2018年5月4日金曜日

倭の神坐す地(3)

倭の神坐す地(1)
倭の神坐す地(2)
からの続きです。

さて、「倭の神坐す地(1)」で「大物主」について古事記、神代巻 大国主の段を引用いたしました。

故、爾れより、大穴牟遅と小名毘古那と、二柱の神相並ばして、此の国を作り堅めたまひき。然て後は、其の小名毘古那神は、常世国に度りましき。
故、其小名毘古那神を顕はし白せし謂はゆる久延毘古は、今者に山田の曽富騰といふぞ。此の神は、足は行かねども、尽に天の下の事を知れる神なり。
是に大国主神、愁ひて告りたまひけらく、「吾独して何にか能く此の国を得作らむ。孰れの神と吾と、能く此の国を相作らむや。」とのりたまひき。
是の時に海を光して依り来る神ありき。其の神の言りたまひけらく、「能く我が前を治めば、吾能く共与に相作り成さむ。若し然らず国成り難けむ。」とのりたまひき。
爾に大国主神曰しけらく、「然らば治め奉る状は奈何にぞ。」とまをしたまへば、「吾をば倭の青垣の東の山の上に伊都岐奉れ。」と答へ言りたまひき。此は御諸山の上に坐す神なり。

大国主神(大己貴命)とともに国造りを行っていた少彦名神が常世の国へ去り、大国主神がこれからどうやってこの国を造って行けば良いのかと思い悩んでいた時に、海の向こうから光り輝く神様が現れて、我を倭の青垣の東の山の上に奉れと、自分を祭るよう希望した。これが御諸山の上に坐す神である。
との話でしたよね。
この話について「日本書紀」の一書では大国主神の別名としており、大神神社の由緒では、大国主神が自らの和魂を大物主神として祀ったとあります。
つまり、「大物主」は「海を渡ってきた神」であるということなのですね。

さて、話はちょっと変わりまして、皆さまよくご存知の通り、美馬市には「倭大国魂神社(やまとおおくにたまじんじゃ)」という神社が鎮座しております。





由緒は不詳だが、平安時代の『延喜式』神名帳の美馬郡条にある[倭大国玉神大国敷神社二座]に比定される古社で、大国魂命・大己貴命を主祭神とする。その御神像は、高さ一尺ほどの剣を杖きて立つ神人の木像で、厨子の背後には、[大島郷倭大国魂神社]の墨書があると言う。小笠原氏が崇敬した神社でもあった。『日本書紀』の第10代崇神天皇紀6年に「天照大神・倭大国魂、二神を天皇の大殿の内にお祀りしたとある。」が、『延喜式』で[倭大国魂]を冠する神社は他になく、[倭大国魂]との強い関係性が窺える。境内には、古墳時代後期(6世紀)の3基からなる大国魂古墳群が築かれ、開口する横穴式石室(全長4.6m、高さ2.2m)をもつ1基が「大国魂古墳」で、段の塚穴型石室の中でも最も古い特徴をもつと考えられている。神社北側の吉水には[吉水遺跡]があり、弥生後期の住居7軒と東西9間・南北3間の掘立柱建物跡等が発掘されている。今後の周辺域の発掘によって、「倭大国魂神社」を成立させた集団の様子が明らかになってくるであろう。

とあります。
主祭神は「大国魂命」つまり「倭大国魂神(やまとのおおくにたまのかみ)」でありますが、この神についてはwikipediaにも

倭大国魂神(やまとのおおくにたまのかみ)は、日本神話に登場する神である。日本大国魂神とも表記する。大和神社(奈良県天理市)の祭神である。
『日本書紀』の崇神天皇6年の条に登場する。宮中に天照大神と倭大国魂の二神を祭っていたが、天皇は二神の神威の強さを畏れ、宮の外で祀ることにした。天照大神は豊鍬入姫命に託して大和の笠縫邑に祭った。倭大国魂は渟名城入姫命に預けて祭らせたが、髪が落ち、体が痩せて祀ることができなかった。 その後、大物主神を祭ることになる件が書かれている。
同年8月7日、倭迹迹日百襲姫命・大水口宿禰・伊勢麻績君の夢の中に大物主神が現れ、「大田田根子命を大物主神を祀る祭主とし、市磯長尾市(いちしのながおち)を倭大国魂神を祀る祭主とすれば、天下は平らぐ」と言った。同年11月13日、大田田根子を大物主神を祀る祭主に、長尾市を大国魂神を祀る祭主にした。
この神の出自は書かれていない。大国主神の別名の一つに「大国魂大神」があることから、倭大国魂神は大国主神と同神とする説がある。『大倭神社注進状』では、大己貴神(大国主神)の荒魂であるとしている。しかし、本居宣長の『古事記伝』では、この神を大国主神と同一神とする説を否定している。神名から大和国の地主神とする説もある。

と、この程度の記載しかありません。
そして「大国魂(大国玉)」の名がつく神社は全国に見られます。
列挙すれば
大國魂神社(武蔵国) - 東京都府中市鎮座。武蔵国の総社。
大國魂神社 (いわき市)(磐城国) - 福島県いわき市鎮座。
大国魂神社(大黒さん)- 堺市堺区 開口神社の境内外社。
大国玉神社 (桜川市) - 茨城県桜川市
大国玉神社 - 三重県多気郡。(式内社)
大国玉神社 - 長崎県壱岐郡。(式内社)
大和大国魂神社 - 兵庫県南あわじ市
尾張大国霊神社 - 愛知県稲沢市
島大国魂神社 - 長崎県対馬市。(式内社)
会津大国魂神社 - 福島県会津美里町。
と、なるわけですが、式内社で「倭」を冠する神社は当然「徳島県美馬市美馬町重清字東宮上3」に鎮座する「倭大国魂神社」一社であるわけですね。
しかしながら、やはりwikipediaに記載の「倭大国魂神社」について

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%80%AD%E5%A4%A7%E5%9B%BD%E9%AD%82%E7%A5%9E%E7%A4%BE

倭大国魂神社
倭大国魂神社(やまとおおくにたまじんじゃ)は、徳島県美馬市にある神社である。日本一社 延喜式式内社 阿波國美馬郡 倭大國魂神大國敷神社二座の論社である。
創建年代
不詳。しかし、崇神天皇6年に皇居内より当地に移遷されたと見る向きもある。
との記載はちょっと飛ばしすぎじゃないでしょうか(笑)

それでは、「倭大国魂神」はどういう神だと問うても
この神の出自は書かれていない
わけなのです。
しかし、「大国主神の別名の一つに「大国魂大神」があることから、倭大国魂神は大国主神と同神とする説がある」ことは憶えておかなくてはならないでしょう。

この辺りを別の資料をかき回してみました。
例えば「岡本監輔」の「名神序頌」ですが

「大国玉即大国主一名」の記載を見るように「大国主」の「荒魂(あらみたま)」であるとの結論となっております。
次に「平田 篤胤(ひらた あつたね)」の「古史伝」に興味深い記載がありました。
山上憶良の長歌を例とし

山上憶良が遣唐使として出立する多治比広成に対して詠んだ歌。

神代より 言ひ伝て来らく そらみつ 大和の国は 皇神の 厳しき国 言霊の 幸はふ国と 語り継ぎ 言ひ継がひけり 今の世の 人もことごと 目の前に 見たり知りたり 人さはに 満ちてはあれども 高照らす 日の朝廷 神ながら 愛での盛りに 天の下 奏したまひし 家の子と 選ひたまひて 大御言 [反云 大みこと] 戴き持ちて もろこしの 遠き境に 遣はされ 罷りいませ 海原の 辺にも沖にも 神づまり 領きいます もろもろの 大御神たち 船舳に [反云 ふなのへに] 導きまをし 天地の 大御神たち 倭の 大国御魂 ひさかたの 天のみ空ゆ 天翔り 見わたしたまひ 事終り 帰らむ日には またさらに 大御神たち 船舳に 御手うち掛けて 墨縄を 延へたるごとく あぢかをし 値嘉の崎より 大伴の 御津の浜びに 直泊てに 御船は泊てむ 障みなく 幸くいまして 早帰りませ

「もろもろの 大御神たち 船舳に [反云 ふなのへに] 導きまをし 天地の 大御神たち 倭の 大国御魂 ひさかたの 天のみ空ゆ 天翔り 見わたしたまひ 事終り 帰らむ日には」

此の部分ですが
平田篤胤、「古史傳」に曰く。

「荒魂大國魂神は、殊に外ツ國の事に預かり給ふ、と云傳のありて詠る事と聞こえたり」

つまり「倭大国魂神は外国に行って治めていた事がある神なので遣唐使の船の舳先に祀られているんですよ」と言っておるのです。


古史伝 二十五巻より

つまり「海から帰ってきた神」であるわけですね。
1.「崇神天皇6年の条」の宮中に祀られていた「倭大国魂神」を宮の外に祀り、祟られたために「大物主神」を祀ることになった件
2.「海から帰ってきた神」である件、上写真の文中にも「和魂大国主神、早く外國に渡御して還り給ひ」とある。
等の理由により「倭大国魂神」は「大物主神」であると考えるのです。

余談ながら「出雲国風土記」に

飯梨郷(いひなしのさと)。
郡家の東南三十二里なり。
大國魂命(おほくにたまのみこと)。
天降(あも)り坐しし時、此處に當りて御膳食(みけを)し給ひき。
故、飯梨と云ふ。神龜三年に、字を飯梨と改む。 



大國魂命(おほくにたまのみこと)。
天降(あも)り坐しし時、此處に當りて御膳食(みけを)し給ひき。
と出雲に降臨したことが記載されております。

では本家本元では、どのように伝わってきたのかと言いますと
大正六年発行の「重清村誌」によると


で、このページの必要部分を集約いたしますと



こうなります。
「大國魂命」は「大國主」又の名を「大物主」。
念のため「阿波志」の画像を出しておきます。

延喜式亦小祀と爲す重清村谷口里に在り即ち廢城の東麓なり
神代紀註に一書に云ふ大國主神又の名は大物主神、又は國作大己貴命と號す又は葦原醜男と曰、又は八千戈神と曰、又は大國玉神と曰、又は顯國玉神と曰
其祠舊大祭料十緡(こん)、城主小笠原氏所割、兵燹に罹り小祀と爲る

うん、以上より「倭大國魂命」は「大物主」だと「ワタクシ」は結論付けますのです。

 続く







5 件のコメント:

  1. 今回アップが早いですね!
    体調よくなられたんですかね?
    次回もワクワク(・∀・)タノシミダー

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    1. よくはないんですけどね(笑)
      まあ、頑張っております。

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  2. 多くの方が、
    あなたの研究結果の発表を心待ちにしています
    無理のないところで………よろしくお願い申し上げます。

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  3. 私も倭大国魂神社さんに参拝に行きました。イスラエルと関係あるため大使 も訪れたと記述がありました。

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    1. 柏紋がメノラーに似てるっていう説ですね。
      個人的にはもっと検証が必要な気がします。

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