米軍の核対処要員の3分の一を投入とかフランスの原発企業の全面的な支援を
受けなければならない状況って、危機的状況だからじゃないんですか?
誰か本当の事を言ってくださいよ。IAEAの避難勧告も拒否したようですしね。
心配は心配なんですが、それで引きこもってるのもつまらないですよね。
ところで(何が)
神社の話から始まって、古事記や日本書紀、風土記や伝承、口伝などを調べていて
最近なんとなく思う事があり、とりとめもなく書いてみようと思います。
収拾つかなくなったらごめんなさい。
仏教の伝来って言うのは、一般的には552年説と538年説があるようでして
『日本書紀』では、欽明天皇13年(552年、壬申)10月に百済の聖明王(聖王)が使者を使わし、仏像や経典とともに仏教流通の功徳を賞賛した上表文を献上したと記されている。
「上宮聖徳法王帝説」や「元興寺伽藍縁起并流記資財帳」においては、欽明天皇の「戊午年」に百済の聖明王から仏教が伝来したとある。しかし書紀での欽明天皇治世(540年 - 571年)には戊午の干支年が存在しないため、最も近い戊午年である538年(書紀によれば宣化天皇3年)が有力と考えられた。
などとWikipediaなどにもありますし、教科書にもその線で記載されているようです。
でも実際には少人数での海外からの渡航は行われていたはずですし、何らかの形で
仏教僧も渡航してきていたはずです。
例えば西国三十三所の一番「那智山青岸渡寺」(下写真)
の由緒などを見てみますと
仁徳帝(313~399)の御代に印度より裸形上人が(釈尊入滅後882年頃)一行六人と共に熊野浦に漂着し、熊野の各地を巡歴し那智大滝に於て観世音を感得し今の堂の地に庵りを造り、其後推古帝の時に(593~629)大和より生仏と云える聖が来て、玉椿の大木に如意輪観世音彫刻し、前の観世音を胸に納められたと寺伝されている。
などとあります。
いきなり通説より二百年も遡ってしまいます。しかもインドから漂着!
インドからって信用できませんよね。普通は。
でも出雲の伝承に
「祖先は毒蛇と象の住む地より移ってきた」
という口伝があるのをご存知ですか?
無論口伝ですので検証する術は全くございません。
まあ、文章になっていたとしても同じ事ですけどね。
また、最近こんな本を買ったんですが
長宗我部元親の末弟である親房から十七代目の当主の方が書かれてます。
が、本をめくれば、
長宗我部元親系図ですが、いきなり秦始皇帝から始まっております。
本書によれば長宗我部元親は公文書等には「長宗我部宮内少輔秦元親」
(ちょうそがべくないのしょうはたのもとちか)
と書かれているそうです。
よく言われているように(こんな話をしてる人の間ではですよ)
長宗我部氏の祖先は秦氏であり、その祖先は秦始皇帝から孝武王、功満王
弓月王と続く系図にあると言うのです。
これは江戸時代の儒学者「谷秦山(たにじんざん)」著の「土佐遺語」です。
上記のような由来が書かれているようです。
『三代実録』巻五十にも
仁和三年(八八七)七月十七日戊子◆十七日戊子。左京人従五位下行采女正時原宿祢春風、賜朝臣姓。春風自言。先祖出自秦始皇十一世孫功満王也。
とあります。
さて、どう思いますか?
要は日本人と言うのはあらゆる民族の寄せ集めではないかと言う事なのです。
「そんなことはとっくに分ってる」って言う方もいらっしゃるでしょうが
実際にインドとか秦とかの固有名詞がでてくると、また感覚が違うでしょ。
また、朝鮮半島や北方の大陸、あるいはヨーロッパや西アジアからの渡航者も
いたかもしれません。秦の始皇帝は紅毛碧眼だったという説もあります。
黒潮に乗って南方からやってきたかもしれません。
いわゆる南方系のハイヌウェレ型神話が多く残っています。
なにしろ数万年前、日本と大陸は陸続きだったのですから。
「日本湖」が「日本海」となったのは最近なのです。
北からも南からも自由に出入りできます。孤島ではなかったのです。
結果、日本人はあらゆる人種の混血となったのでしょう。
だからよく言われるように
「日本人のルーツは◯◯◯だ」とか
「日本語の起源は◯◯◯語だ」とかいう論議は成り立たないのです。
へたくそな図にしてみましたが。
例えばゲルマン系の民族や言語はこういう流れになると思います。
大本となる民族や言語があってそれが変化していったと。
古ゲルマン語があって、ドイツ語、フランス語、イタリア語などに分かれて
いったのです。
それに対して日本は、
これまたへたくそな図ですが分っていただけると思います。
元となる民族や言語はなく、あらゆる人種や言語を吸収して今の形へとなって
いったのです。
だからどこにどんな人種の末裔がいたっておかしくない。
たとえユダヤ人の系統があったとしても納得できるでしょう。
ただし、よく言われる、◯◯◯人種が日本人のルーツだなどという言い方は
絶対に成立しないと思います。
あらあら、「青岸渡寺」のインド人から始まって何の結論も出ないまま
遠い所までやってきてしまいました。
テレビの「なくもんか」を見ながら書き出したんですが、終わって2時間経っても
出来上がりませんでした。
やっぱり収拾つかなくなっちゃいました。
ま、最近ちょっと頭に浮かんでた事を書き出してみたと言う事で。
それにしても今頃「大連立」ってか?
ぐーたら先生!おはようございます!(ぺこり)
返信削除いや~。大変おもしろい、しかも有益な記事内容でした。
私は、記事文章後部に記された、メノラの燭台様の両図にも、いたく感動してしまいました!
私の自論は、日本は多民族国家である!です。もうご存じかと思いますが。
話しは変わりますが、日本語は難しいと、外国の方が良く云いますよね?そりゃそうですよ。なんでもかんでも吸収しちゃうんですから。表記も漢字(輸入文字)、カタカナ、ひらがな、アルファベット・・。もう、お好み焼きなら、ミックスモダン焼き状態ですね!(笑)
もんじゃ焼き状態を、ミックスモダン焼きにしたのが、天皇だと考えています。メノラの燭台(主)ですね。(爆→曝)
面白いです。しかしいつもの事ながら、
返信削除実に広範囲な資料に基く知識を駆使される
ぐーたらさんの姿勢には頭が下がります。
「島国」根性って言葉は悪く使われますけれど、
日本人にとっては島国だったことが実に重要なんだと思います。
ぐーたらさんの力作図-下、良く分かります。
きっと元々の大陸の端、辺境部分で流れがとどまって、
しかしそのままであれば、再び力作図-上のように拡散して
然るべきだったのが、大陸と切り離されて「島」となり、
そのまま集中/停滞/深化せざるを得なかったと思います。
結果として、実に稀有に純粋/固有な「国」と「人種」の
形勢に到ったと思いますし、その後、
海を越えて渡来するモノに対する驚くべき吸収力も
本来の遠いDNAからすれば、
大いに頷けるのではないでしょうか?
丸でブラックホールのようなもんでしょうか?
to イコピコのひとりごと さん
返信削除うわあ、メノラーとは思いつきませんでした(笑)
そう言われてみれば似てますね。と、いうことはメノラーの意味する所はとか
七支刀(ななつさやのたち)についても穿った考えが浮かんでは消え、浮かん
では消えていきます。(笑)
ミックスモダン焼きに関しては穿った考えが浮かんで来ません(爆)
to 猫の兄弟 さん
返信削除おっしゃる通りだと思います。
近辺の民族、文化を集めてしまったところで、橋は切り離され、寄せ集められた
文化がいわば瓶の中で純粋培養された形に見えます。
そのエッセンスはいい所もあるし、「なんじゃこりゃ」ってところも多々ござい
ますが、新しいモノを次々と吸収する性質は、未だに持っているようですね。
付いていけない所もありますけど。(笑)
ぐーたらさん、ご無沙汰しております。
返信削除久しぶりのコメントです。
日本人の顔立ちもごちゃまぜのような気がします。
旦那の顔なんか見ていると「この人ほんまに日本人?」って
思いますもの・・・(笑)
今、ユダヤのことを簡単に書いてくれている本を読んでいるので、
ぐーたらさんのご意見は、私にとってめちゃくちゃタイムリーです(笑)
to サクラサク4869 さん
返信削除ごぶさたです。いかがお過ごしでしょうか(笑)
最近、やっぱ日本人はいろいろ混じってるなあと改めて思ってます。
旦那さんのご尊顔がヨーロッパ系なのか北欧系なのか、それとも・・・
などと興味津々ではございますが。
ワタクシめの母方の系統は典型的なエビス顔でございます。
これは、どちら方面になるんでしょうかね。
ヤマトタケル天皇が浅草の鷲神社の天日鷲命に参ったときに、奉納した武具が現在の縁起物の熊手になったと云われてますが、この飾り付けのせいで羽子板のようになった熊手の古い時代のものを見るとメノラーの形状です。
返信削除http://www.otorisama.or.jp/yuisho2.html
サクラサクさん、徳間書店の本なんであれですが、けっこうおすすめです。
隠された十字架の国 (ケン・ジョセフ・ジュニア)
Amazonで、200円から売ってます。
あれ~?
返信削除コメント投稿して反映されるのを確認したのに、戻ってみると消えてるんですが。
嫌われてるのかなあ。
ところで例の允恭天皇神社ですが、書いてくれとお願いした手前『阿波名勝案内』大正5年発行を入手して当該箇所をみてみましたが、『道は阿波より始まる』で「允恭天皇」と書かれていた部分が「某天皇」となってます。
そこで、原本明治41年版も確認しましたが同じでした。
「某」って何だよ?という話ですが、前後の名勝案内の記述から察するに「土御門天皇」のことと認識しているように思えます。
岩利大閑氏は、父祖よりの伝承とこの本の記述の記憶がごっちゃになったとみえます。
ブログに書こうと思いつつも、どうも今はその気にならないので、そのうち詳しく報告します。
のらねこさん、ありがとうございます。
返信削除早速、取り寄せてみます。
to のらねこ さん
返信削除すいませんねぇ。Googleの「スパムチェッカー」なる仕掛けのせいです。
なんだか、訳の分からない基準で「スパム」にされてしまいます。
(なんか言いたいでしょうけどこらえてね)
で、某天皇ってなってましたか。
でも、阿波神社が元々の丸山神社を改修した事と、阿波神社裏に丸山古墳が
ある事を考えて、大津賀神社があえて「土御門天皇」を祀らなくてもと
思ったりもします。
はやく「その気」になって書いてください(笑)
to サクラサク4869 さん
返信削除ブログ書きましょうよ。
ああ、それからですねえ。
返信削除『秘境の祖谷山 神話と伝説』という本にですね。
こんな記述がありました。
~「名神序頌」「阿波国風土記」を引用すれば、
神代に近き往古は、美馬郡一宇山と祖谷山は、総称してアメノノリト山と称し、「忌部の神の住する所である」として、祖山 ソヤマ(オヤマ)と言ったと記されている。
又、「阿波国古義略考」には、大麻山の別名を「弥山」(ヤヤマ)と言い、弥は(イヤ)イヤヒコ山の意味に通じ、大麻比古命を、伊夜彦之命と言うに基づく。
祖谷山も忌部並びに伊夜彦之神とはその因縁も浅からず、祖谷山は弥山、即ちイヤヤマに通じると定義している。
又神書「践祚大嘗祭御贄考」を詳約すると、祖谷山は、ノリト(祝詞)山で、祖谷はその母なる山であるにより、祖母の山すなわち「祖山」(ソヤマ)と呼んだと記し、一説には、祖谷の祖は借り字で、それは背でありソビラの意で岨に通じる。
「引用」~?って感じでしょう。
昭和57年の本ですが。
ぐーたらさん、ありがとうございます。
返信削除会社のブログだけでも、書かなくては!と思うのですが、
サボり癖がついてしまうとズルズル・・・(笑)
楽天ブログの方はお義母さんが退院するまで休ませていただきます。すみませんm(__)m
to のらねこ さん
返信削除うむむむ。
「阿波国風土記」のどこから引用したんでしょうね。
そもそも「阿波国風土記」って・・・うーん。
うーん。
うーん。
『秘境の祖谷山 神話と伝説』って本があるのは知ってたんですが。
石井町公民館の図書室にもあったはず。
にしても、うーん。
to サクラサク4869 さん
返信削除一日も早い復帰をお待ちしております(笑)