まず
天石門別八倉比賣大神御本記
天石門別八倉比賣大神御本記(2)
天石門別八倉比賣大神御本記(3)をご覧ください。
上の記事で御本記の大まかな所を紹介させてもらいました。
今回は、御本記に関して「杉の小山の記」の注釈を紹介します。
全部はちょっと厳しいので主要な部分を抜粋します。
白文と現代語訳と注釈のセットで書いていきます。
注釈部分は勝手に言い回しとかを変えてます。そうでないと注釈の注釈が
必要になって「いやーん、わけわかんない」って事になりそうだからです。
現代語訳の部分だけレベルが地に落ちてるなんてことは言っちゃダメ。
まず1センテンス行ってみましょう。
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故二神高天原與利此弓矢於持下利賜布示時二神天乃中空爾立志氏此矢乃止所以奉蔵止盟給天発所乃矢則止流地 号矢達之丘(今謂矢陀羅尾)
そのため二柱の神、高天原よりこの弓矢を持ち降りたまわれた。
その時、二柱の神は天の中空に立って、この矢が落ちたところに蔵(おさ)めなさいと言って矢を放ち、落ちたところを矢達の丘という。(今は矢陀羅尾という)
その弓矢を納めた所を、「矢たてのおか」と言う。
誓ひ(うけい)とは、神代巻に「誓約」とも「誓」とも書かれ誓約のことを言う。
宇氣誓能美難箇(ウケヒノミナカ)ともある。
龍田風神祭祝詞に宇氣比賜支(ウケヒタハヒキ)と云々。
万葉集五十六丁に得飼飯而雖宿(ウケヒテイネトモ)、夢爾不所見来(イメニミエコソ)などとあり、神を祈り誓うことなり。
矢達の丘は名西郡矢野村の矢の御倉より五丁ほど南、山の尾なり。
今、矢だら尾と里の人伝えたり。
二柱(ふたはしら)の神、中空より矢を投げかけるとき、その矢の立ちたる所を「矢だてのをか」と言う。
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どうでしょうか。
こんな感じで続けますが、この注釈文、さすが「出雲宿禰俊信(いずものすくねとしざね)」と言った文章でしょ。
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而後二神此地爾留坐天(松熊二前之神是也)御矢倉乃御弓於守利給㕝在年
そしてその後、二柱の神この地に留って(松熊二前の神はこれである)御矢倉と御弓を守られた。
松熊二神の神とは櫛盤間戸(くしまど)神•豊盤間戸(とよいわまど)の神にて天石門別の神なり。
櫛盤間戸の神、豊盤間戸の神の弓矢を持ち給う御像もこれによる。
名西郡矢野村の弓の丸より二十間ほど戊亥の方に辰巳向きの社、松林のうちにあり。
今にては松熊大明神という。
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于時大地主神(土宮是也)木股神(御井神是也)参逢天此河乃魚乎漁天奉饗太神禰言鰭乃狭物止謂止毛可食物也止故号其河鮎喰川
ときに、大地主神(土宮のこと)と木股神(御井神のこと)が参り、この河の魚を漁って献上した。
大神の言われるには鰭(はた)の狭物と言うべき食物であるので、その河を鮎喰川という。
大土主の神は土の宮、また里の人、野神の社とたたえ祭り、この里にては牛馬、また農事を守護し給う御神なり。
弓の丸より二丁ばかり山のすそに小社あり。
この社へ毎年六月、土用に入る初めの日、里の人家ごとに新麥の団子を重箱に入れて持ち参りて、供え祭る事古よりの例なり。
大土主神は大年神の御子なり。そのことを或る書に素戔烏尊の子なりとあるのは、子を子孫の心にみたてたからである。
大年神は須佐の男命の御子なればなり。
伊勢國度會宇郡大土御祖神あり。土をつかさどり給いて、殊に民の佃る(つくる)田畑等の土の事に功徳(いさおし)ありし神なり。
木股神は、御井神と申して、右の社より八丁ほど南に延命村と言う所の山の裾に小社あり。
木股神は、大国主大神の御子にして、御母の稲葉の八上比賣なり。
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>大土主の神は土の宮、また里の人、野神の社とたたえ祭り、この里にては牛馬、また農事を守護し給う御神なり。弓の丸より二丁ばかり山のすそに小社あり。
思い当たる場所があるので近々見てきます。
>木股神は、御井神と申して、右の社より八丁ほど南に延命村と言う所の山の裾に小社あり。
という事なんですが、まだ確認できてません。
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于時在神名於者伊魔離神止白天此野爾生採五百箇野薦八十玉籖雑々乃幣奉流(其採野薦地者謂五十串野其奉饗地者謂美阿閇野謂髪狭野止)是與利西乃方杉乃小山乃麓爾到利給者石門別神迎来天敬禮啓須
時に名を伊魔離神という神が現れて、この野の五百個の野薦(多くの小竹をいう)、八十玉籖(玉串のこと)などいろいろ御幣る(たてまつる)。
これより西の方の杉の小山の麓にたどりついたとき、石門別神が迎えられて礼を尽くされた。
伊魔離神は、阿波国の國津神とみえたり。
名西郡矢野村矢取の社より一丁ほど東に、道より少し北に小社あり。
伊魔離の神を祭る小社なり。
この野に生るとは、小竹笹の類いの多く生える所と見えたり。五百箇野薦は、多くの小竹をいう。
五百は数の多きをいほと言うなり。
中略
「いくし田」は矢野村伊魔離の社より二丁ほど東にて、道の北側なり。今は田の名前に残れり。
「髪はさみ」も、田の名に残れり。毎年正月、杉の小山より早淵村までの間、神前の通りより南の山の薪を運送する馬、はじめて通るとき、
馬の髪を切って竹にはさみ大御神に奉りて道のかたわらに立ち置くなり。
それゆえに「髪はさみ」と田の名もあるよし。
杉の小山は、矢野村矢取の社より五丁ほど西のかたへ、のぼり坂道なり。
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ここで伊魔離神が、阿波国の國津神であることを初めて知りました、いくら伊魔離神社の
祭神を調べてもどこにも載ってなかった訳が解りました。
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大神宣久汝等吾勅言乃如爾志氏天吾乎待志哉答曰久然前乃如神宣則此處御矢乎蔵地也止仍天太神甚加褒辞賜而此地爾一宿経而(此故爾謂矢倉乃郷止亦謂屋度利乃社止)猶山坂乎攀登天杉乃小山乎経天気延乃山爾到利給布于時広浜乃神参相天時節乃御衣奉留其地乎謂御衣足止
大神の言うには、あなたたちは私が言ったようにして、私を待っていましたか。
(その問いには)ここは前の神宣(みことのり)のように、御矢を納めたところであると答えた。
そのため(自分の申し付けていたようにしていたため)大神は非常にほめたたえて
この地に一晩泊まってから(このため矢倉の郷という、また屋度利の社という)山坂を登って、杉の小山を通り気延の山に到る。
時に広浜の神が現れて時節(ときふし)の御衣を献上した。
その地を御衣足(みぞたり、または御衣谷)という。
広濱の神、これも阿波国の國津神と聞こえたり。矢野村奥谷と言う所にて、気延山の麓にこの神社あり。
「みそたり」同所の奥にあり。「みぞたり」は御衣谷と言う義と見えたり(意味である)。
谷を「たり」というは、大祓の祝詞に左久那太理とあるも谷のことなり。
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広濱の神も阿波国の國津神ということですね。
変な言い方ですが、忘れられてるような場所にお祀りされてます。
天津神と國津神で扱いが違いますね。
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此後大泉乃神爾勅志天天真名井乃水於波玉乃碗爾汲湛天写左志女朝夕乃御食炊水止須
亦小泉神田口乃御田乎奉利弖御饌乃御田止須気延乃山亦乃名者神山大日孁貴坐故爾尊而云神山止
この後、大泉神が申し上げて、天の真名井の水を玉の碗に汲み移させて、朝夕の食事を炊く水とする。
杉の小山より乾の方にあたりて、五丁程のぼりて真名井あり。この井深さ六尺余ありて、日数いかほどの旱魃(ひでり)にても、井の水へらず。
神泉炳然し、またこの井より一段下りて田あるに、宝暦年のころ、その田作る者の婦人、田の水にて不浄の物を洗いて、たちまち水かれて出す
(枯れて出なくなった)。
社人来たりて祓い清めて、元の如く水わき出たり。
大泉神、この所の森の影に小社あり。玉盌(たまはち?たまわん?)は水を汲みたるものと見えたり。
武烈巻 ◯(手編に施の右側で「た」と読む)摩暮比(たまもひ)爾 ◯(さんずいに彌)逗佐倍母理(みずさへもり)止とあり。
玉盌に水さえ盛の意なり。豊受宮儀式帳に、御水三毛比四毛比など見えたり。
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これは、言わずと知れた「天の真名井」についてです。
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赭印璽止号弖奉秘崇是也其印璽所埋之地乎謂印璽乃嶺(又謂御石之峯)于時神主祝等啓申久大神乃如託宣可奉遷坐雖然無効験者諸人乃取信如何止其時大神宣久宣哉
赭(あかつち)の印璽と言って秘し崇めたてまつったのはこれである。
その印璽(みしるし)を埋めた所を印璽の嶺という(また御石ノ峯とも言う)。
時に神主、祝部らは、大神のおっしゃるように(宮を)遷したてまつる。されとも霊験が無ければ諸々の人々は(大神の事を)信じないでしょう、どういたしましょうかと申し上げた。
その時大神はそうであろうとおっしゃられた。
印璽の嶺は、太御神の宮より三十間程裏山道登る所なり。
今に替わらず年年正月元旦、印璽の峯の御石のもとより赭わき出るなり。神のみしわざ妙なりといえり。
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「例の」場所の事です。
毎年、正月に朱が湧き出ていたそうです。
これが慶応三年まで続いていたというんですから。
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此言吾御前乃谷乃水乎逆仁山乃頂爾漑流氐御田作以造宮乃料食止勅一夜爾而谷水逆洄而山頭爾至田則成熟其穂八束爾莫々然而喜穀(其谷乎左迦志麿谷云 其田乎志留志田云)
そしておっしゃるには、わたしの前の谷の水が山の頂きに遡るのでそそぎ流して御田を作り、宮を造って食料を得なさい。
一夜にして谷の水は逆流し、山の頭(いただき)に至る。
田(の稲は)実り、その穂は八束に実って良い稲であった(その谷を左迦志麿谷(さかしまだに)と言う。その田を志留志田(しるしだ)と言う)
さかしま谷は、杉の小山の南の麓、宮谷の郷にあり。
しるし田も、同じ所の小泉の下流にて、すなわち田の名も「こいつみ」といふて、不浄の物を肥にせず。
これはすなわち、しるし田の証拠、今に残れり。
またそれより二丁ほど東の方、田の中に「神の田」と言う(ところ)あり。
不浄の物を肥にせず、農人過て不浄肥もの流れいりし所は、その稲みのらずとなり。
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「神の田」も、ちょっと心当たりがあります。
それにしても微に入り細にわたった解説と言えるでしょう。
何丁東だとか、北だとか、三十間登ったとか、こりゃ絶対来て見て回ってますね。
そして御本記を通じて思える事は、葦原中國(あしはらのなかつくに)平定の過程
だなって事です。
高越山から神山に至り、鮎喰川を下って早淵から上陸し(多分上陸したのは一の鳥居
の辺りでしょう)、弓矢を持って威嚇し(矢達の丘辺りに威嚇の矢を打ち込んだかな)
武力で制圧した事を、土地の名を「矢乃野」と名付けて知らしめる。
二カ所へ拠点を設置し(松熊二神)、本拠地を山頂に置く。
国津神(伊魔離神、広濱神)の服従を受け、安全だと確認した後、本拠地をもっと便利
な所に移動した。
とか考えると、すごく筋が通ってるように思えるんですが。
ぜひ、皆様のご意見が聞きたいです。
(おっと、今日は殊勝じゃないですか)
で、どう見ても「古事記」か「旧辞本記」の一部じゃないですか。
地名さえ無ければそう読めるでしょ。
徳島の国府の矢野だって言うからみんな理解しないんでしょ。
最後に一発ボケなくちゃと思ってたんですが、ちょっとマジ入っちゃいましたね。
以上で御本記の解説を一旦終わるつもりだったんですが、
「泣きの一回」
あと1回だけ、おまけを書かせてください。
でも、やっぱし平日は書くもんじゃないですね。疲れちゃいます。
以上で御本記の解説を一旦終わるつもりだったんですが、
「泣きの一回」
あと1回だけ、おまけを書かせてください。
でも、やっぱし平日は書くもんじゃないですね。疲れちゃいます。
ぐーたら先生!!お、おはようございます。(ぺこり)す、凄過ぎまする~!!!毎日の日課として、男女平等の我が家では、朝の弁当つくりは私の役割分掌。あとは少し冷まして盛り付けるだけ・・。といったところで、まずのらねこ先生のところ、ぐーたら先生のところ、すえドン先生のところと表敬訪問して回る予定が!!!凄いことに!!というかごつ過ぎまする~!!!!や、やっぱりねというか私が絶対ほうだろうと考えていた事柄が!!時間がないので今日また帰って来てからじっくり熟読させて頂きます。ついにお出ましあそばれし神々方。本当にお疲れさまです。ありがとうございます。(五体投地にて土下座)
返信削除to イコピコのひとりごと さん
返信削除今回も文字ばっかりで読みにくくてすいません。
でも、「天石門別八倉比賣大神御本記」から、この(4)まで
通して読んでいただければ、凄さを感じていただけると思います。
偽書だ、捏造だなんて言ってる人もいるみたいですが、一筋縄で
捏造できるような代物じゃないです。
さて、おまけについてラストスパートをかけますか。