さて、ここにスタンフォード大学のサイトがあります。
http://stanford.maps.arcgis.com/apps/SimpleViewer/index.html?appid=733446cc5a314ddf85c59ecc10321b41
明治時代の日本の五万分の一スケールの地図が見られる貴重なサイトです。
鴨島近辺を見れば、このように明治二十九年に初回の測量が行われたことが記載されております。
無論、呼称です。古伝をみても「俗に鴻山と書く」とありました。
漢字辞書を見ると
形声文字です(氵(水)+工+鳥)。「流れる水」の象形(「水」の意味)と
「握る所のある、のみ または、さしがね」の象形(「物を作る」の意味
だが、ここでは、「洪(コウ)」に通じ(同じ読みを持つ「圜」と同じ意味を
持つようになって)、「大きい」の意味)と「鳥」の象形から水の上や水の
近くで生活する大きな鳥「おおとり」を意味する「鴻」という漢字が
成り立ちました。
とあるので、意味としてはあてはまります。
でも、この地図には「向麻山」に神社のマークは二つしかありません。
龍眼神社と國中神社ですね。
ここに「天日桂神社」が加わり、下図の伝承に当てはまるのなら「天日鷲命」は実在したと言ってもいいのかもしれないのではないでしょうかと思う今日この頃を過ごしております。
(さあ、なんとでも言え。ワタクシは、ここらをはっきり言わないヒキョー者なんですよぉぉぉぉぉぉぉ(笑))
で、ワタクシもちょっと勘違いしてたんですが「麻植塚」といえば、ほぼ「JR麻植塚駅」近辺を想像してしまうんですが(下地図参照)
実際はこのように「向麻山」の一部を含む範囲なのです。なんと麻植塚駅は「麻植塚」じゃなかったんですね。
つまり「天日桂神社」と「天日桂神社」が斎く「方向」は「御陵のある」「麻植塚」に属する訳ですね。
念を押せば、この方向(笑)
「ここに天日鷲命の御陵あるや無きや」
それは、まだワタクシには分かりません。(←ヲイヲイ)
ただ
このような会が、静かに動き始めたのは事実なのです。
また、なんらかの進展があればワタクシのできる範囲でご報告したいと思っております。
(一旦)終わり。
あ、忘れ物
抜き差しならなくなったのではないでしょうか
ぐーたら様、ごぶさたしております。当方、この件に関しましていくつかの疑問がございます。
返信削除まず、「天日桂神社」という名称の謎です。特に麻植郡麻植塚の地において「天日鷲命」の神名を隠す必要もなかったものと考えます。また、同じく祭祀されている「黒高大明神」の謎です。(黒高は黒鷹でしょうね。)この黒高大明神はどの神に比定するとお考えですか?
なぞなぞはさておき、私も向麻山自体は天日鷲命の御陵であると考えております。ただ、当地(天日桂神社)については、向麻山より下してきた遥拝所だったのではないかと考えます。
またいろいろとご教授くださいませ。
いやいや、これは今をときめくawa-otoko様ではございませんか。
削除「天日桂神社」の社名については、単純に階位の名をつけなかっただけだと考えております。
土成町の「三木武夫」像に「第66代内閣総理大臣像」と命名しないのと同様ではないでしょうか。
麻植郡麻植塚の地だからこそだと考えております。
では「天日桂神社」はなんだ?と問われれば「今は分かりません」と正直に答えるしかないんですけどね(笑)
黒高大明神についても思うところはありますが、これも「もうちょっと待ってね♡」としか今は申し上げられませんので、ご容赦を。
で、「向麻山より下してきた遥拝所」のご意見には諸手を挙げて賛同いたします。
比定地も一応見当は付けてあるのですが、それはまた今度ね。
資料を掘り起し 現地を調べ 埋もれた歴史に陽を当てる。
返信削除みなさんの地道な努力には ほんとうに頭が下がります。
その成果を見せていただいてお勉強するのが精一杯です。(いや、それすらついて行けてないですが)
それにしても、投稿の素晴らしさに加えて コメント欄までなんと豪華なこと!目が♡になりそうです。(笑)
一緒に掘り返しましょう(笑)
削除北方はお任せします。なかなか、あちこち手が回りません。
葛城神社なんてどうですか?
ぐーたら先生、御冗談を!無茶振りはやめてください(笑)
返信削除葛城神社については↑のあの方が継続調査中のはずですので、気長に待っております(^m^)