続けて書こうと思ってたんですが、無茶苦茶忙しくて
大分間が空いてしまいました。
8月18日「石井古事記研究会」より(2)の続きです。前回の(2)も焦って書いたので書き漏れが大分ありました。
脈絡が無くなるので(そんなのあったか?)あまり出しませんが
大体は当日配らせていただいたレジュメに書いてある通りですので
気にしないで下さい。
敷島神社(河邊八幡神社)については
志賀剛によると、天水沼間比古神は、湧水を湛える神。
天水塞比賣神は、雨を堰きとめる神。
ようするに、祈雨・止雨の神だという。
『式内社調査報告』では、水間別氏によって開拓された敷地附近の祖神。
当社の裏山に、西宮古墳と呼ばれる古墳がある。
七世紀初期の忌部山型古墳(横穴式石室)で、当地に忌部氏が居住していたことの証とされている。
との記述を追加しておきます。
また、一般的に天太玉命の出自は奈良県橿原市忌部町に鎮座する「天太玉命神社」
と言われておりますが、奈良県のこの近辺で忌部様式の古墳は発見されていない事を
付け加えておきます。
あとは、話す順番は違いましたけど、おまけのお話。
古事記関連の話も少しはしなくちゃ、と思い立ち
序文の此の部分
亦於姓日下謂玖沙訶。於名帶字謂多羅斯
また姓におきて日下を「くさか」と謂ひ、名におきて帯を「たらし」と謂ふ
より大坂南堀江の「木津屋」さんの調査より紹介いたしました。
この「木津屋」さん姓を「日下」といい。
当家伝承の「日下姓」は、聖徳太子様からの賜姓(しせい)でございます。今からおよそ1400年位前に、小野妹子の子である小野義持は、聖徳太子様より賞として「日下の姓」を称えるよう命じられました。
聖徳太子様に対する功績の賞として頂いた姓でございますので、その時代既に、格式の高い名であったと考えられます。
でもって、この「木津屋」さんの調査によると
日下の由来は、いくつか有ると思われます。
阿波国
阿波国(あわのくに:徳島県)の蜂須賀藩家臣成立書に、日下姓が見られます。また、隣の香川県も日下姓が多く、高知県高岡郡日高村にも日下の地名がございます。現在西日本に存在する日下姓の大半は、徳島県か香川県等、四国地方を起源にしているのではないでしょうか。
越前国
越前国(えちぜんのくに)の丹波氏族日下部氏の流れから、日下家が出ております。
宮城県白石市
日本一日下姓の多いのが宮城県で、特に白石市に集中しておりますが、この地の日下姓の起源は、調査中でございます。
東大阪市日下
古代より古い歴史のある大阪府東大阪市日下の地でございますが、この日下の地からも、日下姓が出ております。聖徳太子様賜姓の日下家(小野氏)が、この日下の地に領地を所有しておりましたので、このお家の末裔である可能性もございます。また比較的近代になってから、日下の地に住まうお家が、地名から付けた事を起源にする可能性もございます。
だそうでして。
各地方の日下姓については
【徳島市】
徳島県としては、そこそこなのですが、徳島市に集中しており、日本一「日下姓」が多い町でございます。
との調査結果であります。
太安万侶が一文を割いて記した「日下」姓が徳島市は全国一多いんだそうです。
また、ご存知の通り「久米」姓については石井町が全国で一番多い町であります。
これだけでどうという事はありませんが、ちょっと「あれっ」と思いませんか。
ごめんなさい、ちょっと少ない目ですが今日も帰って来たのが23時30分と
体力の限界に近いので、あと残りは少しですが、最終回に廻します。
ぐーたらさん、お疲れ様です。
返信削除お忙しい中ありがとうございます。
日下さん、日下君、日下先輩に日下先生。
私の周りに「日下」姓の方はたくさんいらっしゃいました。
そんなに珍しくもないのに何でわざわざと疑問に思いながら古事記を読んでいました。
全国的には珍しい「姓」なのですね。
水間氏がミヅハノメ神を阿波から持って行ったのでしょうか。
三瀦郡(現久留米市)に濃い親戚がおりますので、
勝手に「縁」を感じています(笑)
日下の由来は日下部連から来てると言われますが、じゃあその日下部はなんですかと言われても、全く分っていないのが事実です。
削除日下部氏の姓は初めは連(むらじ)であり、天武13年(684年)八色の姓制定に際し、宿禰を賜ったのではありますが、日下の意味は分っていません。
分っているのは日下部は御名代の部、つまり「天皇、皇后、皇子、皇女の名にちなんで設けた皇室の私有の部」ということのみ。天皇の私的な組織ということですね。
それが阿波の徳島市に一番多いのですよ。
ど〜ゆ〜ことか分りますよね(笑)