2010年8月13日金曜日

今日、思った事

先に書いときます。今日の記事はつまんないですよ。

基本的には、神社や古墳、史跡などについて自分が言った所、調べた事
などを書くだけにする方針でやってるんですが、今日だけはちょっと
違った事を書きます。

8月15日は終戦記念日です。日本においては、日本政府がポツダム宣言
受諾文書に調印し、無条件降伏を認めたいわゆる第二次世界大戦が終わった
日となってます。

もちろん私自身は第二次世界大戦を経験したわけじゃありません。
間接的にも、戦争によって不利益を被った自覚は全くありません。
ただ、父方、母方両祖父とも大戦によって亡くなっています。
終戦後たくさんの子供をかかえて筆舌に尽くしがたい苦労をしたのは
ある程度想像できますが両祖母ともその話を全くしませんでしたし
祖父がどこで戦死したかすら聞いた事がありませんでした。

父方の祖父については後年遺族手当の手続きをするうちに、「海南島
で重砲の直撃を受け死亡」と書かれた書類を見つけて、ああこれかと
解ったほどです。
また、法事などで昔話を聞くうちに、徳島の空襲の時には佐古に住んで
いて、山に逃げた者は助かり、川に逃げた者は死んだなどの話を断片的に
聞く程度でした。

そう言う事などで戦争に対する実感はありませんが、戦争の悲惨さ、残さ
れた者の苦しさなどについては、充分理解しているつもりです。
もちろん、実際に従軍した方が「そんなもんじゃない」とおっしゃるなら
「無理解でした、ごめんなさい」と言うしかありませんし、家族がもっと
苦労したとおっしゃる方がいても、あやまるしかありませんが。

それでも、最近のゲームやコミック等に見られる描写は、目に余るものが
ありますし、さらに悪いのは「無知、無関心、無理解」でしょう。
ろくなケンカもした事が無い者が言うのも、口はばったいんですが。
今日もNHKで特集をやってましたが、子供はつまらないの一言で終わりです。
安っぽい小説や、ブログなどにも、訳の分からない技や呪文で、訳の分からない
敵を倒して終わり、なんて話がよく書かれてますが、これも憤懣やるかたない
です。
第二次世界大戦で逝ってしまった人々は、敵味方云々でなく、善悪をも超えた
ところで戦い、死んでいったのですから。

だからどうしたとは言いません。読んだ人にどうしろとも言いません。
信仰も宗教も関係ありません。
私が、8月15日には、ただ畏敬と感謝の念を込めて手を合わすでしょう
と言いたいだけなのです。

ひねくれものなんで、8月15日のちょっと前にこんな文章を書いてみました。
ね、つまんなかったでしょ。
次回からは、ふつーのブログに戻ります。

2 件のコメント:

  1. イコピコのひとりごと2010年8月14日 1:46

    ぐーたら先生。。。

    8月15日。終戦記念日。
    また、同時に、敗戦国日本が、
    新しい生き方を探し始めた日、ともいえるかもしれません。

    私も昭和35年生まれですから、
    あの戦争のことは親や親と同世代の方々から聞いた話、
    また歴史文書、他様々な情報媒体からの見聞でしか、ありません。

    が、時代をどれだけ遡ろうとも、
    その時代に暮らしていた先人、祖先たちは、
    今を暮らす私たちと、時代や環境の差はあっても、
    日々の生活における人間関係(両親・兄弟姉妹・親族・地域社会)は、何等変わりはないのです。

    歴史から何かを学ぶ時に、最も大切なことは、
    何歳ごろの自分と同世代の人々が、
    その時、どんな環境で、どんな思いで、
    生や死と向き合っていたか、
    また、何を守るために、
    何を犠牲にしたのか、
    ・・・深く自分と照らし合わせて考える必要がある・・・
    と思います。

    私たちの繁栄や幸せが、
    実は、あの戦争で失われた、
    数多くの尊い人々の命や、
    けっして贖うことのできない無残な不幸の上に
    譲り受けた賜物であること。

    私も、いつまでも忘れぬように、
    また畏敬と感謝の念をもって
    最敬礼し合掌して祈ろうと思います。

    今年もまた。

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  2. to イコピコのひとりごと さん

    そうですね。

    「今年もまた」

    「翌年も、翌々年も、その次の年も......」

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