35°とか36°とかってなんだよぉ。体温じゃないんだから。
もうどこにも行く気力なんかありません。
ごく近場のネタにしときます。
と、いいつつ、これは取っといた方がいいのでは?との思いがふつふつと。
いや、自問自答なんで気にしないで下さいね。
あなたの知らない「大御和神社」
というタイトルなんですが、そんな事があるはずもなく
「皆さんあんまりしらないでしょ」ってくらいの感じです。
よくご存知の国府町の「大御和神社」じゃなく、石井町石井の「大御和神社」です。
ほらほら、地元の人以外はあんまし知らんでしょ〜(笑)
場所はここ。
より大きな地図で 石井町 大御和神社 を表示
車では置き場所に困るんで、えーと、どうしましょ。
近くにも車の置き場所無いんですよね。
えーと、えーと・・・
車じゃ行かないで下さい。
必殺技はここでは書けません(笑)
本日8月4日は写真のように「輪抜け神事」を行なっておりましたので
ご紹介さし上げます。
無論、ここから車では入って行けませんよ。
県道34号線沿いに「茅の輪」が堂々と据えられております。
ね、「大御和神社」夏越し大祓ってあるでしょ。
で、「茅の輪」を潜って細い道を歩いて入って行きますと。
そーら。
このようにひたすら「ちんまり」と鎮座ましましております。
ご覧のように神紋は、国府町「大御和神社」と同じ「鍵」の神紋。
いわゆる国府町「大御和神社」の「境外末社」であったのでしょうが直線距離でも3キロは離れてるんですよ。
あるいは国府には「国璽の印」のダミーを置いといて、ここに本物を・・・
なんてことがあれば面白すぎるんですが、そんな話は聞いた事がありません(笑)
それにしても、ちょっと不思議な所ではございます。
あ〜、暑、あつ、アツー。
暑い。暑過ぎマス… ぐーたらさん、こんにちは。
返信削除なかなかディープな場所で幟がなければわかりませんね。
どこの地域でも宅地化が進み、鎮守の森がある大きな神社しか見つけられなくなってます。
徳島はご存知の通り、歩けば神社か古墳にぶち当たるところですから、もう少し大事に慎重に土地を扱えばいいのになぁと感じます。
阿波の封印が解けて、全てが公けになった時に後悔しても遅いですからねぇw
ここも、相当な参道があったように思えますが、ご覧のように住宅地に埋没してしまって居ります。
削除ただ、地元の人のお世話が行き届いているようで、その点安心しました。
でも気になるのが、というか、もう遅いんですが「月の宮」。
あのゴルフ場の場所ってどうなんだろ。
眉山カントリーだって「八人塚古墳」が偶然みつかったから、保存してくれたけど、そうでなければ(ブルブル)
あと、八万町の七つ山。
あそこも終わってしまいました。
タイトルのつけ方がうまくなりましたね。
返信削除どっかの古代史の先生もこれには勝てんでしょう。
えらい惹かれました。
ダミー説だってないとは言い切れません。阿波の場合とにかく先入観が大敵ですから。
内容の無さをタイトルでカバーってとこですね(笑)
削除いや、ボクの事ですよ。S先生の本じゃないですよ(笑笑笑)
2冊ぐらい持ってますけどね。
ダミーとはいわずとも、分散して「国璽の印」に類する何かを保管してた可能性は充分でしょう。
もう一箇所とかあればいよいよなんですがね。
こんばんは~♪
返信削除てっきり国府の新説が登場するのかと思いました(^O^)♪
剣山でお会い出来るかと・・・密かに楽しみにしていたのですが(笑)・・・
8月18日(土)、午後2時からJRT四国放送で特集番組がありますので、ぜひチェックしてください♪
(*^_^*)♪
そうなんですよ、剣山行くつもりだったんですけど。
削除いろいろヤボ用で、つらいトコです。
漏れ承りますれば、なかなか面白かったようですね。
ひじょ〜に残念です。8月18日はぜひともチェックさせていただきます。
国府の国府宮には、板碑があります。草むらの中で、しかも小型なものだからだれも相手にしてくれません。板碑度素人の人間が言うのだから仕方がないかもしれないが。
返信削除ただ、板碑ってのは14,5世紀ほぼ確定のシロモノだから、移動されていなければ、そのころの国府宮の姿が見えてこないともかぎりません。
阿南市福井町椿地「線刻弥勒菩薩座像板碑」寿永4年(1185)
削除名西郡石井町浦庄 下浦「下浦阿弥陀三尊種子板碑」文永七年(1270)
名西郡石井町高川原字市楽「市楽五輪塔形板碑」弘安八年(1285年)