徳島市南佐古七番町の椎宮八幡神社のツツジがそろそろ見頃かな、ということで
行って参りました。
まあ、徳島市内の方は「あえて」椎宮八幡神社へ行こうとする方も珍しいんじゃ
ないですか?
場所はここ。
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御祭神 品陀別命、木花咲耶姫命
応神天皇とは書かれておりません。
寛文年間(1661~73)名東郡矢三村(古八幡)より当地へ遷座と伝わる。
境内入口の大鳥居は弘化四年(1874)の銘があり、藍商たちの奉納になるもので
もと椎宮の馬場口にあったが国道拡張工事で昭和38年現在地へ移建された。
徳島県神社誌より
中腹から見た馬場口までの参道ですが、この道が国道192号線と交わる辺りに
大鳥居があったとうちの親が申しておりました。
下の地図にマークを付けてみましたが全長500メートルを超す門前町らしい
参道があったようです。
(さすがにその頃の事は知らんもんね)
この佐古の地名でありますが、古くは水際であった事より、狭い場所である
狭(さこ)から佐古となった事はご存知の通りです。
古くは以乃山(渭ノ山、猪山)と呼ばれ、山際に沿って旧跡が点在している
事もご存知とは思いますが。
余談ですが「よしこの」の「以乃山通れば石ばかり」というはやし詞は非常に
意味深ですよね。
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そこらはさておき、神社駐車場に車を置いて表参道からではなく裏山から登って
いきますと、ここらのツツジはほぼ満開でした。
結構登りがいのある坂道ですが、花など愛でながら登っていけば苦しさなんて
苦しさなんて、苦しさなんて・・・
「く、苦しい・・・」
いやいや、そんな事はございません。
でも、表参道側の小道はまだ七分咲きぐらいでしたかね。
今度の三連休あたりが見頃じゃないですか。
さて、見るもの見たら次は・・・
じゃなくて、見るべき所は多々ございまして、わたくしめも非常に参考にさせて
いただきました「古語拾遺新註(こごしゅういしんちゅう)」の著者である
江戸時代の国学者 池辺 真榛(いけべ まおり)大先生の碑とか
徳島藩士、国学者。池辺光友の長子として生まれる。安政6年、藩主蜂須賀斉裕に
召されて江戸に行き、政道の諮詢に答えたが、他に任用を妨害され、空しく帰郷。
文久元年、南佐古町の某家に寄寓して著述に従事し、また志士と交わって国事を
談じた。
3年春、小杉榲邨とともに藩政を非議した罪で、7ヶ月余藩邸に幽閉。
9月8日、急病のため歿した。
毒殺されたなんて噂もあるようですが、ここではさておき。
境内社である「中嶋神社」
由緒を見ますと天日槍命の五世の子孫であり「菓子の祖神」となっている
田道間守命(たじまもりのみこと)が祀られております。
一般的には兵庫県豊岡市の「中嶋神社」の分霊と思うでしょうけど、この「中嶋神社」
の創立が推古天皇の御宇ならば、兵庫県豊岡市の「中嶋神社」と同時期であることと
養蚕の神ともされている事、また天日槍命からの系図を考えると・・・
今日はもういいかな。せっかくツツジ見に来たのにね。
で、最後に元社である「古宮八幡神社」の画像を。
場所はここ。徳島市矢三町高見229
行ってみるような物好きな人は少ないと思いますが、車では行けません。
駐車する場所がありません。大分手前に置いて歩くしかないです。
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樹齢千年の楠木がある、とされていますが、もちろんもうありません。
あれば県指定記念物になってます。
なぜ、ここから遷座されたかは分りません。
(というか、まだ調べてません。すんませんね)
でも、この町中の寂れた神社が「古宮八幡神社」の名の通り「本物」で
ある事は間違いありません。
実は、この神社よく知ってるんです。その昔は夏祭りの時などすっごく賑わってて
浪花節の弁士なんかも呼んでました。
今から45年くらい前までは。
何で知ってるかは内緒です(笑)
ですので、椎宮八幡神社のツツジを見に行くのなら5月の3、4、5日か7、8日
くらいがちょうどいいですよ、というお話でございました。