岐神再び(2)
岐神再び(3)
岐神再び(4)
岐神再び(5)
前回の追記でございます。
入田村史に猿田彦大神の本社と書かれる「麻能等比古神社」ですが
「船戸神ニテ矢野村松熊ナルベシ」とありますように「矢野村」とは現在の国府町西矢野でありまして、そこの「松熊」といえば、ここになります。
ただし、現在の御祭神は「手力男命」と「天宇受女命」となっており「猿田彦大神」ではございません。
松熊二神の神とは櫛盤間戸(くしまど)神•豊盤間戸(とよいわまど)の神にて天石門別の神なり。
櫛盤間戸の神、豊盤間戸の神の弓矢を持ち給う御像もこれによる。
名西郡矢野村の弓の丸より二十間ほど戊亥の方に辰巳向きの社、松林のうちにあり。
今にては松熊大明神という。
杉の小山の記より
画像は 出雲宿禰俊信著 杉の小山の記
ここらを見ても天孫降臨の際、三種の神器を守った「思金神」「手力男命」「天石門別神」とその時に道案内を行なった「猿田彦大神」と混同しているようにも思えますので、そこらは注意してください(何を)。
さてと、話を鹿島・香取の方に戻しまして
茨城県鹿嶋市大字神向寺115 鹿島神宮のほど近い場所に鎮座するのが
「阿波神社」
御祭神は「猿田彦命」
「鹿島」の「阿波神社」の御祭神が「猿田彦命」。
もう説明はいいかなってモノでしょう。
あと、茨城県稲敷市阿波に鎮座するのが「大杉神社」で「あんばさま」と呼ばれます。
主祭神
倭大物主櫛甕玉命(やまとおおものぬしくしみかたまのみこと)
配祀
大己貴命、少彦名命
これも説明は要りますまい、「阿波」に鎮座する「大物主」ですね。
と、もう一度前に出した香取系図を見ていただくと
「経津主尊」の次代に「苗益命」の名が見られますが、この「苗益命」wikipediaなどで調べてみますと「天苗加命」の項目で出てきます。
天苗加命(あめのなえますのみこと)は日本の神で、香取神宮の神職首座(大宮司、大禰宜)を代々つとめる香取氏の祖神である。(天)苗益命、朝彦命、朝彦ノ命とも称し、物部小事や天太玉命あるいは天日鷲命かその子の大麻比古命(麻比古命)の別名との説も。
香取氏の系図によれば経津主神の子(兄という説もある)とされる 。 神社の祭神としては香取神宮の摂社の一つ、又見神社(または、若御児神社ともいう)に祭られている。
また、安房神社の極めて近くに香取神社(梶取神社)が大正5年までは存在していたが、その祭神は経津主神ではなく、天富命に従ってこの地に来たと言われる宇豆毘古(槁根津日子)だったという。
弘化二年(1845)『下総国旧事考』:朝彦ノ命の別名「苗加(ナヘマス)ノ命」
香取神宮の主祭神
・香取神宮:普都の大神、経津主神、斎主(イハヒヌシ)の神
・『日本書紀』の一書の二:「経津主神」または「斎主」「斎の大人」。岐神をクニの導きとして各地をめぐり歩き平定し、従わない者を斬り殺し、帰順するものには褒美をあたえ、この時に帰順したのが大物主神と事代主神とある。
・『日本書紀』『続日本後紀』『文徳実録』等の正史や『延喜式』の春日祭祝詞:「伊波比主命」
・『常陸風土記』信太郡の項:「天より降り来たれる神。名は普都大神と号す。」
・『常陸風土記』香島郡の項:「其処にいませる天の大神の社。坂戸の社。沼尾の社。三処を合せて惣べて香島の大神と称う。」
・『先代旧事本紀』:「今下総国香取に坐す大神是なり。」
・大同二年(807)斎部広成『古語拾遺』や『旧事本紀』:「経津主」
・吉田大洋『謎の出雲帝国』『竜神よ、我に来たれ!』:クナトノ大神
・経津主は天太玉命の孫又は曾孫とする説もある。(香取神宮第一の摂社とされる側高神社の祭神は、一説に忌部氏系の天日鷲命とも。)
香取神宮の本殿からほど近いところに不開殿(あけずどの)という摂社があったが、不開殿とは鹿島神宮の正殿のことをいい、毎年三月には、祭神が不開殿に神幸されたというが、斎主が御在世のころ、その住居処のかたわらに神籬を設けて、常時フツノミタマの神に奉仕しておられた
念の為、出典である「下総国旧事考」を確認しますれば
「朝彦命」は「苗加命(苗益命)」と記載されております。
ただね、「安房国忌部家系」によれば、「大麻比古命」の御子が「由布津主命」となってますので世代が逆転するのですよね。
香取系図を見ると、「経津主命」の系譜として「若経津主命」「武経津主命」「忌経津主命」などが見られ、混同があったものか、あるいはwikiにもあったように「苗益命」が(何代目かの)「天日鷲命」であったかも考慮しなければならないかもしれません。
(念の為出しときますけど「天日鷲命」は早雲家系図に
おいては六代続いたことになっております)
どちらにしても、「経津主尊」の系譜が、阿波から「岐神」としてやってきた「猿田彦神」こと「事代主命」に案内され、当地を平定したことは間違い無いでしょう。
だいぶ煮詰まってきたでしょう(笑)。
あと1回くらいでどうにか終わらせたいと目論んでおるのですが、今回の終わりにあと一つだけ。
「鹿島神宮傳記」より
前に説明した「息栖(いきす)神社」の部分。
鹽津老翁は「鹽土老翁神」ですね。
それが「岐神」とは?
続く