2011年8月11日木曜日

板野町 亀山神社(上)

板野郡板野町大寺字亀山
亀山神社
主祭神 須佐之男命、春日四柱神、日本武尊、船戸神、大山祇命、迦具槌命、倉稲魂命
捲土重来を期して行って参りました。体調は?
うむ、お腹は痛くないぞ。ティッシュペーパーも持ってるぞ。
由緒 もと天王社(須佐之男命を祭る)が前身
神社の付近一帯に古墳が散在し、亀山天皇の御陵とも云われる阿王塚が
神社の裏山にあり、
金泉寺の裏山に「長慶天皇の御陵」と伝える古墳もある。
徳島県神社誌

阿王塚古墳からは画文帯神獣鏡2面が出土しております。
舶載画文帯神獣鏡  


うーん、亀山天皇陵ですか。
Wikiなどを見ますと

遺体は荼毘に付され、嵯峨野にあった浄金剛院や亀山殿法華堂、法皇御願の南禅寺、高野山金剛峯寺にそれぞれ分骨されたが、亀山殿法華堂を以って陵とし、現在は京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町の天龍寺境内にある亀山陵(かめやまのみささぎ)である。法華堂形式の陵である。また、天龍寺に隣接した右京区嵯峨亀ノ尾町の亀山公園には火葬塚がある。

とありますなぁ。金泉寺が長慶天皇、亀山天皇の崇拝篤く、京都の蓮華王院にならった三十
三間堂を設立、さらに千手堂を安置して、山号を亀光山と称したそうですので、それにあや
かったのでしょうか?
まだ、後亀山天皇のほうが陵がはっきりしないだけにありそうかな?
でも縁がないですしね。
それにしても主祭神 須佐之男命、春日四柱神、日本武尊、船戸神、大山祇命、迦具槌命、
倉稲魂命って凄いなあ。
で、近隣の神社が合祀されておりますので、このように地神塔も二つあり、狛犬に
至っては四対ございます。写真は一対だけね。
で、ここまで来て裏山へ行かないで帰ってしまっては、皆様方から非難囂々で石など
投げられてはたまりませんので、炎天下タオルを首に巻いて行って参ります。
二の鳥居から北へ舗装路を登って行きます。車止めがあるので徒歩でね、トホホ。
ん、石段?上に鳥居が?
階段は嫌いなんだよぉ。
あああああ、またしても「歓喜天」。

さて、またも「歓喜天」に魅入られてしまった「ぐーたら」の運命やいかに。

変なヒキを作って下巻に続く。


2 件のコメント:

  1. イコピコちゃん2011年8月12日 5:54

    ぐーたら先生。こんばんは。(ぺこり)
    読ませて頂きつつ、ドキドキしてまいります。
    お忙しい中、私の切なる想いをご採択下さり、誠にありがとうございます。

    実は私、その昔、ここで神秘体験をしたのでした。
    ですから、ことの真実の信ぴょう性については、論ずるつもりは毛頭ありませんが、確かにここには建国に繋がった、大きな謎(霊力の封印)が行われたに違いありません。

    歓喜天といえばぐーたら先生。
    ぐーたら先生といえば歓喜天。
    検索が頻繁に行われれば、
    そのうち「歓喜天のことならぐーたらへ」
    といったバナー等も登場するやもしれませんね。

    いっそ何か断ちモノでもして、ご祈願されてみては如何でしょうか?(笑)  大傑作でございます!☆☆☆

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  2. to イコピコちゃん さん
    ここは凄いっすね。
    下巻も読んでね。

    断ちモノですか。甘いもの断ちでもしましょうか。
    いやそれは医者に云われてるわ(笑)

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