岐神再び(2)
岐神再び(3)
岐神再び(4)
ちょっと前回の訂正(汗)
中辺りに「忌經津主命」の記載が見えるでしょうか。
左のほうに「斎事代主」の記載が見えるでしょうか。
あるいは、「忌經津主命」の「忌」は「忌部」の意味なのか、「斎事代主」は阿波市市場町伊月字宮ノ本に鎮座する「延喜式式内社 事代主神社」の事代主のことなのか
の部分ですが「斎事代主」じゃなくて、「斎事主」が正しいです。
あとで「事代主」とは関連があることは書かせてもらいますが、この時点では、まだ「斎事主」です(先走ってしまいました)。
ただ
経津主尊-苗益命-若経津主命-武経津主命-忌経津主命-伊豆豊益命-斎事主命-神武勝命
と続く系譜の中で、伊豆豊益命-斎事主命の部分、「斎」は「イズ」もしくは「イツ」と読み、「伊豆の事主」つまり、「斎主」でフツヌシのことだという説もあります。
訂正と追記いたしまして、お詫び申し上げます。
こんなの貼るトコ見ると、こいつ絶対反省してないな。
にゃあ
では、神山の「おふなとさん」の特徴はといえば
・足神(足痛を治す神・足を丈夫にする神)
・草履をまつる。
・わらじをまつる。
・手足の神(手足通を治す神)。
・足腰痛を治す神。
・子供の守り神。
・岩上より子供が落ちても怪我させない。
・子供が衣類に不自由せん。
・子授け。
・子供が三歳になるまで祀り、以後まつらない。
・家族の守り神。
・家族の健康を祈る。
・主人の身体を守る。
・屋敷の守り神。
・蛭が御神体だから塩はまつらない。(修正:ぐーたら)
・塩はまつらない。
・塩ぬき赤飯祭る。
・岐神が祟った結果、祀るようになった。
・講中に災難がない様に又健康祈る。
・悪病を防ぐ。
・畑の守り神。
「徳島県下における岐神信仰に関する言説」より
とありますが、「御神体が蛭」となった時に考えられるのが「蛭子」ですよね。
他に「蛭」のつく神様なんてありません。
さらに「蛭子」と言えば「事代主」、「恵比寿」様のことですよね。
確かに阿波国には「事代主」を冠する式内社「事代主神社」が存在いたします。
阿波町「事代主神社」
また「岐神」は「猿田彦神」だとも書きました。
あぁぁぁぁ、これは何か違うような気が.....
神話では、『古事記』の神産みの段において、黄泉から帰還したイザナギが禊をする際、脱ぎ捨てた褌から道俣神(ちまたのかみ)が化生したとしている。この神は、『日本書紀』や『古語拾遺』ではサルタヒコと同神としている。
などと、wikipediaでも説明されておりますので、「猿田彦神」についても簡単に説明を載せておきます。
『古事記』では猿田毘古神、猿田毘古大神、猿田毘古之男神、『日本書紀』では猿田彦命と表記される。
『古事記』および『日本書紀』の天孫降臨の段に登場する(『日本書紀』は第一の一書)。天孫降臨の際に、天照大御神に遣わされた邇邇芸命(ににぎのみこと)を道案内した国津神。
伊勢国五十鈴川のほとりに鎮座したとされ、中世には、庚申信仰や道祖神と結びついた。
猿田毘古神を祭神とする神社
全国
白鬚神社(総本宮:滋賀県高島市)
猿田彦神社(全国各地)
猿田彦神社(総本宮:三重県伊勢市)
東日本
菅布禰神社(福島県郡山市)
御園神社(東京都大田区西蒲田)
籠祖神社(東京都千代田区神田神社境内社)
男石神社(長野県上田市殿城)
鼻節神社(宮城県七ヶ浜町)
佐那武神社(石川県野々市市)
本土神社(岐阜県多治見市)
三重県
二見興玉神社(三重県伊勢市二見町)
椿大神社(総本宮:三重県鈴鹿市)
都波岐神社・奈加等神社(三重県鈴鹿市)
阿射加神社(三重県松阪市大阿坂)
阿射加神社(三重県松阪市小阿坂)
中国・四国・九州
長澤神社(岡山県井原市大江町)
塩屋神社(広島県広島市)
佐太神社(島根県松江市)
- 神社では「佐太御子大神」となっており、母は神魂命の子の枳佐加比売命、加賀の潜戸で生まれたと『出雲国風土記』にある。
大麻比古神社 (徳島県鳴門市大麻町)
荒立神社(宮崎県西臼杵郡高千穂町)
wikipediaより(一部編集)
大麻比古神社については下の由緒書きの通り
大麻比古大神、猿田彦大神となっております。
大麻比古大神については今回書くと、ややこしくなって収拾がつかなくなるので、別の機会にさせていただくとして(◯◯さんから文句ありそう(笑))。
また、佐那河内の「大宮八幡神社」にも
「天石門別豊玉比売神社」と「猿田彦神社」があったことが碑と残っております。
また「阿波国続風土記」にも「猿田彦大神社」として存在していたことが記載されております。
では、上記を踏まえて、これを見ていただきましょう。
「三輪叢書」より
ああ、やっと出てきたかという声が「ごく一部」から聞こえてまいりました(笑)。
大神氏の系譜を綴る「三輪高宮家系」です。
「都美波八重事代主命 又名猿田彦神、大物主神」
では、率川神社(いさがわじんじゃ)をご存知でしょうか。
率川神社(いさがわじんじゃ)は奈良県奈良市本子守町にある神社。大神神社の境外摂社で、正式名称を率川坐大神御子神社といい、また子守明神とも呼ばれる。『延喜式神名帳』に「率川坐大神神御子神社 三座」と記載される式内小社。
率川神社末社の住吉神社と春日神社の合間に鎮座するのが「率川(いさがわ)阿波神社」でありますが。
率川阿波神社の御祭神は「奈良市最古のえびすさん」と記されておりますが
社伝によると宝亀二年藤原是公が夢のお告げにより阿波国より勧請した...
つまり宝亀二年まで「事代主神」は奈良にいなかったので、阿波から勧請した事代主命は「猿田彦神」ということでよろしいでしょうか。
そして、上でも記載いたしましたように「猿田彦大神」は
「大麻比古神社」に祀られ、佐那河内には「猿田彦大神社」が存在しており、さらに
入田村史によれば
「猿田彦神社」の「本社」が「麻能等比古神社」として存在していたおの記載を見ることができます。
「船戸神ニテ矢野村松熊ナルベシ」
「阿波国続風土記」によれば「麻能等比古神社」の御祭神は「舟戸神」とあり、この点でも一致しております。
つまり、阿波、それも神山周辺を「岐神」の本貫地として考えることで次のような想定(個人的には、いいと思いますがね)ができるのではないでしょうか。
1. 「岐神」は地元である神山周辺では「オフナトさん」と呼ばれる(呼ばれていた)。
2. 地元を離れた、あるいは道引の神として各地を巡幸していた時には「猿田彦神」と呼ばれた。
3. 役目を終え、もしくは新たな役目のため「事代主」という職名を与えられた。
1.について言えば道祖神の呼び方について徳島県以外で「フナト」と呼ぶ地域がほほ存在しないこと。
例えば、2について海陽町においては「猿田彦神」を祀る神社が異様に多いということ。
旧海南町が平成4年に発行した「海南町総合学術調査報告書 第二編」に「海南町の神社建築」という記事がありここに面白いことが書かれてあった。猿田彦命に着目していて主祭神として祀っている。神社の数を調べたところ旧海南町は29の神社のうち10を占め、率にして0.345と際立って大きいのだ。
海部川紀行 海部川流域の猿田彦 より引用させていただきました。下図のように日本書紀には「阿閇臣事代」についての記載があり、「任那」まで出仕していることが見えます。
つまり「事代主」はこの「事代」という役職の「主」トップであるのです。
さらに「阿府誌」に曰く
阿部氏
名西上浦町浦方ト云家有当家元祖成務
天皇朝高志國造阿閇臣祖屋主思命三世孫市
命定賜國造高志此地ノ郷名也当象其今徹
リ式内神社ノ部ニ詳ナリ但シ家始リ二千年
ニ及フ阿閇ハ阿部也今ハ阿部阿倍等同姓也
と「阿閇氏」の本拠地があったことを示唆し、
上一宮大粟神社の摂社、上角の八幡神社が「阿閇宮」と呼ばれていたことは、最近の上一宮大粟神社「阿部」宮司の研究にもある通りです。
上角八幡神社
(正面の写真がどっか行ってしまった)
続くラストスパートかな(汗)
このコメントはブログの管理者によって削除されました。
返信削除