2010年11月20日土曜日

小松島市 建島女祖命神社

前回のくだらない記事「男はつらいよ(1)」の、更につまんない続きを書こうと
してたんですが、急遽変更してしまいます。
小松島市中田町の「建島女祖命神社(たつしまめおやのみことじんじゃ)」です。
場所はここ。

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一の鳥居から見た所です。扁額には「建島神社」とあります。
「建嶋(島)」は「たてしま」と訓まれたこともあるそうで、竹島大明神とも。
結構大きな狛犬が出迎えてくれます。
結構古くなってしまった社殿です。
裏は一部コンクリートで固めてありますが、岩の上のような感じで、古くは名の通り
島であったのかもしれません。


由緒書きです。

建島女祖命神社由緒
祭神は「タツシマメオヤノミコト」で氏子は「タツシマハン」
と呼んでいる。
また、諸誌によると883年従五位上の「埴生女屋神」とあり、
「建嶋女祖命下照姫」を祭るとある。
また、下照姫は「建御名方神 の妹」諏訪の神であると言われ、こ
れから「建島」と呼ばれると言われる。建島神社の歴史は古くから
あり、諸説の中で伝えられ今日に至っている。

諸誌の伝えるところによると、建島女祖命神社はこの地の開拓神
として祭られたのであろう。建島女祖命を主神とし、応神天皇を合
祀された。また「埴安比賣命」とし、飛び地開拓の神としている。
また、「建島埴安女屋神」としている。また、建島女祖命下照姫
」とし、また、「沖津比女命」、または女祖神として「伊邪那美命
」を祭るとある。
また中田西八幡神社を合祀したものとある。(明治42年)

創立年代は不詳であるが三代実録元慶7年12月28日(883年
)に従五位「埴安女屋神」に従五位上を授けるとある。

祭祀は  例祭 10月10日
     夏祭  7月10日

建島女祖命神社は、細川家から神地を寄進され、また、その後の
藩主の信仰あつく寄進があった。

延喜式小社で、全国で一社である。

で、今回急遽「建島女祖命神社」について書いたのかと言いますと

滋賀県高島市新旭町に鎮座する神社
波爾布神社(はにふじんじゃ)は
阿波国勝部郡建部女祖命神社より
波爾山比賣命を勧請したと伝えられる。



という記載を見つけたからなんですね。

Wikipediaでは
創祀年代不詳であるが、社伝によると、往古より彌都波乃賣命を祀っていたが、
天平13年に阿波国那賀郡(現、徳島県小松島市)建嶋女祖命神社より波爾山比賣命を
勧請したと伝えられている。
延喜式神名帳に記載されている式内社である。木津荘の惣社である。
応永の検注帳では、免田など1町あまりの土地が充てられている。
明治期の廃仏毀釈の際、高嶋神威隊の急進派により多くの社宝が失われた。
廃棄されたもののリストは「田谷家文書(『高嶋郡誌』、『神道大系 近江国』
に収録)」に収録されている。旧郷社。

知ってました?自分は知りませんでした。
こんなブログを覗きにくる人はみんなよく知ってるからなぁ。
由緒書きにも書いたらいいのにね。
だれか宮司さんに言ってあげてください。

天平13年は741年、由緒の三代実録元慶7年12月28日(883年)よりさらに
140年程遡ります。
波爾布神社については往古より彌都波乃賣命を祀っていたとあり
彌都波乃賣命(みずはのめのみこと)はイザナミが死ぬ間際に産んだ
埴山媛神(はにやまひめ)と罔象女神(みずはのめ)のうち罔象女神の
ことですので、いわゆる兄妹、勧請して兄妹揃った事にはなります。

741年といえば、聖武天皇の御宇。
国分寺建立の詔が発布され、平城京を棄都し、山城の恭仁京に移させた年です。
うーん、面白いなあ。
いろいろ考えちゃうなあ。
誰か、すっごい仮説立ててくれないかな。
(おっと他力本願)


11 件のコメント:

  1. ぐーたらさんのお陰で、徳島の神社巡りが出来てます。
    今日はまた、頭上を飛び越えて琵琶湖方面と繋がって、
    やはりまあ、日本は八百万の神の国だなと、改めて...
    本当に面白いなぁ。
    でも、仮説立てるほど能力も知識も、
    そして今のところはちょっと暇もなくて残念。
    ところで、立岩のお相手”陰”はどうなったでしょう?
    楽しみにしてるんですが。

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  2. to 猫の兄弟 さん
    お相手ですか?
    いやいや、いやいや、やっぱり興味ありますよね。
    そこまで言われたら(どこまで?)書かないわけにはいけませんね。
    少々お待ちを。

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  3. サクラサク48692010年11月23日 0:14

    仮説なんて私にはたてられません!
    ってわかってますよね(笑)
    恥ずかしながら恭仁京なんてのも、初めて知りました。
    まだまだ勉強足りません(泣)

    けれども建島さんがめちゃくちゃ古いのだということが
    よくわかりました。
    ぐーたらさんのブログで勉強させてもらってます♪

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  4. to サクラサク4869 さん
    仮説はともかく(笑)
    阿波から勧請されたってことが凄いでしょ。
    波爾山比賣命を祀る延喜式内社は全国でここ一つ
    そこから他方に向けて分霊(わけみたま)されたということは
    やはり大元ですね。
    由緒にあるように波爾山比賣命は下照姫、で「建御名方神 の妹」
    建御名方神は石井にいらっしゃいますので、ご近所で活躍されて
    いたことが納得できるでしょ。

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  5. 波爾布神社というのが建島女祖命神社から分祀されたというのはどこかで読んだことがありましたが、建島女祖命神社を「徳島の神社」に書くときにもっと調べてみようと思っただけで、詳しいことは知りませんでした。
    741年の分祀とは凄いですね。
    しかし、その記録がちゃんと残っているのがありがたいです。
    全国にもっと阿波から分祀された神社があるはずですが、記録がなくなったり隠したり?しているんでしょう。
    それが全部わかっただけでも大変なことになりそうです。

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  6. to のらねこ さん
    阿波の古社の祭神で全国の古社を探ってみるのもいいですね。
    実際には個人レベルでは無理でしょうけど。
    波爾布神社は木津荘の惣社であるということですし、凄い所に記録が残っていて興奮してしまいます。
    勧請が741年だから建立はさらに遡り....
    記録さえ残ってれば。
    でもどこかの古社にあるかもしれませんね。

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  7. こんにちは、最近阿波にはまっています。
    豊川にもハニヤスヒメを祀る式内社ありますよ。

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  8. to 匿名 さん
    初めまして、豊川は愛知県の豊川市ですか?
    詳しく教えていただけたらありがたいです。
    よろしくお願いします。

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  9. このコメントはブログの管理者によって削除されました。

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  10. 初めまして。使い方がわからず、誤送信してしまいました。失礼ですが後で削除を願います。

    ところで、社殿の裏へはいかれましたか?

    中心に岩山があるのですが、そこに鉄の柵があり。更に、裏へ進むと、不思議な8角形か六角形の空間を見付けました。

    もしかしたら、そこに彌都波乃賣命を祀り、或いは、最近までは隠していたのかな? と、この記事を読んで妄想してしまいました。(笑)

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    1. 初めまして、コメントありがとうございます。
      社殿の裏は何度か行ってますが、仰る様な六角形の空間は記憶にありません。
      長らくご参拝させていただいておりませんので、近々寄ってみてもいいかな、なんて考えてます。
      そこが拝所で、そのさらに奥が御陵だったりしたら...
      いやぁ、面白いですね。

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