やっと(9)まできましたか、今回で一山越せそうですかね。
では(8)より続けます。
下図は粟飯原家に伝わる「粟飯原家家譜」であります。
第五十代、桓武天皇から始まる系図が記されており...
ご覧のように下総、千葉氏に連なる系図が連綿と記載されております。
あるいは「粟飯原家」に伝わる「千葉氏系図」も粟飯原家文書の中に見ることができ
「平氏千葉姓 粟飯原家系図」と記されております。
内容も「粟飯原家家譜」と同様、人皇五十代、桓武天皇より平氏、千葉氏への系図となっております。
さてここで簡単に一般的な千葉氏と粟飯原氏の由緒を引用しておきますと
千葉氏
千葉氏は平安京をつくった桓武天皇の血をひく「桓武平氏」の一族で、中世の房総半島を中心に栄えました。
平安時代末期、千葉氏の惣領であった「千葉介」は、下総国(千葉県北部から茨城県の一部)の在庁(国府に出仕する地方官僚)としての「介」を称した千葉庄を本拠とする地方豪族で、平家に敗れた源頼朝を同族の上総権介広常とともに、挙兵から一貫して協力したことで頼朝の信頼を得、鎌倉幕府の成立後には東北から鹿児島にいたるまで、全国各地に領地を与えられました。
千葉一族は「妙見」という神を信仰し、移り住んだ全国各地の領地に妙見神を祀りました。妙見は北極星(または北斗七星)を神格化したもので、もともとは「尊星王(そんじょうおう)」という大陸から伝えられた神様です。千葉一族の代表的な定紋である月星紋や曜星紋は妙見を表しているとされます。
粟飯原氏
千葉一族。「あいはら」「あいばら」とよむ。粟飯原氏には二流があって、ひとつは千葉氏の祖・平良文の兄である平良兼の次男・盛家と三男・良定がともに粟飯原郷を領して粟飯原を称した。もう一流は、良文の後裔平常長の四男・粟飯原常基が「粟飯原孫平」を称したともされる。のちにこの二流はひとつになった。
で、阿波粟飯原氏は前回も引用したように
細川氏の阿波入部に軍監として随従して阿波国へ入った粟飯原氏がある。 細川陸奥守顕氏が建武4(1337)年、阿波・讃岐守護職となって以来、細川一族は阿波・讃岐・土佐・伊予の四国全域の守護職となっていった(伊予守護はのち河野氏)。粟飯原氏については、貞和3(1347)年から2年間、「幕府政所執事」という、幕府最中枢の長官になっている粟飯原下総守清胤があり、この一族が下っていったものか。
阿波粟飯原氏の当主が明治期に作成した系譜では、古代氏族の粟国造であった粟凡直の子孫とする。ただし粟飯原氏に伝わる系譜及び家紋、伝わる什物などから、古代氏族末裔説はあくまで伝承であり、千葉氏流粟飯原氏流である事は間違いないだろう。この系譜についての論文でも古代氏族と粟飯原氏との接点については否定的である(『阿波国一宮社と「国造」伝承』)。
ただし、一般的な解説によっても
しかし、下総国内に「粟飯原」の地名を見ることができず、相模国高座郡粟飯原郷(相模原市)がその発祥地ともされているが、ここを発祥地とする粟飯原氏は、武蔵国の強力な武士団・武蔵七党の一派・横山党の横山孝兼の子孫と考えられ、「粟飯原」「藍原」を称している。ただ、千葉氏流の粟飯原氏とは関係はないだろう。
との見解もあり、千葉氏の氏族が多肢に渡って分派してきた経緯も含め、一部混乱していることは否めないのではないでしょうか。
ちなみに千葉氏家紋は
●月星 ●三日月に星 ●三日月 ●九曜
●陰九曜 ●丸の内に九曜 ●八曜に三日月 ●丸に三つ星
●七曜 ●五つ星 ●丸に六つ星 ●鉄砲角に七曜
●並び九曜 ●八曜に三日月
阿波の屋号山西「粟飯原家」家紋は「八曜に月星」のように「見えます」ね。
千葉氏が「妙見」信仰を持って家紋を月星紋に定めた故事に倣ったようにも見えますが、全く同じ紋は千葉氏には見られないのも奇異に映るところです。
ちなみに「女紋」はこのように桐紋となっておりました。
ならば、やはり「粟飯原家」は「千葉氏」の傍流じゃないかとの声が聞こえそうです。
ワタクシもそうじゃないかと思っておりました、これを見るまでは。
「粟飯原氏」を「元の姓である」「粟凡直(あわのおおしのあたい)」姓に復す(もどす)ための証拠を提出した書面であります。
己等一族粟飯原氏ハ本姓粟凡直姓ニ
シテ粟國造ノ裔ナリ遠ツ祖ハ粟國開
主大宜都比売神ナリ
ちょっと一休み
上記、驚愕すべき出自、
「己等一族粟飯原氏ハ本姓粟凡直姓ニシテ粟國造ノ裔ナリ遠ツ祖ハ粟國開主大宜都比売神ナリ」を明白に記したのち、国史における証左を綿々と記し
私云ク粟國造ハ大粟姫神の裔ナルヲ高皇産霊尊ノ孫ト云ヘルハ遠祖ニ係ケタル傳ナリ
千葉ヲ用ルモ更ニ平氏ニ由アル事ナシ粟飯殿ト云ウ曩租(どうそ)ハ國造本紀ニ云千波足尼ノ名ヲ以テ世々千葉を称セリ故ニ平氏族中ノ千葉氏と混同シテ竟ニ平氏ト誤リ記セシモノニテ....
要は、遠祖「千波足尼(ちはのすくね)」の名を「平氏千葉」と混同して使われたと主張しているのです。
私等は本姓「粟凡直」であるので元の姓に戻して子孫に伝えたい........
一族の名を以っての嘆願であります。
続く