2012年8月4日土曜日

あなたの知らない「大御和神社」

暑い、暑い、暑いよぉぉぉぉぉぉぉぉ。
35°とか36°とかってなんだよぉ。体温じゃないんだから。
もうどこにも行く気力なんかありません。
ごく近場のネタにしときます。
と、いいつつ、これは取っといた方がいいのでは?との思いがふつふつと。
いや、自問自答なんで気にしないで下さいね。
あなたの知らない「大御和神社」
というタイトルなんですが、そんな事があるはずもなく
「皆さんあんまりしらないでしょ」ってくらいの感じです。
よくご存知の国府町の「大御和神社」じゃなく、石井町石井の「大御和神社」です。
ほらほら、地元の人以外はあんまし知らんでしょ〜(笑)
場所はここ。

より大きな地図で 石井町 大御和神社 を表示
車では置き場所に困るんで、えーと、どうしましょ。
近くにも車の置き場所無いんですよね。
えーと、えーと・・・
車じゃ行かないで下さい。
必殺技はここでは書けません(笑)
本日8月4日は写真のように「輪抜け神事」を行なっておりましたので
ご紹介さし上げます。
無論、ここから車では入って行けませんよ。
県道34号線沿いに「茅の輪」が堂々と据えられております。
ね、「大御和神社」夏越し大祓ってあるでしょ。
で、「茅の輪」を潜って細い道を歩いて入って行きますと。
そーら。
このようにひたすら「ちんまり」と鎮座ましましております。
ご覧のように神紋は、国府町「大御和神社」と同じ「鍵」の神紋。
いわゆる国府町「大御和神社」の「境外末社」であったのでしょうが
直線距離でも3キロは離れてるんですよ。
あるいは国府には「国璽の印」のダミーを置いといて、ここに本物を・・・
なんてことがあれば面白すぎるんですが、そんな話は聞いた事がありません(笑)
それにしても、ちょっと不思議な所ではございます。
あ〜、暑、あつ、アツー。

8 件のコメント:

  1. きよっさん2012年8月4日 15:01

    暑い。暑過ぎマス… ぐーたらさん、こんにちは。

    なかなかディープな場所で幟がなければわかりませんね。
    どこの地域でも宅地化が進み、鎮守の森がある大きな神社しか見つけられなくなってます。
    徳島はご存知の通り、歩けば神社か古墳にぶち当たるところですから、もう少し大事に慎重に土地を扱えばいいのになぁと感じます。
    阿波の封印が解けて、全てが公けになった時に後悔しても遅いですからねぇw

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    1. ここも、相当な参道があったように思えますが、ご覧のように住宅地に埋没してしまって居ります。
      ただ、地元の人のお世話が行き届いているようで、その点安心しました。
      でも気になるのが、というか、もう遅いんですが「月の宮」。
      あのゴルフ場の場所ってどうなんだろ。
      眉山カントリーだって「八人塚古墳」が偶然みつかったから、保存してくれたけど、そうでなければ(ブルブル)
      あと、八万町の七つ山。
      あそこも終わってしまいました。

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  2. タイトルのつけ方がうまくなりましたね。
    どっかの古代史の先生もこれには勝てんでしょう。
    えらい惹かれました。
    ダミー説だってないとは言い切れません。阿波の場合とにかく先入観が大敵ですから。

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    1. 内容の無さをタイトルでカバーってとこですね(笑)
      いや、ボクの事ですよ。S先生の本じゃないですよ(笑笑笑)
      2冊ぐらい持ってますけどね。

      ダミーとはいわずとも、分散して「国璽の印」に類する何かを保管してた可能性は充分でしょう。
      もう一箇所とかあればいよいよなんですがね。

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  3. こんばんは~♪
    てっきり国府の新説が登場するのかと思いました(^O^)♪
    剣山でお会い出来るかと・・・密かに楽しみにしていたのですが(笑)・・・
    8月18日(土)、午後2時からJRT四国放送で特集番組がありますので、ぜひチェックしてください♪
    (*^_^*)♪

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    1. そうなんですよ、剣山行くつもりだったんですけど。
      いろいろヤボ用で、つらいトコです。
      漏れ承りますれば、なかなか面白かったようですね。
      ひじょ〜に残念です。8月18日はぜひともチェックさせていただきます。

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  4. 国府の国府宮には、板碑があります。草むらの中で、しかも小型なものだからだれも相手にしてくれません。板碑度素人の人間が言うのだから仕方がないかもしれないが。
    ただ、板碑ってのは14,5世紀ほぼ確定のシロモノだから、移動されていなければ、そのころの国府宮の姿が見えてこないともかぎりません。

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    1. 阿南市福井町椿地「線刻弥勒菩薩座像板碑」寿永4年(1185)
      名西郡石井町浦庄 下浦「下浦阿弥陀三尊種子板碑」文永七年(1270)
      名西郡石井町高川原字市楽「市楽五輪塔形板碑」弘安八年(1285年)

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