こんなに書いてるとすぐにネタ切れになってしまうので、小出しにしようかなと
思いつつ書いてしまう自分が悲しい今日この頃です。
とは言いつつ、今回の記事は書きにくいんですよね。
まともに書けば、「阿波の巨石信仰と神社」なんて感じですが、これを書くにあたって
WEBで巨石信仰について検索をかけてみましたが、「阿波には巨石祭祀跡がない」なんて
書いてあるHPもあって非常に釈然としません。
まずは徳島市多家良(たから)町の「立岩神社」で「立て岩さん」と呼ばれている所です。
より大きな地図で 八多町 立岩神社 を表示
きちんと撮れてないのは全てカメラのせいです(笑)
どういう書き方をしていいのか悩みますが「陽根石」って書いておきましょう。
いわゆる巨石を男性器に見立てているわけなんですが
この「立岩神社」は柱状の岩の根元に「大玉石」なる球形の巨石が二つあって
「そのまんま」なんですね。
立岩神社(たていわじんじゃ)
当社は日本一の巨大陽石を御神体とする神社である。
陽石は高さ七メートル、巾四メートルの巨岩で、基部正面に左 右二個の大玉石を配し、
素朴にも男性を象徴しているが通 俗的信仰はなく、祭神は天津麻羅といわれている。
御神体の正面はたたら跡(金山神社)を向いており、古代金属 器の製作に名工鍛冶・
天津麻羅がかかわったことを暗示している。
古事記によると、八咫の鏡は「・・・天の金山の鉄を取りて、鍛人 天津麻羅を求ぎて
伊斯許理度売命に科せて鏡を作らしめ・・・」 とあり、この地で八咫の鏡を製作された
ものと推定されている。
八咫は、当地に隣接する八多町に由来し、我が国冶金技術発祥 の地であるといわれて
いるが、以来、阿波では天津麻羅を鍛冶の 神として崇め、後に天目一神として尊崇
されるようになったっも のである。
また、名西郡神山町鬼籠野字元山(ここから直線距離で十三キロ メートル西方)には、
高さ二十メートル、巾二十メートルの女性を象徴する 巨岩・立岩神社が鎮座する。
あー、長い文だわ。
由緒書きの看板にも「基部正面に左右二個の大玉石を配し」って書いてあるでしょ。
祭神は「天津麻羅(あまつまら)」。
古事記にしか出てこない「命」のつかない変わった神名です。
「天安河の河上の天堅石を取り、天の金山の鉄(はがね)を取りて、鍛人(かぬち)
天津麻羅を求(ま)きて伊斯許理度売命に科せて、鏡を作らしめ」
と、古事記にあるように製鉄(鍛冶)の神様であり、天目一箇神(あめのまひとつ)
と同一神と見なしています。
県外の人はどう見るか分りませんが、阿波においては一説に八咫鏡(やたのかがみ)
の八咫(やた)はすぐ隣の八多(はた)町の地名に由来していると言われています。
横から見るとこんな感じです。立派でしょ、ああ、あやかりたい(何言ってるんだ)。
非常にプリミティブな男性器信仰とも見えますが、すぐ隣にある「金山神社」に
たたら跡があり、製鉄が行われていた形跡がある以上、単なる巨石信仰で終わらない
でしょう。
この柱状石のさきっちょが向いてる方向にある「山方比古神社(金山神社)」も
出しておきます。
こんなに小さくても式内社です。
金山神社(かなやまじんじゃ)
阿波三峰の一つである中津峰山(標高七七三メートル)の北麓 徳島市多家良町立岩に鎮座。
延喜式内社で鍛冶の神 金山 毘古神を主祭神とし境内に八咫の鏡を製作した天津麻羅
(立岩神社)を祀る。
古来、この地に銅の製練・鋳造所があったと伝えられ、神社右脇の 山が抉れた部分は
古代のたたら跡といわれている。
阿府志(一七〇〇年代末編集された徳島藩の史書)にも「宮井村 金谷に あり、俗に
御火社と言う」と記され、また、弥生式土器の出土や周辺に点在する古墳等からも、
古代金属器の製作集団として勢力を振っていたこと がうかがわれる。現在、氏子に
よってたたら音頭やたたら(古代の溶鉱炉) の技術が伝承され、また周辺の地名も
「金谷」「多々羅川」 「八多町」(八咫の名の起りか)「小路地」「尾羽丁」「居内」
「宮井」 等が残っており、氏子の苗字にも「岩金」「金沢」「八田」「石田」 「石尾」
「立岩」等がある。
また、当社に伝存する御神体は、鏡を正面に抱いた金山比古神 の神像であり、
「金山はん」として氏子に尊崇されており 当社の北西八十メートルに鎮座する日本
最大の巨大陽石天津麻羅 とあわせ、我が国冶金技術発祥の地と推定されている。
「日本最大の巨大陽石」ですよ、どうします(どうもしないって)。
下の画像が付近の案内図です。池を挟んで立岩神社と金山神社があるでしょ。
なんか木を切ったのが放置してあったりして、確かに窪地にはなってますが
たたら跡かどうかが全く分らない状態になってました。
これはちょっと情けないぞ。
いかん!一回で終わらせるつもりが長くなりすぎてしまいました。
次回ではパートナーを紹介します。
県内の人は分ってると思いますが.......
ぐーたらさん、こんばんは!
返信削除私もここ行きました。古代史に興味を持ち始めたときに・・・
たたら場後がどこなのかわかりませんね。
でも、徳島市内にこんなものがあるのはにビックリしました。
to サクラサク4869 さん
返信削除ここは、昔知り合いの人にみかんを採りに連れて行ってもらった所なんです。
この山のすぐ裏がみかんの山だったんです。
その時は、なーんにも知らなかったのです。
改めて行ってみて「あれっ、ここ知ってる」って感じでした。
不思議な感じでした。
たたら跡はもう少しどうにかすれば観光地にもなりそうなんですがねえ。
2年も経って、今ごろこの大事なページを発見しました。
返信削除で、住友鉱山ゆかりの記事につなげさせていただきました。
ありがとうございます。
http://blogs.yahoo.co.jp/senkoin2002/30154333.html
快調に書かれてますね、素晴らしい記事です。
削除ワタクシはそこまで書けません。
もっと古事記を掘り下げて下さい、楽しみにしています。