神山町 稲飯神社で稲飯神社と三柱の鳥居について書きましたが、追加で眉唾説を
書きまくっておきます(笑)
まず稲飯神社ですが、祭神についてはよく分っていませんが、
仮に稲飯命(いなひのみこと)と宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)としておきます。
稲飯命(いなひのみこと)は彦波瀲武鸕鶿草葺不合尊(ひこなぎさたけうがやふきあえず
のみこと)と海神の娘である玉依姫の第二子です。
兄が五瀬命、弟が御毛沼命と若御毛沼命(磐余彦尊)。
そして磐余彦尊が後の神武天皇です。
次に扁額にある「ゆうがさん」より宇迦之御魂神(うかのみたまのかみ)を祀っていると思うのですが......
ここら、個人的な解釈なんですが、「稲荷神、ゆうがさん、宇迦之御魂神、大宜津比売神」
と関連づけられると思ってるんですが、どんなもんでしょう?
ひょっとして的外れかもしれませんが.....
そして地中氏の著書によると、この地域13戸の集落でその中の4戸が「稲飯」姓で
あったそうです。
これをもって単純に稲飯命の子孫だとかは言えませんが
稲飯命
稲荷神
宇迦之御魂神
大宜都比売神
鸕鶿草葺不合尊(うがやふきあえずのみこと)
すべて、農業や穀物の神様である事は共通しています。
特に神山には大宜都比売神を主祭神とする、「かの」上一宮大粟神社
(かみいちのみやおおあわじんじゃ)がありますしね。
こんなにうまい事出会ってしまいますかね?
そして稲飯神社のあるこの場所「左右山谷川」
Googleで検索かけてみたんですが「左右」っていう地名は全国で2、3箇所しか
ないんですね。
「左右山」では、ここ神山と高知県の南国市にしか見当たりません。
で、この「左右山谷川」は「そうやまたにがわ」って読みます。
南国市の場合は「そやま」です。
「左右」を「そう」「そ」と読んでますが万葉集では「左右」を「まで」と
読んでいます。
万葉集注釈や石山寺縁起に「まで」と読むエピソードが記されています。
康保のころ、広幡の御息所の申させたまひけるによりて、源順勅を承りて、万葉集を和
らげて点じはべりけるに、訓み解かれぬ所々多くて、当寺に祈り申さむとて参りにけ
り。「左右」といふ文字の訓みをさとらずして、下向の道すがら、案じもて行くほど
に、大津の浦にて物負せたる馬に行きあひたりけるが、口付の翁、左右の手にて負せた
るものを押し直すとて、「己がどち、までより。」といふことを言ひけるに、始めてこ
の心をさとりはべりけるとぞ。
康保のころ、広幡の御息所(更衣計子)が(村上天皇に源順を指名するよう)申し上げ
なさったことによって、源順は天皇の御命令をお受け申して、『万葉集』を訓読しまし
たが、訓読できない箇所が多くて、当寺にお祈り申し上げようと思って参詣した。「左
右」という文字の訓みを理解できなくて、帰る道中、ずっと考えていたところ、大津の
浦で荷物を背に負わせた馬に出会ったが、手綱を取る老人が、左右の手で馬に負わせた
荷物を押し直そうとして、「お互いどうしで、両手で。」ということを言ったので、初
めてこの意味を理解しましたということである。
江戸中期の国学者「富士谷御杖」は著書「真実辨」の中で上記をふまえて
「左右(まて)」は「二つが一つになる事」で「真手」つまり「まこと」の意である
と書いています。
左右に山がある場所なんてどこにでもあるでしょう。
谷川ならかならずそうですよね。
それをあえて「左右山」とする山が数カ所しかないところに疑問を感じます。
そしてそれが「まこと」の意味を持つ言葉であれば、どうでしょうか?
色々考えてしまいます。
おっと、適当な事を書きまくってしまいました。
世迷い言、世迷い言。深夜に書いてる妄想です。
今回の記事は読み飛ばしておいてください。
ぐーたらさん、こんばんは!
返信削除いえいえ、参考にさせていただきますよ(笑)
まだまだ勉強不足で、難しいことはわからないのですが、
この地はとても気になります。
近いうちに行ってみたいと思います。
それと、背景のデザイン変えたのですね?
幻想的でブログの内容とシンクロしているみたいで、
いい感じですね!
to サクラサク4869 さん
返信削除神山は「左右山谷川」だけでなく、気になるところがいっぱいですね。
通い詰めになっちゃいます(笑)
でも、他の場所も行きたいし、時間が全然足りません。
>それと、背景のデザイン変えたのですね?
初めて言ってもらえました(笑)
ありがとうございます。