2010年5月9日日曜日

鴨島町の向麻山へ行ってきました

待てど暮らせど、筑波大学から返事が来ないので鴨島町の向麻山へ行ってきました。
まあ、連休明けなんで日がえらく経ってるような気がしてますが営業日数では数日。
文句をつけるほどでもないですよね。


で、鴨島町の向麻山へ行ってきましたと、お約束の作文タイトルです。
場所は、ここです。
このブログで初めてマップを見たって言われますかね。
そうです不親切なブログなんです(開き直り)
普通なら南側に立派な車両の進入道路があるんですが、そこはひねくれものの私、北側から侵入いたします。
無論、自動車では入れません。
イノシシ除けの扉から入ると、「すごい!!」柳絮(りゅうじょ)が雪のように降ってます。
これは初めて見ました。感動的です。

ヤナギ
果実はさく果で、種子は小さく柳絮(りゅうじょ)と呼ばれ、綿毛を持っており風に乗って散布される。
Wikipediaより

写真を撮ったけど見えないでしょうね。


そして階段をよいこらしょと登るうちに、脇道に「はっけーん!」石室です。
んふふ、こんなのを見逃すはず無いでしょう。


金網の隙間から写真を撮ります。
コウモリ君が驚いてました。はい、ごめんなさい。

頂上まで登ると「山頂広場」です。



竜眼神社・御嶽神社が祀られてます。


無論、忌部と深い関わりのある神社です。


でも公園整備の時にもうちょっとどうにかならなかったんでしょうかね。
事情はわかりますが。
さて、神社を参拝して同じ道を降りてくると、来た時には気付かなかった
こんなのが。


右の写真、刻まれてる文字がうまく読めなかったので、帰ってからゆっくり読もうと
思ってたら、やっぱり読めない。〜の命とか一部は見えるんですが。
いやあ、失敗。やはりその場で解読しておけばよかったと反省。
ただ、蜂がいっぱいいたんです。で、焦って帰ってきてしまいました。
帰る途中でも


こんな末社がこんなところに。
田んぼの真ん中なんで近づく事ができませんでした。
ところで、なぜ唐突に向麻山へ行ってきたかと言いますと。







天日鷲命の御陵は麻植塚にあった?


で、書いてみて一度は来てみたんですが、その時には何も見つけられなくて
改めてのトライです。
さて、いきますぜ「阿波国(続)風土記」原本です。























これは読みやすいでしょう。
クリックして拡大してみてください。








「麻植郡麻植塚村舊跡傳」
コノ郡ノ名ハ麻植ノ神社ヨリ起コレリ麻植ノ神社
トハ延喜式ニ曰ク忌部ノ神社大社或ハ麻植神
ト号スト云々則此神ナリ
麻植ト号スルノ地ハ内原中村森任飯尾敷地牛島上下島鴨島


この郡の名前は麻植の神社より起こった。
麻植の神社とは延喜式に言われる忌部の神社大神あるいは麻植神
というその神である。
麻植という場所は内原、中村、森任、飯尾、敷地、牛島、上下島、鴨島


西麻植ノ十ヶ村ヲ云ナリ此レ古、麻植ノ本地也
故ニ神代ノ日鷲ノ命麻ヲ植エ荒妙ノ衣
ヲ織シメ給ワ古跡ニテ川ヲ麻漬川ト云イ
其山ヲ神(カウ)ノ山ト云 麻晒石 麻搗石ナント今ニ存セリ
是ヨリ西ノ方ノ縣名川島射立忌部
等麻植ニ属シテ一郡ト成ル
東鑑第六曰文治二年閏七月十二日前廷尉
平康頼法師照西恩澤ヲ浴シテ阿波ノ国ノ
麻植ノ保トナルト云々

西麻植の十か村を言う。これは昔の麻植の元の場所である。
そのため神代の日鷲の命は麻を植え、あらたえの衣を織らせた
古跡の川を麻漬川といい、その山を「神ノ山」(こうのやま)という
麻晒石、麻搗石は現在でも存在している。
ここから西の方の県(縣)名の川島、射立、忌部などは麻植に属して
一つの郡となっている。
東鑑第六に記載されているように文治二年うるう年七月十二日前の廷尉(役職名)
平康頼法師、照西の恩恵によって阿波の国の麻植の役となる







右康頼法師ノ古跡ハ森任村ニアリ森任村ハ則
麻植ノ中村也此所ニ康頼ノ勧請セシ俊寛僧
都ノ塚アリ俊寛僧都ハ薩州鬼界島ニテ死ス
トモ云 国而康頼法師其菩提ヲ吊ラヒ此處ニ
塚オ築ヒテ祭レリト云傳フ

康頼法師の古跡は森任村にある森任村は麻植の中村のことである。
ここに康頼の勧請した俊寛僧都の塚がある
俊寛僧都は薩州鬼界島で死んだといわれる。
国而康頼法師はこの菩提を弔うため、ここに塚を築いて祭ったと伝えられる。


麻植塚村ト称スルハ天ノ日鷲ノ命ノ御陵アルガ故ノ名ナリ
其ノ處ハ麻植郡麻植塚村ト云
麻植塚ノ御陵アルヲ以テ知ルベシ
古老ノ傳ニハ上古御塚 神(カウ)ノ山ノ麓ニアリシガ
川水ノ為ニ潰毀セシユエ今ノ所エ移奉ルト云

麻植塚村と言われるのは天日鷲命の御陵(お墓)があるための名である。
その所は麻植郡麻植塚村と言う。麻植塚に御陵があることをによって(そういわれる事を)知りなさい。
古老がいうには大昔、御塚は「神ノ山」のふもとにあったが川の水が(氾濫した)ために
なくなってしまったため今の所に移したという。







麻植塚
コノ御陵ノ後ロハ一面ノ大藪ナリシヲ中古、開墾シテ
民地トナレリシ天正十九年御検地ノ御帳ニモ麻植塚前
同地トアリ
神ノ山北面麻植ノ古宮ノ地字ヲ堂床ト云此神中北五社神
ト云神体五ツアリ此宮ノ後ニヲカダマノ木ト云テ萬葉集
ニ見エタル木アリ享和年間新宮ウツスト云

この御陵の後は一面の大藪であったが相当の昔、開墾して人が住める土地となった。
天正十九年、御検地の御帳にも麻植塚は前と同じ地とある。
「神ノ山」の北面が麻植の古宮の地(である)、字の名を堂床という。
この神を中北五社神と言う。神体は五つあり、この宮の後に「ヲカダマの木」といって
萬葉集に歌われた木がある。享和年間新宮を移すという。

さあ、どうだ。
現代語訳の変な所は無視しろよ。(勝手だね)
俊寛僧都まででてくるぞ。
「神ノ山」が「向麻山」であることは明白でしょう。
くりかえしますぜ、

「天日鷲の命の御陵が麻植塚にある」

だから今日は
「此神中北五社神ト云神体五ツアリ」を探してたんですが、やはりよく判らなかったんです。
また、
「ヲカダマノ木ト云テ萬葉集ニ見エタル木アリ」
については「おがたま(招霊)の木」のことですね。
これも5月から6月に花が咲くらしいので探してたんですが、見つかりませんでした。
もう一度行ってみなくてはいけませんね。
ただ「おがたま(招霊)の木」については万葉集を全部繰ってみたんですが、それらしい
木が見つかりません。疑問です。
どなたか「おがたま」「おかだま」の木について万葉集のどこに載ってるのか教えてください。

それにしても「向麻山」は面白い。これだけじゃ済ませませんよ。


ハメット、チャンドラーはお好きですか。

こういうのを「フェイク・エンディング」っていうんだぜ。

夜の静寂の中でまた遭おう。


2 件のコメント:

  1. おはようございます♪
    「向麻山」が面白くなりそうですネ!!
    忌部が「麻」を精製した磐座の「麻搗石」「麻晒石」があったらしいのですが、「麻名用水」の開墾時に壊されてしまったとか・・・。
    ぐーたらさんの資料をコピーして、周辺をさらに深く探索してみたいと思います♪
    (●^o^●)♪

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  2. to すえドン さん
    こんばんわ
    「向麻山」面白いです!
    忌部の地がだいぶ東寄りになってきました。
    このあたりまでだと家からも行きやすいんですが。

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