「阿波 別 彦」ですね。
この神が「ゆふつぬし」「由」は
【ゆ】[漢字]
【由】 [音] ユ ・ユイ ・ユウ
① よる。
㋐ もとづく。また、よりどころ。出所。いわれ。 「《ユ》由縁・由来・経由・来由」 「《ユイ》由緒」
㋑ したがう。たよる。 「《ユウ》自由・率由」
② よし。わけ。原因。 「《ユ》因由」 「《ユウ》事由・理由」
つまり「ふつぬし」の出所ではないのでしょうか。
異論は大歓迎です。
この伝で、流れを追ってみます。
延喜式神名帳、阿波国阿波郡の「建布都神社」論社。
祭神 建布都神、経津主命、大山祇命、事代主命。
建布都神は武御雷之男神の別名であり、「旧事本紀」によれば石上神宮の神とも同神
ここが元だと仮定します。
次に「粟島」こと善入寺島の伝承です。
「粟嶋史」より「粟島(善入寺島)の伝承
すぐ南の善入寺島にこのような伝承があります。
「岐神」は神山を本拠地としており、上記
「山崎忌部神社」の祭神でもあります。
それが、ここ山川町岩戸に鎮座いたします「岩戸神社」より
写真は「岩戸神社」
舊伝曰当社上代安房国安房郡安房神社
御迁(遷)座具古社也止(と)伝
ここから「安房神社」へ遷座されたのです。
「岩戸神社」御祭神の「天石門別命」の信憑性を云々するのはここでは保留いたしますが、安房神社の御祭神は現在
本宮(上の宮)の祭神は次の7柱。
主祭神天太玉命(あめのふとだまのみこと) - 忌部氏(斎部氏)祖神。
相殿神
天比理刀咩命(あめのひりとめのみこと) - 后神。
忌部五部神
櫛明玉命(くしあかるたまのみこと) - 出雲忌部の祖。
天日鷲命(あめのひわしのみこと) - 阿波忌部の祖。
彦狭知命(ひこさしりのみこと) - 紀伊忌部の祖。
手置帆負命(たおきほおいのみこと) - 讃岐忌部の祖。
天目一箇命(あめのまひとつのみこと) - 筑紫忌部・伊勢忌部の祖。
となっております。
忌部の本拠地、中心地より「天日鷲命」が遷座され
「天日鷲命」→「大麻比古命」「長白羽鳥命」「天雷羽椎命」→「由布洲主命」
と系図には記されております。
もう一度「安房国忌部家系」の「由布洲主命(ゆふつぬしのみこと)」の部分を掲載します。
詳しい翻刻は記載しませんが、後半部分に「東の国に悪しき猪鹿がいて、百姓が困っていたので、これを狩って平定した(大意)」との記載が見えます。
百姓は喜んで「阿八和氣毘古命」から「由布洲主命」に名を改めた。
さあ、穿ち放題の記載でしょう。
でも、後で、後悔するのを覚悟で書いちゃいます。
「阿八和氣毘古命」から「由布洲主命」へと名を改めた神は、阿波国から岐神と共に安房に赴き、後、香取の地に移った。
ついでに「香取系図」も出しちゃいます。
出典は「房総叢書 九卷」より。
下図に注目。
中辺りに「忌經津主命」の記載が見えるでしょうか。
左のほうに「斎事代主」の記載が見えるでしょうか。
あるいは、「忌經津主命」の「忌」は「忌部」の意味なのか、「斎事代主」は阿波市市場町伊月字宮ノ本に鎮座する「延喜式式内社 事代主神社」の事代主のことなのか。
事代主命御歌
躬(み)は此所に心は粟の斎く島
事代主と崇めまつれよ
そして「岐神」とは。
続く