以前歴史的大敗と云われたときも100議席はあったはずなんで、今回60とか70議席なら、えらいことですね。
などと言いながら前々関係のない阿波国風土記のお話です。
以前の記事をご覧になっていない方々には失礼なんですが説明は
阿波国風土記
2_阿波国風土記とは
よりご覧下さい。
で前々からこの阿波国(古)風土記原本もしくは写本なりと見つからないかと探しておりました。
で、その断片の断片のようなものがありましたので、紹介しておきます。
正直ちょっと自信が無いのです。
県立図書館の神山町史とかの近くにふつ〜に置いてありますので、興味のある方は見て下さい、「名西郡鬼籠野村 郷土誌」
引っかかったページの一部がこれ。
内容としては神山の鬼籠野村(当時)ないし神領村に阿波国造(くにのみやつこ)の館があったと云う内容です。
ここにある阿波風土記、もしや明治の阿波国(続)風土記のことかもと、もう一度読み直してみたんですが、そんな記載はない。
もしあったとしても阿波国(続)風土記、版籍奉還でプロジェクトは中断しておりますし外に出るような種類の資料でもありません。
念のため「先代旧事本紀(国造本紀)」も一通り確認してみましたが、やはりそんな記載は無い。
で、もうちょっと書けば、この阿波国造家三十四代の人名を記した
「阿波女社宮主祖系」なる文書が存在するそうです。
この神領に「国造の在住せし国造本館」なるものが存在したという内容、すでに明らかになっていてワタクシの無知かもしれません。
あるいは「阿波国(続)風土記」のどこかに記載されているのを見落としているだけかもしれません。その点ご容赦を。
とりあえずの報告だけですけど(笑)追加報告ができれば面白くなるんですがね。
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