由良の門(と)を 渡る舟人 かぢをたえ ゆくへも知らぬ 恋の道かな
と、高尚に始まりました。
小倉百人一首に詠まれています曽禰好忠の歌です。
出典は新古今集巻十一とのことですが、まだ確認できてません(えへ)
ただ、小倉百人一首に詠まれてる事はすぐ分りますよね。
で、この曽禰好忠なんですが、どういう人かというと
曾禰 好忠(そね の よしただ、生没年不詳)は、平安時代中期の歌人。出自については未詳。中古三十六歌仙の一人。長く地方官である丹後掾であったことから曾丹後(そたんご)とも曾丹(そたん)とも称された。 Wikipediaより
とあります。また脚注に
古代氏族としての曾禰氏(曾禰連、曾禰造、曾禰宿禰)は物部氏の一族とされ、『新撰姓氏録』でも石上同祖(左京神別)、饒速日命の六世孫伊香色雄命の後裔(右京神別)、あるいは采女臣同祖(和泉神別)との記述がある。但し、好忠が物部氏族の曾禰連に連なるのかどうかははっきりしない。
とあり、要はよくわからないってことですね。
長保五年(1003年)に七十数歳だったということなので、延長(923年)の終わりから
承平(931年)頃の生まれでしょう。
この曾禰 好忠のことを調べてた訳じゃないんですが、中王子神社にある粟凡直弟臣の墓から
粟凡直一族のことを調べてました。
もちろん阿波藩勅命版「阿波国風土記」よりです。
その中に「阿波国舊世縣主及國司領家歴代記」という項目がありまして
(タイトルだけでわくわくするでしょ?)
その中の一文にあります。引用しましょう。
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孝謙天皇ノ朝天平寳字二年此年粟凡直トス従五位豊野眞人
篠原為阿波守府中村ノ西南ノ地ニ國●ヲ造リ玉フ故ニ長田別ノ
御子孫舊府天城ヨリ御私領海部曽称ノ(ノがあるかはっきりしない)縣ニ退キ玉フ故朝廷ヨリ
曽称ノ姓ヲ賜ル曽称ノ好忠ハ此後胤也百人一首ノ歌
由良ノ門ヲ 渡ル舩人
楫ヲタエ行衛モ知ヌ
戀ノ道カナ此御歌深味ハヘ(「ヘ」か?)此後國司五年ニ交代トナル●レ守一人介一人
掾一人目一人史生三人郡領大小アリ地頭領家ト如故
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厳しいなあ、出てこない字がたくさんあります。
画像を見てください。ちょっと拡大図は解像度がバラバラになってしまいましたが。
見れば分ります。ここでは「曽称ノ好忠」となってますが
「由良の門.......」で始まる歌を詠んだ歌人と言えば「曾禰 好忠」しかいませんよね。
「粟凡直」にかかるのか「豊野眞人篠原為阿波守」に掛かるのかがこの文脈では読み
切れませんが、それが「曽称ノ好忠ハ此後胤也」、後胤つまり子孫であると明記されてます。
出自は阿波だと断言できますね。
また「海部曽称ノ縣ニ退キ玉フ故朝廷ヨリ曽称ノ姓ヲ賜ル」とありますよね。
「海部の曽称の県(地方)に退いたので、朝廷より曽称の姓を賜った」
ここにある「曽称」は「曾禰」と同義でいいと思いますが、この時「曽称」「曾禰」
姓を賜ったのであるならばWikipedia注釈にあるような
「古代氏族としての曾禰氏(曾禰連、曾禰造、曾禰宿禰)は物部氏の一族とされ...」
という解釈ができなくなってしまします。
つまり曾禰 好忠は一般的に言われている、物部氏の系譜ではなかったのでしょうか?
それともニギハヤヒミコトが祖先であると言われる物部氏の出自自体が阿波にあった
ということでしょうか?
謎が謎を呼んでしまいましたが、少なくとも出自が全く不明である曾禰 好忠の祖先が
阿波人であったという説の一石を投げる事ができたと思ってます。
これって結構すごくないですか?
偉い?ほめて、ほめて。(by 幼児返りをした ぐーたら)
この前後の文章にもつつきたい所はあるんですが、夜も更けた事ですし今日はこのあたりで。
おはようございます♪
返信削除早朝より凄い内容に驚いています。
物部氏は阿波の出身・・・。
歴史をたどると阿波にたどり着きますネ。
これから高知へ走ります・・・。
to すえドン さん
返信削除最近お忙しそうで、大変ですね。
お体に気をつけてください。
こんな記載が脈絡も無く出て来るので。困るやらうれしいやら。
何回か書いてしまってますが、こんな話裏付けの取りようも
ないじゃないですか。
>物部氏は阿波の出身・・・。
そう見えてしまうでしょ?
でも、本当にそうだったらタダゴトじゃすみませんぜ。
ぐーたらさん。おはようございます。私はニギハヤヒに分けもなく親近感を感じていて・・。曽禰・・物部・・ニギハヤヒ。・・字が微妙に違いますが、那賀郡那賀町に「曽根」姓が残っています。鷲敷から木頭、そして四足を越えると高知県物部村!・・また私の知っている「曽根」さんは「うちんくの一統は・・」と「血統」について話すことが多かったことから、本当は何か言い伝えられてきたのかも・・。あの早食いの「ギャル曽根」も、はじめてテレビチャンピオンで見た時、「あれぇ~。この子徳島のこおとちゃうんでぇ~?」と思いましたが。私の記憶のなかにある、徳島県人のひとつのパターンの顔つきだったので・・。・・まあ、「海部曾称ノ縣」からして那賀郡はかなり濃いと思います。
返信削除あっ。ほめてあげるの忘れたので・・。「よしよし。ようがんばったでないで。もうちょっとがんばりよったらな、ようけよその地域の方もきなさんりょんけん、ほらええことあるは。ようがんばりなさった。」・・・これでどう?
返信削除to イコピコのひとりごと さん
返信削除>那賀郡那賀町に「曽根」姓が残っています。
そうなんですか。それは知りませんでした。
「海部曾称ノ縣」から高知県 野根のあたりまで何らかの関連があるんでしょうが、残念ながら南の方面はちょっと疎いのです。
今後調べなくちゃいけない事柄ですね。
>よしよし。ようがんばったでないで。
わーい、わーい、ほめてもらっちゃった!!
って、ね。
でも、褒め言葉は、言霊(ことだま)として最高級ですので、ありがたくお受けいたします。
ぐーたらさん。「言霊」。絶対たいせつですよね!私もそう考えております。・・「海部曾称ノ縣」はおっしゃるとおり、高知県野根、生見のあたりまでかと考えています。・・それから、ひとつ思い出した「言葉」に残る「海部」族の特徴のうち、顕著なものとして、疑問詞の「ケ」があります、例えば、「あるのですか?」を徳島市内近郊では、「あるんで~?」とか「あるで~?」といいますが、海部族の濃い地域では、「あるけ~?」と変化します。これは太平洋沿岸の漁村で、相模湾沿岸でも顕著に使用しています。まさに「海つながり」なのです。現在私の住む相模湾の漁村では、今から50~60年前は、伊勢、南紀、安房の漁村同士で嫁、婿のやりとりがあったそうです。漁労の知識、観天望気、漁具等の呼び方等になると、日本沿岸みんな海部家族になります。近年欧米の言葉も老漁師はふつうに使います。例えば、「舟を前へだ」と、GO AHEAD
返信削除が「ごーへぃ」になるように・・。だから「ことだま」たいせつにしたいです。ながくなってすみません。(ぺこりっ)
Bloggerヘルプで調べて、私のブログの「お気に入り」に表示することができましたので、お知らせします。
返信削除to のらねこ さん
返信削除ありがとうございます。
お忙しそうですね、無理をしないでくださいね。