そうなんだよぉぉぉぉ〜。
忙しいのと、オッサンだから帰って来たら疲れててなかなか書けないんだよぉぉぉぉ。
すんませんねぇ、キーボードに涎たらして寝てたりするんだよぉ。(汚いなぁ)
で、雨降神社(その3)、まあ追記みたいなもんです。
(その3)となっておりますが(2)を書いたのが2年も前なので能書きを
も一度書いておきますと。
「雨降(あまたらし)神社」
延喜式式内社 延喜式神名帳、阿波國名方郡の項に記載される和多都美豊玉比賣神社
あるいは式内社 阿波國名方郡 天石門別豊玉比賣神社に比定される。
現在の「雨降(あまたらし)神社」
徳島市不動西町に鎮座する。
主祭神 豊玉姫命
創立年代不詳
「阿波志」に「雨降祠 新居村にあり、前に池あり 雨乞いすれば必ず応ず」とあり
「阿府志」には「和多都美豊玉比賣神社、南新居にあり、俗に雨降の宮という」とある。
元慶七年(八八三)従五位上を授けられている。
ご存知とは思いますが、延喜式式内社で「豊玉比賣」の名を持つ神社は全国で
この二社だけであります。式内社でなければありますけどね。
「雨降」の名は元々「天降」もしくは「天帯」であったと思われ、古事記序文にも
「亦於姓日下謂玖沙訶 於名帶字謂多羅斯」
(また姓において日下を「くさか」といい、名に於いて帯を「たらし」という)
を以て、元々は「天帯」であったのが雨乞いに験があることより「雨降」と記載
されるようになったと思われます。
で、この「雨降神社」古には広大な社地を持っており、その名残が社殿四方に残る
鳥居で知ることができます。
その東西南北の鳥居の位置、ワタクシも確認できていませんでしたが、最近になって
よくコメントやら妙なツイートをしてる(ウソウソ、ごめーん)「きよっさん」が
調べ上げてくれましたので、のこのこ後から写真を撮ってきましたのでご紹介します。
南の鳥居
東の鳥居
北の鳥居
西の鳥居
こうなります。
より大きな地図で 雨降神社 社地 を表示
大雑把に四角く囲んでみましたが、これがなんとほぼ1.5km四方の社地と想定できます。
遥拝所だって言う人もいますが、西の鳥居なんて後ろがすぐ川の、川岸ですよ。
そんな所まで廻って拝みますかね。
また、北側の社殿の裏からは拝まないでしょう。
まんま、昔のままとはいかないでしょうが、ほぼこの程度であったろうと思われます。
いかな大社であり、地元の人々の崇敬を受けているかが分っていただけますでしょうか。
西の鳥居などは平成14年に再建されています。
残念なことに、今、本殿は去年の台風で被害を受け御神体は同じ不動町の八幡神社に
移っております。再建を心待ちにしてます。
おまけ
この近辺、さすがに海人、和多都美族の女王である豊玉姫を祀るだけあって、洪水の
被害が絶えない所でもありました。
それで地蔵尊を祀るにも、このように土台を持ち上げて洪水にも耐えられるように
祀ったのです。ここは不動町のすぐ隣、国府町北井上。
見上げた時にお顔を拝することができるように地蔵尊はうつむき加減で刻まれ
「うつむき地蔵尊」として鎮座しております。
ちょっと付け足しておけば、国府町和田にある王子和多津美神社(式内社
和多都美豊玉比賣神社の論社でもある)は一説によると豊玉姫竜王宮跡地に建てられた
とのことです。
また国府町西矢野の広浜神社は豊玉姫幼少の砌(みぎり)大日孁女命(別名天照大神)
である八倉乃日孁大神(やくらのひめおおかみ)に衣を献上したエピソードより
建立されたとのことです。
于時広浜乃神参相天時節乃御衣奉留其地乎謂御衣足止
(時に広浜の神が現れて時節(ときふし)の御衣を献上した。
その地を御衣足(みぞたり、または御衣谷)という。)
「天石門別八倉比賣大神御本記」より
ここらも、もう少し詳しく書きたい所ですがねぇ。
さて、次はいつ書けるかな。
案外すぐに、つーまらない記事書いて顰蹙買ったりして(いつもだって?)。