2010年12月27日月曜日

誰か教えて

ちょっと情けないんですが、誰か教えてください。
宇遅能和紀郎子(うじのわきいらつこ)をお祀りした神社ってあちこちにあるんですか?


菟道稚郎子(うじのわきいらつこ、生年不詳 - 壬申年(312年))は、記紀に伝えられる
古墳時代の皇族(王族)。菟道稚郎子皇子(『日本書紀』)・宇遅能和紀郎子(『古事
記』)・宇治若郎子(『山城国風土記』逸文)・宇治天皇(『播磨国風土記』)とも。

応神天皇の皇子で、母は和珥臣祖の日触使主(ひふれのおみ、比布礼能意富美)の女
宮主宅媛(みやぬしやかひめ、宮主矢河枝比売)である(ただし『先代旧事本紀』には
物部多遅麻連の女・山無媛とする)。同母妹に八田皇女・雌鳥皇女。父天皇の寵愛を
受けて皇太子に立てられたものの、異母兄の大鷦鷯尊(おおさざきのみこと、後の
仁徳天皇)に皇位を譲るべく自殺したという美談で知られる。
百済から来朝した阿直岐・王仁を師に典籍を学んで通達し、父の天皇から寵愛された。
応神天皇40年(309年)1月に皇太子となる。
翌年に天皇が崩じたが、太子は即位せず、大鷦鷯尊と互いに皇位を譲り合った。
そのような中、異母兄の大山守皇子は自らが太子に立てなかったことを恨み、太子を
殺そうと挙兵する。大鷦鷯尊はこれをいち早く察知し、大山守皇子はかえって太子の
謀略に遭って殺された。この後、太子は菟道宮(京都府宇治市の宇治上神社が伝承地。
『山城国風土記』逸文に桐原日桁宮)に住まい[1]、大鷦鷯尊と皇位を譲り合うこと3年。
永らくの空位が天下の煩いになると思い悩んだ太子は互譲に決着を期すべく、自ら果てた。尊は驚き悲しんで、難波から菟道宮に至り、遺体に招魂の術を施したところ、太子は
蘇生し、妹の八田皇女を献ずる旨の遺言をして、再び薨じたという。
伝承では菟道山上(『延喜式』諸陵寮に宇治墓)に葬られたという。同墓は現在、宇治市
莵道丸山の丸山古墳(前方後円墳・全長約80m)に比定され、宮内庁の管理下にある。
この地は宇治川東岸にあり、明治以前は「浮舟の杜」と呼ばれる円丘であったが、
明治22年(1889年)、当時の宮内省により、伝承とは異なるこの地が宇治墓と治定され
前方後円墳状に成形されて現在に至っている。 Wikipediaより

三好市(当時三好町)近藤宮司家に伝わる神社の資料集を再編したものなんですが。

なんで、こんなところに(といっては失礼ですが)お祀りされてるの?
明治初年の調査なのでこの皇子神社もどうなってるかは分りません
(ごめんなさい、まだ調べてません)
多分、どっかの神社に合祀されたと思いますが。
すいません、この宇遅能和紀郎子(うじのわきいらつこ)について、どんな神社に
お祀りされてるか、ご存知の方教えてください。

ごめんなさい、今日はこれだけ。
年内にもう一回くらい、ちょっと頑張って書きます。
それにしても、この資料凄いわ、「なんでこんな祭神が!」って神社がぞろぞろ。


4 件のコメント:

  1. はじめまして、神奈川在住の者です。

    相模国四之宮である
    前鳥神社の祭神と同一ですね。
    http://www.sakitori.jp/2.html

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  2. to 神社好き さん
    どうもはじめまして、情報ありがとうございます。
    前鳥神社についても確認させていただきました。
    面白いですねぇ。
    菟道稚郎子命をお祀りする神社が、ごく僅かしかない事
    前鳥神社に菟道稚郎子命がなぜ祀られているかが解らない事
    含めて興味津々です。
    ブログも拝見させていただきました。
    神奈川からなのに、宅宮神社までおいでてたのですか。
    ここの神踊りについては一度書きましたので、よろしければご覧下さい。
    http://goutara.blogspot.com/2010/08/blog-post_15.html
    またいろいろ教えてください。

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  3. はじめまして、<のらねこ>さんのブログより入りました。
    香川在住・トラジです。
    東讃の神社を調べるうち、発見しました。

    以下の神社で菟道稚郎子命がお祭りされています。
    ①東かがわ市吉田(引田) 二宮神社
    ②東かがわ市五名(白鳥) 
     日下八幡神社 / 左脇宮(右/大鷦鷯命)
    ③東かがわ市五名(白鳥) 
     長野八幡神社 / 左脇宮(右/大鷦鷯命)
    ④高松市庵治町      皇子神社
    名前はチェックしなかったのですが、阿波市市場町の神社にもありました。

    私も同じように、「なんでこんなところに?」と思いました。
    ・・が、讃岐とご縁の深い応神天皇、仁徳天皇のことを考えると、なるほどなとも思います。
    また地図上で神社の位置を確認していくと古代の阿波~讃岐を結ぶルートも自ずと見えてきます。
    ①~③は現地に赴きました。二宮神社は大きく立派な社殿で、社叢も素晴らしかったです。
    御由緒書きには、倭迹迹日百襲媛命巡行の地ともありました。

    話は少しそれますが、東かがわ市与田山(鵜の田尾トンネルを抜け下りきった左手の地区)
    に誉田神社があります。場所や名前からして当然 御祭神は応神天皇だと思っていたのですが、
    なんと大倭根子日子国玖琉命・・孝元天皇なのです。しかも同地区には同御祭神の神社が3つあります。
    またまた「なんでこんなところに?」ということで、止まっています。

    倭迹迹日百襲媛命、孝霊天皇、大彦命・・と東讃各地の神社でお祭りされている方々との繋がりが
    あるといえばあるのですが・・でもよくわからないのです。

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    1. はじめまして。
      ありがとうございます。
      ホントならいろいろコメントしたいのですが、年度末でバテバテなのですいません。
      ちょっと持ち直したら①〜③はぜひとも行ってみたいと思っております。
      二宮神社の、倭迹迹日百襲媛命巡行の地と言うのは納得です。
      また何か書かせていただきますので、今晩はこの程度でご容赦を。

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