2017年8月6日日曜日

天日桂神社 御造営祭

の追記となります。
大正11年の麻植郡誌を覗いてみますと。



麻植塚には麻植塚と称する塚があって之に依って地名を生じなのであるとの口碑がある、慶長九年の検地帳にも麻植塚と記してある忌部神を麻植ノ神と称されたると見れば麻植ノ塚があっても差支はないが麻植、塚と称して居る塚を見ると忌部神などの塚とは思はれぬ、忌部神の塚であれば必ず古墳でなければならぬ恐らく後人の附会したる説であらう、麻植は即ち森山村、西尾村附近の古称である 塚は洲處を意味するスカの濁ったものである先須賀、千田須賀等スカを称する地名は吉野河下流の沿岸に甚だ多い、又スカを濁ってズカと称し塚の字を宛てた例は板野郡に佐藤佐野塚、小塚等がある

だそうです。
どなたがお書きになったのかは存じ上げませんが、残念でございました。
麻植塚には古墳とあるべき山がございます。
でも書かせていただきました、向麻山でございます。
同様に、明治時代より向麻山の一部は麻植塚に属しております。
「塚」があっても全くおかしくないのです。
ただ、当時も「忌部神」の塚があったとの伝承はあったことが確認できました。

さて、8月6日に行われました「天日桂神社」御造営祭の模様です。





動画もちょっとだけ撮ってみましたが、ちゃんと再生できるかな?
YouTubeからみた方がいいかも。


次は9月10日に大祭の復活だそうでございます。
何かあれば続く。






2 件のコメント:

  1. お久しぶりです。間違ってるかもって意見さえこうして残っているのは書物であったればこそで、では正史こそ遺しておかないと後世の人が困るんだろうなと思います。そんな計画はないのでしょうか? ネット上だけだといつかすっかり無くなりそうで不安です。一つ広開土王碑みたいに彫り込みますか?(^^)
    もしくはグータラさんが今言えない、知ってしまった事実をパピルスの上に書いて瓶に入れてどっかの洞穴に埋めとけば2000年位して誰かが掘り起こしてくれるかもしれません。でも2000年後も既得損益の関係で解読できるのにしてくれない文書みたいになってる可能性あり(ー ー;)。
    本欲しーなー・・・。

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    1. 歴史の解釈は難しいもので、このような地形・地名なんかは比較的わかりやすいんですが、人の行動とかになると、立場立場で正史が変わってくるんで後世から見ると「むずかしいなぁ」ってなるんだと思います。
      客観的な立場でどれだけ書けるか、頑張ってみますけどね♡
      で、
      >本欲しーなー・・・。
      っていうのは、なかなかの無茶振りですな(笑)
      自作ならできるかも(^^);

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