2014年3月21日金曜日

善入寺島(粟島) 浮島八幡宮(3)END

前回までをお読みでない方は
善入寺島(粟島) 浮島八幡宮(1)
善入寺島(粟島) 浮島八幡宮(2)
を見てから戻ってきて下さいませ。
と、一部記事の訂正です。
浮島八幡宮の前に池があったと思ってたんですが、すえドンさんにご指摘いただきました。

浮島八幡宮があった岩場を爆破した跡だそうです......。
マジでムチャクチャやねぇ.......。
爆破に使った火薬庫が史蹟になってるし。

なおかつ爆破跡、神社跡は再利用するとかではなく、囲んで入れなくしてしまうんですから、何をか言わんや。
これは北岸の「山ノ神」神社も同じ。
こうやって囲んであるだけで、跡は荒れ放題.....。
浮島八幡宮の方は痕跡を消したかったとしか思えない状況です。

さて、改めて「粟嶋史」に目を通してみますと、このような記載があります。

武布津の神が出雲を平定して天照大神に奉告するために事代主命を道連れにして阿波に来た。一行は讃岐の志度に上陸して日開谷を過ぎて伊笠山付近に来た。そのとき忌部族は高天族等の不意の進入を咎めて小ぜり合があったが、やがて忌部族天日鷲命は武布津神のために休息所を今の香美に建て事代主命を自分の妹阿波咩(あわめ)の館に迎えた。本須賀(善入寺島)の八條宮(現在の粟島神社)は阿波咩の遺蹟である。

結構、腰が抜けそうな内容ですが、この度は詳しい説明はスルーしますが(また卑怯モンだって言われるのが目に見えてますけど、これ説明してたら65回シリーズになるんでパスね)
ここで「阿波咩(あわめ)」の名が現れています。
天日鷲命の妹との説明がされておりますが、記紀等の書物に、この「阿波咩(あわめ)」の名が出てきた事はありません。
聞いた事ないでしょ(ふつーの人の話よ、ここらに寄ってくるふつーじゃない人は「なんでぃ」なんて言うから困るんですがねぇ)。
では、御祭神として祀られている神社はあるのか?
「あります」
 東京都神津島の「阿波命神社」。

御祭神は「阿波咩命」
由緒として
阿波咩命は三島大社の本后にして神異を顕し、島を造りて其の造れる島に鎮座し
給う事は續日本後紀に承和七年九月乙末伊豆國言ス賀茂ノ郡有造作島本名上津島。
此島に坐ス阿波神ハ是三島大社本后也。又坐ス物忌奈ノ命ハ即前社ノ御子神也。
とみえ三宅記に神津島に置給う后をば長濱の御前とぞ申しけるとあり。
古き上梁文に長濱大明神輿奉申御神者當鎮守神集島定大明神御母神也とあるにて
明かなるべし。

変な人のブログの変なタイトル「すいませんでした(おまけつき)
にこの記載があります(笑)

また「鬼籠野村(おろのそん)郷土誌」にも「阿波女(阿波咩)」の記載があり
 

粟國造家の祖神は「阿波女(阿波咩)」であると書かれています。
どちらにしても「阿波咩命」の名は伏せられ「天日鷲命」の名のみが御祭神として伝えられた訳です。
同様の例は、すぐ近くの川島町の「鎮守八幡神社」にも見られます。
吉野川市川島町大字児島字池北の「鎮守八幡神社」
境内の由緒書によれば

もとは秘羽目神社と称して、現在の社地の南側に鎮座していたが、天正年間、武士の起こした戦により火をかけられ神宝・社記など社殿とともにすっかり焼失した。その後、現在の位置に式内日羽女(ひわめ)神社として再建した。ところが、蜂須賀氏が阿波藩(徳島県)の領主となり、式内日羽女神社の社号はさしつかえがあるとされ、なまえを変えるように申し渡された。その結果誉田別命を合祀して、鎮守八幡神社と改称したのであると伝えられている。

式内社に比定される程の社名を変えろとのお達しが出ていたのです。
まあ、秘羽目神社の比定社は鴨島町の「中内神社」もそうなんですがね。
どちらにも「日和女」の字名があり、どちらにも「秘羽目塚」があるんです。
写真は川島町「鎮守八幡神社」近くの「秘羽目塚」。
「阿波咩」「阿波女」「日和女」「秘羽目」どれも同じ祭神を示しているのではないか、そんなことを考えてしまいますが、妄想だけで先に進まないのが、お茶目なトコロですね(笑)
そんな訳で、これほどの由緒を持つ、粟島の浮島八幡宮でありますが、ボクは粟島が粟がよく実ったので「粟島」と名付けられ「阿波國」の語源となったという説は違うと思います。
「阿波咩命」がいたから「阿波島」と名付けられ、「偶然」粟が良く実ったのと、「阿波咩」の名を何らかの理由で隠すために「粟」の文字を付けたのだと...
だから「阿波」の名は元々の名ではなかったのではなかろうかと...

無論、結論が出るはずもないので、この辺りで浮島八幡宮の講釈、お開きとさせていただきたいと思います。
お土産は「アメリカ」の写真といたしましょう(笑)
善入寺島(粟島) 浮島八幡宮(2)の地図をみてね。
車で入れないので、延々歩いたのよ〜。

11 件のコメント:

  1. ぐーたらさん、大作お疲れ様ですヽ(^o^)丿
    思えば二年前の4月に伊豆諸島「神津島」へ行ってから「阿波咩命」が認識できるようになりました(笑)♪
    今「粟島」について、一生懸命調べています(*^_^*)!!
    貴重な資料、勉強になりました(●^o^●)♪

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    1. 「神津島」のこと、房総のことも、たっぷり書いて下さいませ。
      楽しみにしてます。

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  2. 電話番のフー2014年3月21日 15:19

    ぐーたらさん、おひさコメです(^O^)
    勉強になりました。
    阿波咩命って大気都比売のこと?
    事代主命の奥さんは大気都比売?
    ・・・・ですか?

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    1. まだ納得がいかない事がいろいろありますので、そこらの事はまだ書けませんのです。
      で、タカシ小僧の話はされたんですか?

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  3. お久しぶりです。
    阿波咩命が御祭神として祀られている神社は
    市場町八幡の粟島神社もあります。
    祭神は天津羽命となりますが
    阿波咩命・阿波波神・阿波神・阿波津比売命と同一神だそうですね。

    阿波国もこの神様の名前で郡国名がはじまったと言う別の説があるみたいですね。

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    1. 遅くなりました。
      土佐之国史料類纂である「皆山集」に
      「天御梶日女神(味鋤高彦根命の后神であり、天津羽々神と同一)
      (亦名 阿波咩命、阿波々神、阿波神)」とあります。
      「阿波咩命」は「天津羽々神」
      「天津羽々神」は「別名 天石帆別神 天石門別神の子」なので
      櫛石窓神(くしいわまどのかみ)、豊石窓神(とよいわまどのかみ)
      あるいは「天太玉命(あめのふとだまのみこと)」の子であります。

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    2. しまった、これは別に書こうと思ってたのに(笑)

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    3. 昨年の七夕に阿南であった、
      「古事記出雲シンポジウム」で出会った木屋平出身のNさんという方が
      「櫛石窓神、豊石窓神は木屋平で祀られている」と教えてもらったのを思い出します。
      ほかにも、昔「八咫鏡」が穴吹の鏡神社にあったが岡本韋庵が「この事は黙っておこう」と言った等、色々なことを知っているようでしたが、木屋平の話は「人が大勢来て木屋平を荒らされると困る」と言う理由で教えてくれませんでした。

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    4. 徳島の人間はそんなところがあると思います。
      大事になるからとか、人が来るからとか、隠すんじゃないけど改めて事実を表に出すのを嫌ってるような気がします。
      それがいいか悪いかは分りませんけどね(笑)

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  4. ぐーたらさん、はじめまして。
    楽しくこの記事を読まさせていただきました。
    ずっとこの地域の近所に住んでいる者です。
    道路に併設されている鳥居やコンクリートの柵に関してですが、
    確か20年ほど前は無かったんですよ。
    でもその後不法投棄の問題が発生し、その案件以降あのような鳥居や柵が出来たと記憶しています。
    ですから鳥居や柵等は「むかし不法投棄があって、その対策として脅しで作ったんじゃない?」などと
    友達に説明していましたが、実は違ったんですね…。
    勉強になりました。ありがとうございます。
    次回の更新を楽しみにしております。

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    1. お返事遅くなりまして失礼いたしました。
      拙い記事を読んでいただきましてありがとうございます。
      この近辺とは、いいところにお住まいですね。
      柵については、見ていただければ分りますように、旧社地だけが囲まれています。
      確かに不法投棄防止の意味もあると思いますが、それならば本須賀から東、アメリカ付近や西方面では児島須賀の辺りも囲まれていなくてはならないはずです。
      だから.....
      ね(笑)

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