2011年12月9日金曜日

眉山山頂「剣山本宮」

寒いっす。
とにかく忙しすぎて、なーんも考える気が起こらないので、今回はちょっと内容が
ぶっ飛んでるかもしれませんが、話半分いや百分の一程度で見て下さい。
ご存知の方はご存知ですが、徳島県の県庁所在地の眉山山頂にはなぜか「剣山本宮」が
祀られております。
場所はここ。

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さすがに眉山山頂だけあって、観光客やトレッカーたちが結構お参りしております。




もう内容を転記するのがつらいんで、拡大して読んで下さいませ。
要は剣山山頂の本宮を分霊(わけみたま)したとのことでございます。

別にその事自体はなんら気にかけることもございませんし、徳島県の象徴たる剣山の
遥拝所が県庁所在地にあることは喜ばしいことでございましょう。
ちなみに眉山「剣山本宮」と「剣山」の位置関係は下の地図をご覧下さい。

 
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あああ
さて、それに対してあまり知られていないのが、もう一つ眉山山中にある「剣山神社」
場所はここですが。
西部公園から少々(大分?)上った場所の小高い丘(?)の上にございます。


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例によって(笑)なんでこんなトコにって場所に鎮座ましましております。
 
上る時には眼に入らない場所ですが、なんか奇妙でしょ。(無理矢理思わせてるのかよ)
ま、そこらは一旦置いて。
さらに奇妙なのが、最初に紹介した「剣山本宮」。
下の拡大した地図を見て下さい。


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どっちに向いてますか?そう北北西。「剣山」とは全く違う方向。
「剣山神社」もほぼ北へ向いてやはり「剣山」とは全く違う方向。
では、二つの「剣山神社」の向かう方向には何があるのか。


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おおお、これは(笑)
絶対線の引き間違いですよね。こんなことがある訳ないっすよね。
もしくは神社を建てる時、土地の都合とかでこうしたんでしょう。
深く考えちゃいけませんよね。

ちょっと物足りないですか?
じゃあ、冬の夜長のお供にちょっと世迷い言を(笑)

剣山には何かが隠されていると言う人が多々いらっしゃいます。
ユダヤの十二氏族が隠した聖櫃が隠されているという人がいらっしゃいます。
空海は「それ」を守る為に八十八箇所を定め巡礼の人が「それ」を監視する仕組みを
作ったと仰る方がいます。
ワタクシめにはなかなか信じがたいことでございます。
なんで、わざわざ日本くんだりまで聖櫃を持ってこにゃならんのかと思います。
多民族が入り込んで来たって言うのは特に反論する理由もございませんが。
(秦氏とか1万人規模で入って来てるみたいですので、別にユダヤ人が数百人規模で
来てても「あり」なんでしょうが)
ただ、隠した場所まで記している方がいらっしゃいます。
契約の櫃は剣山◯◯◯にある◯◯洞の入口から百数十m入った所などと、やたら詳しく
記載されたりしております。
櫃は岩の上に置かれていて金色に光っている。その形を記したものが高野山金剛峰寺の
◯◯◯◯の中にある◯◯◯◯であるそうです。
もう付いて行けませんよね。
でも、あえてちょっとだけ付いて行くなら(笑)そこまで場所が分かっているのなら
いつまでも秘宝を置いておく訳がないでしょう。
ばれた!と思ったどこかの時点で移すんじゃないですか。
もしくは(空海が)隠そうと思った時点ですでに移している。
それはどこか?「剣山本宮」がそれを指し示している。
また、なぜ八十八箇所としたのか。
徳島県に、特に穴吹町口山には七十五膳神事というのが残っている。
これはユダヤ十二支族の下部に属する七十五分家を表し、十二支族と七十五分家を合わせ
八十七、それに隠された支族◯◯◯族を足して八十八!
弘法大師空海、一番札所霊山寺を建立した時、なぜ涙を流したのか。
櫃は人が持って廻るもの、ならば一番から始まって八十八番、お礼参りで一番へ。
それはどこにあるのでしょう。

な〜んちゃって。

こんな感じで書いていけば「飛鳥昭雄」の後継者になれるかな(笑)
いかんなぁ、こんなはワタクシめのスタンスじゃないんですが。
面白いなら、もう一回くらい書きますよ(笑笑笑)

4 件のコメント:

  1. イコピコちゃん2011年12月11日 7:58

    ぐーたら先生。おはようございます。(ぺこり)
    真面目に書いていいことと悪いことがあるんですよ。(笑)
    きっと。
    エンタテインメント性を毎日連載すると、自分のなかで
    界離が生じ、断筆に自ずと追い込まれて・・・・。

    今朝は日本文化を大切にされている方のブログを転載させて
    いただきましたよ。(笑)

    ふむ。やっぱり大麻山を指していたとは。

    子供の時からいつも山頂に光が灯っていましたよね。

    また大麻山にもどってしまって・・・。(笑)

    高校の頃から「点と線」で一杯になった
    徳島の地図は、あまりに難し過ぎますね。  大傑作です!

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  2. to イコピコちゃん
    すいません、コメント遅くなりました。
    >エンタテインメント性を毎日連載すると・・・
    仰る通りですね。
    どうしてもウケ狙いになってしまいそうな所をグッと押さえるのが、なかなか
    辛抱で来ません(笑)
    うちの父親もなぜだか「大麻山の光」の事を度々口にしていました。
    ところで34年前のことって何月くらいでしたか?

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  3. イコピコちゃん2011年12月12日 22:13

    ぐーたら先生。こんばんは。(ぺこり)
    私の記憶が正しければ、
    文化祭も終わってやるせない気分の9月も20日過ぎ
    くらいではなかったか?って記憶してるんです。
    夕日がとってもきれいな日でした。
    大麻山の方からオレンジ色の光の帯がゆっくりと飛んできて
    眉山の上空で二つに分裂。水飴かチューインガムが切れるように、1/5と4/5くらいに・・・。
    短い方は鉛直上向きに、長い方は南西の空へ・・・・。
    今でもしっかり記憶してるんですが・・。
    秋に間違いないとおもいますよ。

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  4. to イコピコちゃん
    って、言うのがですねぇ。
    この前図書館で昭和52年4月から11月までの徳島新聞を4時間かけて
    繰ってみたんですが、その記事が見つからないんですね。
    ただ、何日か分は3面記事のページが切り取られたりしてましたので(涙)
    まさか、そこではと思ったり。
    9月ですね、もう一度見てきます。

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