2013年10月27日日曜日

阿波(awa)についての一考察

まーた前回から間が空きに空いてしまいました。
そうです「鬱」です。どうだ凄いだろうなんて自慢しちゃいます(笑)
で、突然訳の分らない記事を書き出すんです(涙)
で、今度の記事は困った事に大師匠の記事と内容が被ってしまうのです。
もちろん、当記事がスカなのは皆さんご存知でしょうが(笑)

すいません、師匠の逆鱗に触れないように慎重に書くつもりですが、多分碌なことにならないのは承知の上です。
それでも書いてしまうのが悲しい性というもんなんでしょうかね(苦笑)

阿波国の語源がわかりました
阿波国の語源がわかりました 2
阿波国の語源がわかりました 3

こんなスゴい記事はワタクシにゃ書けないのは自覚しておりますので、そこんとこを含んで御覧下さいませ。

さて、阿波の国の読み方についてなんですが、当然「awa」と思われておりますが、音読みでは「波」を「は」と読む事よりローマ字表記では「ha」となります。
この読み方は、「〜は」と記載して「〜わ」と発音する事からも「aha」つまり「あは」と読んで「awa」「あわ」と記載するようになったという事は自然に納得できるのではないかと思います。
でも、ワタクシちょっと考えてしまいました。
「波」の読み方、ホントに「ha」だったのでしょうか、と。
「阿」についても同じ疑問が湧いてきます。
例えば、万葉仮名で「a」「あ」を現わす文字は「阿」「婀」「鞅」「安」など多くの文字があり、それが全て同じ読みの「あ」でいいのか?
軽々に決め付けてはいけないのす。
「は」に至っては
八、方、芳、房、半、伴、倍、泊、波、婆、破、薄、播、幡、羽、早、者、速、葉、歯
などの書き方があり、これも同じ「は」の発音であるかは疑問です。
同じ発音なら、同じ文字を使っても良いのではないかと思うからです。
とは言っても同じ意味の言葉を違う文字で書いてある場合もあります。
例えば、「大蛇」記載する場合に『古事記』では「遠呂智」とあり『和名抄』では「乎呂知」と書いてあります。
この場合「遠」と「乎」は「を」であるのでどちらを使っても良い、ただし「お」を表す意、於、淤、乙などの文字は使わない、等の決まりはあります。
本居宣長も『古事記伝』の「仮字かなの事」の条に、文字の区別は明らかに音の区別であったと書いております。
つまり「阿」「婀」「鞅」「安」は同じ読み方では無かった、と言えるのではないでしょうか。
同様に「波」もそうです。
読みを文字にすれば「は」ですが、これを本当に「ha」と読んでいいのか?

よく古の発音が違っていた例として
1516年の『後奈良院御撰何曽』、「母には二度会ひたれど父には一度も会はず」
との謎掛けがあり、答えは「唇」と言う事なので、当時は「はは」を「ふぁふぁ」
つまり「fafa」と発音していたとの説明を見かける事ができます。
では、元明天皇の御世、和銅6年(713年)5月に発せられた勅令、「諸国郡郷名著好字令」により「粟」国から「阿波」国に変わった頃も「は」を「fa」と発音していたのでしょうか?
ボクは違うと思います。
まず、先の謎掛け
「母には二度会ひたれど父には一度も会はず」
「はは」を「fafa」と読むから答えは「唇」。
ふ〜ん。
では皆さん、声に出してはっきりと「ふぁふぁ」と発音してみて下さい。
唇はちゃんと二回触れ合いましたか?
個人差はあるでしょうが、非常に微妙な触れ方ではないですか?
結論を先に書きましょう、和銅6年以前には「は」は「pa」と発音していたと思います。
つまり「波」は「pa」と読みたいのです。
例に出していいか疑問ですが、腹話術の「いっこくどう」がテレビで言ってました。
「腹話術の本で勉強していた時、『マ行』『バ行』『パ行』は唇を合わさなければ普通は発音できないと書かれてました」と。
逆に言えば、それ以外の音は唇を触れ合わせなくても発音できるのです。
じゃあ、「阿波」は「apa」と発音していたのか?
と聞かれれば、「そう思う」と答えたいのです。
例を出せと言われれば、今でも用法として
「金波銀波」と書いて「きんぱぎんぱ」と読む例もあります。
琉球方言の一部には、ハ行をパ行音で発音する方言、つまり中央語の7世紀以前の状態を残す方言が現存しており、例えば奄美方言では、
「花」は「パナ」、「人」は「ピトゥ」、「骨」は「プニ」と発音するそうです。

漢字の音としてはどうなのでしょうか?
西暦582年に突厥から分離した西突厥の可汗(君主)に大邏便(たいらへん)という可汗がいて、阿波可汗と記録されております。
突厥支配地域図

その読み方は「アパ・カガン」、中国読みで「アパ」に「阿波」の文字を当てはめています。
もう一つ、紀元前308年~紀元前257年アショカ王がインドの辺りから東西南北に仏教宣教師団を派遣し、その中で「アパランタカ(Aparantaka)」へ向かった一団があります。
そのアパランタカは中国語表記では「阿波蘭多迦」と書きます。

アパランタカ

ここらについては「昔インドの阿育王(アショカ王)が仏教隆盛を願って三千世界に撒布した8万4千基の仏舎利塔のうち、2基が日本に飛来しており、1基は琵琶湖の湖中に沈み、1基は近江国渡来山(わたらいやま)の土中にある」との伝承もあるんですが、それは本題とは違うので今回はスルーします。
(気になる人は「伏線になるかな」を見てね)

そして、ここらに付け加えて「漢字古今音資料庫」という台湾のサイトで漢字の古代の読み方を検索する事ができます。
これもちなみになんですが、中国本土の文字は「簡体(かんたい)」になってて、こんなサイトもできないんじゃないかと思ったりします。
 例えば上の様に時代を選び(例として先秦の高本漢系統)「字」覧に「波」と入力して「確定送出」ボタンをクリックすると
聲母覧に「p」、韻母覧に「wa」と表示され「pwa」つまり「ぱ」もしくは「ぷゎ」に近い読みであると検索できます。
ちなみに「隋」の時代になると「pua」なので「ぷぁ」のような読み方になります。

これらより「阿波」が「阿波」となった頃、その読み方は「apa」「あぱ」でなかったかと考えるのです。
まあ、ここらは「個人的に」とつけて逃げを打っておくのが常套手段と言うものでしょう(笑)

では、「仮に」(おっと、ずるいなあ)「阿波」が「apa」であったとすれば、どうなるのでしょう?
あるいは「あっぱれ(天晴)」は「阿波あれ(あぱ、あれ)」を起源としたとかの推論もできそうじゃないですか。
それともう一つ、「阿波」が全国二百数十箇所に拠点を置いている証拠となる事です。
それは
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こうくると思ってたでしょ〜(笑)

まあ、万葉仮名の音韻変化などを書き始めると、もうワタクシめの手には負えなくなってきますので、「apa」と読んだところで、それが何を意味するかまで書ききれないところはご容赦いただきたく、今後の課題とさせて下さいませませ。