2011年5月22日日曜日

品陀真若王社跡

もう何も言いますまい。
色々ありすぎて、全てを書く事は不可能です。
皆様お世話になりました。特にアミーゴMr.H。

場所はここ

より大きな地図で 品陀真若王社跡 を表示
品陀真若王(ほむだのまわかおう)つまりは応神天皇の社跡です。

そして石井町のこの近辺には応神天皇こと品陀真若王の后、三女王が祀られております。
まずは高木之入日売命(たかぎのいりひめのみこと)を祀る東王子神社。


続いて中日売命(なかつひめのみこと)を祀る中王子神社。

弟日売命(おとひめのみこと)を祀る(西)王子神社であります。

この三后を祀る神社が揃っているのは全国どこを探してもここにしかありません。
そしてその西王子神社の近くに品陀真若王(ほむだのまわかおう)社跡。
裏山には陵(みささぎ)があるともいわれますが、今日はさすがにそこまでは。
まずは皆様へのお礼かたがたご報告まで。

あとは、あの激ヤバのポイントの説明を書きますが、日を改めさせてね。
(誰に言ってるんだ)





10 件のコメント:

  1. サクラサク48692011年5月22日 23:06

    ぐーたらさん、こんばんは。
    OH!わかったのですね。それは良かったです。
    私は何もわからぬゆえ・・・

    ところで「M山」ってどこにあるのですか?
    気になります(笑)

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  2. to サクラサク4869 さん
    ちょっとね、大変だったです。
    で、「M山」
    それ、北の方ですよ。
    お城の形の、あれがあった。

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  3. 伊古彦ちゃん2011年5月23日 6:20

    ぐーたら先生。おはようございます。(笑)
    ・・・やっぱり激ヤバでしたか?
    既に、北向一願地蔵尊は、あまりにも気味が悪い。って言うか怖すぎ~。私はお地蔵さん好きなんですが、深入りしないことにしています。だって、六道救済のご請願を立てられて、修行僧のカタチを取られてるということに、どんな意味があるかというと・・・・・。
    ヤバいものが苦しくて寄って来るということですよ。(ゾクゾクッ)

    ああ。サクラサク4869さま。こんにちわ。(ぺこり)
    あの、徳島の誇るあの有名な先生の博物館があるところですよ。
    >お城の形の、あれがあった。
    ええっ?無くなったのですか?

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  4. スミマセン。
    土地勘のないワタクシめにはついて行き難い、
    そんな会話が続いているようですが、
    しかし内容的には興味津々で、何か凄そう...
    個人的には、是非とも裏山の陵を、と思います。
    しかし、ホムダ様の三后が揃い踏みとは、
    これはもう驚き以外に何がありましょうか!

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  5. to 伊古彦ちゃん
    こんばんは。どうも昼夜が逆ですね(笑)
    T大先生の資料館は去年文化の森に移転いたしました。
    資料館前にあるご夫婦の碑を残して・・・
    釈然とはしませんが、文化の森の方が人は集まると思いますので。

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  6. to 猫の兄弟 さん
    こちらこそ、超ローカルネタで申し訳ありません。
    でも、品陀真若王の三后が車で10分かからないほどの範囲に祀られて
    おりますのは事実でございます。
    陵はもう一度調べてみたいのですが、ここ車が置けないんです(涙)

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  7. はじめまして、趣味趣味で陵墓研究をしている者です。
    早速ながら、重箱の隅を突っつく様で申し訳ないですが、品陀真若王は、応神天皇(品陀和気命)皇后中日売命(仲姫命)らの父、すなわち応神天皇の義父に当たりますね。
    余談ながら、浦庄字国実(もともと中須賀にあった)には、応神天皇(品陀和気命)らを祀る八幡神社があります。
    それはさておき、品陀真若王およびその三女(応神天皇の妃)にまつわる社があり、さらに真若王の陵墓!?がある事は、かつて四国に住んでいながら知りませんでしたし、私が管理する陵墓関係データHPにも未登載でした。
    今回、記事を参考にHPにデータ掲載させて頂きましたので、今後よろしくお願い致します。
    ありがとうございました。

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  8. to ぽん さん
    はじめまして、よろしくお願いします。
    徳島市の応神町は応神天皇ゆかりの地と言うことで、地元の希望により古川村より応神村となったそうです。また珍成(ちんなり)の地名も残っております(判るでしょ)。
    そして応神天皇を祀る「別宮八幡宮」があります。
    香川にも引田に「誉田八幡宮」があり、社殿では河内の「誉田八幡宮」から勧請したとのことですが、この河内は大阪のことではありません。
    履中天皇時代に、讃岐国造・阿波国の脚咋別の祖にあたる鷲住王という豪族が讃岐の住吉邑に住んでいたということもあり、応神天皇(品陀真若王)が讃岐、阿波で「いた」ことはかなり信憑性が高いのではないでしょうか。
    といいつつ品陀真若王社跡については一般的には認知されてないと思われますので(笑)そこんとこご注意を。

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  9. コメント返しをありがとうございます。
    これまで、応神町の由来について深く考えた事が無かったのですが、ここまで応神天皇(品陀和気命)関係の社(遺跡)が集中しているのが驚きでした。

    ところで、貴兄の記事本文&コメント返しでは、品陀真若王を応神天皇とお書きになってますが、その根拠を御教示下さい。
    少なくとも、品陀真若王(景行天皇皇孫)と品陀和気命(応神天皇)は、同一人物では無いと思われますが、どうでしょうか。

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  10. to ぽん さん
    すいません、完全に勘違いです。
    本文の方は書き間違いです(汗)
    ちょっとバタバタしてまして、コメントの方は何にも考えずに書いてしまいました。誤解を招いてしまいまして、お詫び申し上げます。
    また、改めて応神天皇と品陀真若王その系譜等については書くことも考えておりますので、その折には何かとご指摘ください。

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