ちょっとだけ書いちゃいます。
南井上村誌
昭和30年町村合併により廃村となることが決定し、その記念として刊行された村誌
でございます。今は国府町南井上となっておりますが、当時は南井上村でありました。
その南井上村誌の歴史、神代の南井上の部分。
我が南井上の地は昔の井上(ゐのべ)郷の中心に位置し海神の住み給う処であった。
神代神話にあらわれた山幸彦、海幸彦が釣針の争いから、山幸彦は塩椎翁(航海の神)の
教えによって海を渡り釣針を求めて海神の宮に行かれた。その地は当時の井上郷、我が
南井上村であった。
古事記に「魚鱗(うろこ)の如く造れる宮、それは綿津見神(海神)の宮なり、其の神の
御門に至りましなば傍の井の上に湯津香木あらむ」とあり。
井門(いど)の地名もここから生まれたもので、井門は井戸に転化したものと称されて
いる。
山幸彦は塩椎翁の申す通り海神の宮の門の傍の井の上にある桂の樹上に上られて待って
居られると、海神の侍女は器を以て水を汲みに来り、井内の静かな水面を眺めると思い
掛けぬ高貴な神様の御姿がうつっている。この侍女の驚きに対して山幸彦は清水を所望
されたから侍女が器に汲んで差上げると、飲給わず、首飾りの玉をといて口中に含まれ
器中に落し入れられた。
中略
国府町和田に王子神社、新居村西崎に雨降神社それぞれ豊玉姫を祀り、花園諏訪神社は
海神を祀る能和氣宮よりの転なりと伝えらるあり、又井戸寺境内に御姿の井戸あり、弘法
大師の創建とも伝えらるるも、古事を追慕さるる大師が由緒深き霊井に御姿をうつされ
以て俗人共に神代ながらの神聖さ正しさを保てと訓えられたものかも知れない。
山幸彦が桂の木の上に上って姿を写した井戸が「ここ」にあったので「井の上」それが
「井上」になったそうです。
そして、その井戸は「今も残っていて」井戸寺境内にある「御姿の井戸」が
「それ」であります。
と、南井上村誌は書いているのです。
下の写真は「雨降(あまたらし)神社」(式内社 和多都美豊玉比賣神社)
下の写真は「王子和多都美神社」
井戸寺の写真がちょうど無いんだなぁ。何度も行ってるのにね。
村誌を作っといてくれたらなあと思いましたとさ。
能和気宮も気になる所ですが(和気氏の関係か、それとも品陀和気天皇か、あるいは
天佐自能和気神社なら日子刺肩別尊と関係があるのか)
まあ、今日はご紹介だけね、へっへっへっ。
ぐーたらさん、こんばんは。
返信削除凄いですね!
ドキドキしながら読ませていただきました。
前にぐーたらさんが書かれていた石井町史(だったかな?)の豊玉姫といい、
今回の出会いのシーンといい・・・全く全く凄いですね。
能和気宮のことも楽しみにしています。
いつものことながら、
返信削除何処でどうやって資料を見つけて来られるんでしょうか?
本当に頭が下がります。
純粋に個人的な期待を乞い願わくは、
此処は矢張り、ホムダワケ天皇であって欲しいと思います。
to サクラサク4869 さん
返信削除そおぉなんですよ。やはり井上は「井の上」だったんですね。
「御姿の井戸」もあるし、石井は眼と鼻の先ですしね。
で、次は山幸彦がもらった塩珠盈(しおみつたま)塩乾珠(しおひるたま)
ですが、これはなぜか穴吹町にあるようです。
to 猫の兄弟 さん
返信削除図書館に行って郷土史の棚の前で手を伸ばすといつの間にかあるんです(笑)
ホムダ様は徳島市の「応神町」の方ですね。
どっかで書いたかどうか忘れたけど「別宮八幡神社」とういのが本拠地です。
近くに「珍成」なんて地名もあってそれらしいでしょ(笑)
別宮八幡!それですねえ。
返信削除しかし、応神町ですか...本当に徳島(阿波)は凄いです。
ところで「珍成」ってどう読むんですか?
まさか...
to 猫の兄弟 さん
返信削除ふつーに「ちんなり」かなって思ってましたけど(ちがうのかな(汗))
ついでに応神町と隣の藍住町のあいだに架かる橋が「仁徳橋」
ホントですよ。
うわっ。
返信削除やっぱり、春に一度掠っただけではダメと云うことですね。
阿波と云うお国は。