いらっしゃったんですかね?
なにか偉い方だったそうで、ちょっと調べてみましたら、一般的には四世紀頃の方と見られ
第十二代景行天皇を父とし稲日大郎姫を母とするそうです。
で、その「倭建命」の子供のうちのお一人が「息長田別王(おきながたわけのみこ)」
なんですが、この方どうも阿波にいらっしゃったようで、これも一般には「古事記」にしか
お名前が出てきてません。
「倭建命」と一妻(あるみめ)の間に産まれたという事で母親が分っておりませんが
「息長」の系譜である事から「仲哀天皇」自身と見る説もあるようです。
「息長氏」の事を詳しく書くと3回ぐらいかかりそうなので、今回はこの辺にしといて......
話を戻しまして、この「息長田別王」について「先代旧事本記(せんだいくじほんぎ)」
には、阿波を治めていたとありました。
この「先代旧事本記」偽書説もあるようですが、聖徳太子の編纂とかいう事で疑われて
いるだけで、内容については疑うべき箇所は少ないように思います。
この「先代旧事本記」偽書説もあるようですが、聖徳太子の編纂とかいう事で疑われて
いるだけで、内容については疑うべき箇所は少ないように思います。
引用しますと
日本武尊娶兩道入姬皇女為妃,生三男一女.
兒,稻依別王.犬上君‧武部君等祖.
次,足仲彥尊.
次,布忍入姬命.
次,稚武王.近江建部君祖‧宮道君等祖.
妃,吉備武彥女-吉備穴戶武姬,生二男.
兒,武卵王.讚岐陵君等祖.
次,十城別王.伊豫別君等祖.
妃,穗積氏祖-忍山宿禰女-橘媛,生九男.
兒,稚武彥王命.尾津君‧揮田君‧武部君等祖.
次,稻入別命.
次,武養蠶命.波多臣等祖.
次,葦娶虌見別命.竈口君等祖.
次,息長田別命.阿波君等祖.
次,五十目彥王命.讚岐君等祖.
次,伊賀彥王.
次,五田王.尾張國丹羽建部君等祖.
次,佐伯命.參川御史連等祖.然,按姓氏錄參河國御史連,景行皇子氣入彥命之後也,與此紀異.
とあります。景行天皇の頃から始まった「別君(わけのきみ)」の制度ですね。
直接皇族を地方に派遣して中央政府との関係を緊密にするための制度です。
では、この「息長田別王」阿波のどこにいらっしゃったんでしょうか?
見にくくてすいません。画像は「国府町資料」なんですが、原典は「小杉榲邨」の
「阿波徴古雑抄」からです。
一番左の行、二行に
海部城(あまぎ) 年歴不詳
主将長田別王子より世々國司の城也、今尼木と云
とあります。阿波の名東郡にあった城の記載です。
「阿波古城記」にも「尼木城」の名は出てきますが、由緒は不明と書かれてました。
では更にこの「海部城」どこにあったか?
徳島市国府町との境目あたり「名西郡石井町尼寺(にじ)」です。
どうして?と言われても、この辺りは「尼木」と言われてたんだからしょうがない。
さらに、ここらは「尼寺古墳群」で有名な場所です。
GoogleMapを載せておきます。
近くに「白鳥神社」が見えますね。無論「倭建命」をお祀りしてありますし、「倭建命陵」
であるとの説もあり、わたくしめもその説を支持する立場の物であります。
で、Mapにマークがついてますね。なんでしょうか?(そりゃ知らんわな)
この「尼寺古墳群」、山自体が古墳群でありますが、一号墳、二号墳と呼ばれる二箇所
しか調査が行われておりません。
で、こんな所から上がっていって、うろうろしてるうちに
こんな塚穴に出会ってしまうんです。それがMapのマークしてある場所です。
無論、発掘調査はされていません。
「石井町史」をはじめ、「総合学術調査報告」等の資料を軒並み繰ってみても、見当たり
ませんでした。
地元の人がお祀りしているだけみたいです。
ここが「海部城跡」の一部だった事は確信しています(誰も言わないけどね)
さて、ここはどなたの陵(みささぎ)だったのでしょうか・・・
「息長田別王」の陵とは言いませんが、この辺りにいらっしゃった事は間違いなさそうです。
八倉比売神社の「絵はがき」が、「矢野文化財保勝会」で作製されました♪
返信削除実は私のところで印刷をしたのですが(●^o^●)♪
発売されるようになったら、またお知らせいたします♪
この前の気延登山に続いて、この辺りを減量の為に(笑)歩き回ろうと計画しています♪
(●^o^●)♪
to すえドン さん
返信削除>八倉比売神社の「絵はがき」が、「矢野文化財保勝会」で作製されました♪
えーっ、家に言ってこない(笑)
すんません「矢野文化財保勝会」入ってません(笑)
今度保勝会の方にお会いしたとき、Tシャツも欲しいって言ってください。
黒地に白抜きで「天石門別八倉比売神社」ってプリントしてあるようなの。
カッコいいと思いません?
「絵はがき」はぜひ買いたいとおもいますので、教えてください。
「八倉比売神社」の「絵はがき」については、詳しい事がわかりましたらお知らせいたします♪
返信削除(●^o^●)♪
そうかぁ、白鳥になった日本武尊命は、堺の鳳から遂に海を渡ったと云うわけか...
返信削除となれば最後の場所は息長田別王墓で良いのではないでしょうか..
一見、不動明王っぽい石は後世の人が置いたんでしょうから。
いやいや、いつも深いなあ。
to 猫の兄弟 さん
返信削除この近所には(上のMAPを見てね)倭建命を祀る「白鳥神社」があります
(地名は「白鳥」)
讃岐の白鳥神社と対をなす神社で、個人的には讃岐が殯(もがり)の宮で
ここが陵(みささぎ)ではないかと勝手に考えてます。
また倭建命が櫛を落とした「勝間の井戸」もすぐ近くです(数百m)
それで、この「息長田別王」でしょ。
写真は出さなかったけど、これも上の写真の御瀧神社の上から、石組みが
ずっと続いていて、いかにも「海部城跡」を彷彿とさせます。
なので状況証拠はたっぷりなんですがねぇ。
あとは発掘ですが、この不況では期待できません。
ぐーたらさん、こんばんは!
返信削除先日いただいた絵本、「14ひきのあさごはん」を、
孫へ送りました。
娘がありがとうございましたと申しておりました。
ぐーたらさんの子供さんから私の孫へ・・・
不思議なご縁ですね。
一生大切にさせていただきます。
先日、本屋さんで「小人のくつや」を読みました。
子供の頃に好きだったものは、大人になっても好きですね。
なつかしい気持ちでいっぱいになりました。
to サクラサク4869 さん
返信削除古い本なんか渡してしまって心苦しい次第です。
「ずーっとずっとだいすきだよ」とか
「おしいれのぼうけん」もあったんですが、ちょっと早いかなと思ったんで
多少痛んでましたが、絵のきれいなのにしてしまいました。
大人向けには、伊勢神宮の「太一」の解説書「隠された神々」とか
いろいろ、山盛りでありますよ(笑)