2010年4月12日月曜日

当たり前だと思ってました

今日はバテバテで書くつもりは無かったんですがちょっとだけ。
例の物についてはもうちょっと調べてから書きます。

最近、間違いに気付きました。
どうも自分が当たり前だと思ってる事が他の人にはそうでない。
特に他県の人のブログを見てるとそうとしか思えない事が多々あり
まして、こんな考えに至っております。

例えば
「万葉集注釈」いわゆる「仙覚抄」にあるところの「阿波風土記」逸文。

阿波の國の風土記に云はく、勝間井の冷水(しみづ)。此より出づ。勝間
井と名づくる所以(ゆゑ)は、昔、倭健(やまとたける)の天皇命(すめらみこと)、乃(すなは)ち、大御櫛笥(おおみくしげ)を忘れたまひしに依りて、勝間といふ。粟人は、櫛笥をば勝間と云ふなり。井を穿(ほ)りき。故、名と為す。已上。
萬葉集註釋 卷第七

有名な勝間の井戸についてなんですが。
倭建命が大御櫛笥を忘れた場所というので阿波風土記に曰くと
の記載があるのに
阿波じゃないように思われております。
倭建命は尾張から焼津、相模から上総はたまた武蔵、上野と巡り巡って三重県亀山市の能煩野で亡くなり白鳥は羽曳野へ飛んでゆく、と言われており阿波の付け入る隙は全くございませんね。

で、萬葉集註釋の勝間井、あんまり近所すぎて意識すらしておりませんでした。
というか頭の中では倭建命がいらせられましたのは既定の事実だったのです。

前置きが長いですね。
まず萬葉集註釋 第七巻

















該当の部分です。

次に家から自転車で5、6分のところにあるここ。
見ての通り住宅地の真ん中。スーパーに買い物に行くときなんか
この附近を通ったりします。






















「舌洗いの池」と
呼ばれてます。























中の島に鳥居があり神社が祀られております。

説明書きがこれ。























説明はいりませんね。1185年の時点で「勝間の井戸」と呼ばれているのです。
場所はここ。徳島市国府町観音寺





















白鳥神社へ行ってきました


でも書きました。倭建命の陵(みささぎ)はここからわずか1キロほど。

またこの辺りは古の大城「海城」(あまぎ)があったと言われる場所。

井戸の辺りまでが城内であったと言われています。

これ以上何をいうことがありますか?

国府町観音寺のあたりで年配の方誰にでも「勝間の井戸は?」と聞いてください。

多分知っています。(急に弱気)

疑う人は上記の1185年の記載を疑うでしょうし白鳥陵のことも疑うでしょう。

でも、このようにあるがままに在るのです。

あー疲れた。寝よ寝よ。






4 件のコメント:

  1. イコピコのひとりごと2010年4月13日 0:40

    ぐーたらさん。ありがとうございました。それから本当にお疲れさまでした。私は知らなかったです。「勝間」の井戸!!徳島に、それもこんな目と鼻の先に!!!!・・何故わからぬようにしてあったのか?それとも全ての物事には時があるとでもいうのでしょうか?!今日はとっても寒い日でした。というか、ブログを読ませて頂いて鳥肌が立ってます!!(ゾクゾク)また徳島市内から阿南方面に向かってバイパスを走ると、右側に見える義経の銅像を思い出しました。「スーパーに買い物に行く時・・。」ゴツイです。ほんとうに「あるがままにある。」ですね!日本の歴史がゴトゴトと、音を立てて変わろうとしているようで・・。楽しみです。

    返信削除
  2. そんなに喜んでいただければありがたいですね。
    年に一回、国府町でスタンプラリーのイベントがありまして
    そのチェックポイントになってるぐらい「当たり前」の場所なんです。
    また何か紹介させてもらいます。

    返信削除
  3. ぐーたらさん、はじめまして。
    日開谷と申します。
    以後よろしくお願いします。

    何かとゆかりのある方のブログから、こちらへ飛んでまいりました。
    今回のぐーたらさんの大発見(風土記)に、非常に驚いています!

    返信削除
  4. こちらこそよろしくお願いします。

    >今回のぐーたらさんの大発見(風土記)に、非常に驚いています!
    ありがとうございます。
    内容についても紹介していけたらと思ってます。

    返信削除