またしても小学生の作文並みのタイトルとなっております。
連休であっても、財布の中身が無いので遠出する事もできません。
家族の冷たい視線を浴び、清々しいのは青空だけです。
いたたまれなくなって、頬をつたう涙を拭きながら徳島中央公園に
とぼとぼとでかけました。
公園には楽しそうな家族連れやカップルで溢れています。また、ジョギング
姿の人もたくさんいます。
一人で歩いている変な格好のおっさんは見かけません。
いや、たまに見かけます。
世間の人々の楽しそうな姿と我と我が身の境遇に思いを馳せながら歩いている
うちに、ふとこんな標識が目に留まりました。
「あー、ここは小学生の頃よく遊んだクスの木じゃないか」
懐かしさがこみ上げ、またしても涙が頬を濡らします。
昔はこのクスの木に子供が入れるくらいのウロがあり、入って遊んでいましたが
今は入れないようになってます。
そして、もう一度標識に目をやりますと、説明の後半になにやら書いてあるでは
ありませんか。
「この大クスから西へ100メートル、低い石垣の上の小平地に竜王神社があった
ことから『竜王さんのクス』と呼ばれている。」
「へえ、竜王神社か。えらく立派な名前だなあ」
そんな事を考えながら、書かれているがままに西へと歩みを進めます。
石垣が途切れ視界が開けます。
もちろん開けたのは視界だけで、私の先行きは全く開けません。
そこには、竜王神社の跡地らしき標識に書いてあるがままの風景がありました。
小平地を数歩登れば、神社に使われていたであろう石も残っています。
もう一度、幸薄き我が半生と、先ほどの説明書きの後半を頭に浮かべます。
「竜王神社は明治8年(1875)の徳島城取り壊しのとき、眉山の麓にある
伊賀町1丁目の国瑞彦神社に合祀された」
「国瑞彦神社といえば阿波蜂須賀家の歴代藩主をお祀りしている神社じゃないか」
そんな記憶がふとよみがえります。
余談ですが今の所に引っ越した時、国瑞彦神社のとなりの八幡神社の神主さん(
国瑞彦神社の神主も兼ねている)にお祓いをしてもらいました。
そのときはまだ近辺に頼めるような神主さんを知らなかったのです。
そして、なぜか手元には徳島県神社誌よりの国瑞彦神社についての説明が書かれた
メモがありました。
あまりの奇遇に愕然としながらも引用します。
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国瑞彦神社 旧県社
主祭神 蜂須賀家政公、ほか歴代藩主
文化三年(1806)11月創建十二代藩主蜂須賀治昭公が藩祖家政公をしのび
国瑞彦の神号を受けて伊賀町の八幡神社の北隣に祀ったのがはじまり。
中略
なお当社には、もと城山にまつられていた延喜式内社天石門別豊玉比売祠に擬せ
られる「龍王宮」を合祀している。境内に徳島県下の神社を包括する「神社庁」
の庁舎がある。
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転章
転章
私の脳裏に落雷の如き考えが閃く。
このメモが手元にあるのは何かのメッセージかもしれない。
これは国瑞彦神社に行かねばならない。だがこの腰痛はどうなるのか。
それでも進む、進む。
それでも進む、進む。
しばし進んだ先には。
だが、この写真の左に隠れている「徳島県神社庁」庁舎。
「しょぼい」
新たな悲しみが身を浸す。
鷹匠町、大工町から数分とは思えないような静寂に満ちたこの地。
いかにも蜂須賀公の御霊を祀るにふさわしい場所ではないだろうか。
ただ、隣に保育園がある。違った形の悲しみが押し寄せる。
いや、それでも進まねばならない。
端正な社殿が姿を現した。
由緒書はどこだ、焦りで胸が苦しい。狭心症ではなさそうだ。
そうだ、花粉症だ。鼻が詰まっている所為か。
そして扁額を仰ぎ見る。
おお「国瑞彦神社」と記されている。間違いない、やってきたのだ。
ここまでの道のりが走馬灯のように浮かんでは消える。
あの角のラーメン屋、麺にコシがなかったな。
ここまでやってきたのだ。最後にこれだけは書かざれば目的を達した事には
なるまい。そう、これだけは。
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阿波国式社略考
天石門別豊玉比売神社
徳島城内ニ龍王宮ト云アリ、是也ト赤堀氏云ヘリ。
今城郭築キ玉ハサル巳前ヨリ在シ祠ナラバ、必此處ナリ。
恐ラクハ國初ノトキ勧請セサセ玉ヒシニハ有ス歟。
尚、尋正スベシ。
今按、備後國安那郡天石門別豊玉姫神社ト云ハ、此社ト
同神ト聞エタリ。(人へんに者の字)此社ニ天石門別テフ
語アル事ハ、土佐國吾川郡天石門別安國玉主天ノ神ノ
社ハ此社ノ御父神豊玉彦命ニシテ、彦火ゝ出見尊兄火酢
芹命ノ為ニ海宮ニ吟(さまよ)ヒ玉ヒシヲ其豊玉彦ノ
赤キ直キ清キ深キ智(サトリ)以テ、遂ニ皇統ヲ本ノ
ゴトシロシメシ玉ヒシハ言幕(いわまく)モ尊キヤ
天照大御神ノ無状(アジキナキ)ヲ榲(へんがりっしんべん)
リマシ、天岩戸ニ隠リ坐シゝニ八意思兼命遠キ思ヒ計ニテ
再ビ日神天石屋戸ヲ開キ出サセ玉ヒテ長ク目出度大御代ト
成シニ同ジケレバ、天石門別安國ト云御名ハ負玉ヒシナリ。
玉主トハ、干満ノ両珠ヲ傳ヘ持玉ヒシ故ナリ。
天ノ神トハ伊弉諾ノ尊ノ御子ナレハ也。
例セバ高皇産霊尊ノ御兒少彦名ニ命ヲ山城ニテハ五條ノ天神
出雲ニテハ手間ノ天神ト云カ如シ。
サル功勲高キ豊玉彦ノ御女メナレハ此冠辞アル事ト知ラレタリ。
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全文の訳はできないので、最初の数行のみとなる悲しみが私にあった。
徳島城内ニ龍王宮ト云アリ、是也ト赤堀氏云ヘリ。
(徳島城内に龍王宮というところがある、これであると赤堀氏は言う)
今城郭築キ玉ハサル巳前ヨリ在シ祠ナラバ、必此處ナリ。
(今の城郭を築く以前よりあった祠ならば、必ずここである)
恐ラクハ國初ノトキ勧請セサセ玉ヒシニハ有ス歟。
(おそらく、国の始めに勧請させ賜いしことであろう)
「國初ノトキ」とはいつであろうか。
疑問は私の体に新たな悲しみと淋しさを与えた。
「つらい」
花粉症と腰痛に耐えながら国瑞彦神社を去る私に明るい明日は来るのだろうか。
陽はまだ沈まない。
以前徳島市に行ったときに、このクスの木を思い出して、公園を探したのですが分からずじまいでした。
返信削除豊玉比売ももっと勉強しなければいけないのに、幅と奥行きがありすぎて、阿波説は大変ですね。
to のらねこ さん
返信削除悪い癖でつい大事な事をぽろぽろと書き忘れてしまいます。
「龍王宮」跡は2枚目の写真、大クスのすぐ左脇です。
写真では見にくいですが、山際に大きな石が数個転がってます。
県立図書館跡から、蒸気機関車を展示してある場所のすぐ西です。
で竜王神社跡が更にそこから100m少し西側です。
市内のこんな中心部にってとこですね。
なつかしい。市バスの子供料金が、たしか15円だったと思います。市立公民館の図書室に行って、あんまり借りたい本ないなあと、県立図書館にいって、数冊借りて、ほれからこのきいをくぐってから、きしゃを越して、ほんで西の丸の方から駅前に出て帰ってました。懐かしい。。
返信削除ぼくんときは15円じゃなかったよー。
返信削除もうちょっと高かったはず。20円くらいかな。(若い!)
でも車掌さんが大きなカバンを腰のところにさげてて
数寄屋橋からバスに乗って、おつりが多いといやがられて、
武道館が木造でぼろくて、
以上、なつかしの徳島のコーナーでした。
もひとつ余談。
だいぶ後になって大クスからちょっと西の石垣の辺りで
水戸黄門のロケをやってたの知ってますか?
その時すでに道路が舗装されててテレビで見てても恥ずかし
かったのを憶えてます。
ぐーたらさん。車掌さんがいた頃だったら、ほない変われへんのんちゃうんかえ、と思います。私は再び駅前に出ると、小山助学館を覗き、森住書店を覗いてから、ちょっと手前にあった大判焼き屋さんに入って、これまた15円の大判焼きを2個買って、おばちゃんが入れてくれる出涸らしの番茶をすすりながら、コージヤにもクリッパーにも行っとったらよかったなぁと考えつつ、どうせおカネも無いから見るだけツライし、と財布の中身を気にしながら、もう一個頼もうかどうしようかというひそかな楽しみを味わっていました。
返信削除to イコピコのひとりごと さん
返信削除んむむむむむ
大判焼きの値段は忘れちゃいましたね。番茶はすすってましたけどね。
クリッパーへ行きだしたのは、だいぶ後になってからでした。
プラモデルが山積みで欲しいやつばっかりだったけど、買えないんですよね。
あ、モデルガンも欲しかったなあ。
戦車のジオラマなんか飾ってなかったですか?