問い合わせをいただいたのはメールでしたので、メールで返事させていただけたら
それで良かったんですが。
あえて、写真をブログに載せる意味があるのかとも思います。
と言うのは、多分写真では分ってくれないと思うからです。
先に書いた「森本院」の西の裏山、行ってみました。
「ヤバい」
寺領でこんな事を言っちゃいけないのは百も承知ですが・・・
広場になってる所に出ると「馬頭観音◯大墓」
飼ってた馬の墓じゃないかな、と思うんですが。
なぜか崖際に百度石、神社跡じゃなくても百度石はありますよ。
そしてここから下っていきますと。
うっ、何か封印してるよぉ・・・
それも岩肌を削った跡に。もちろんこの近辺は古墳の密集地域です。
正面右上に「不動明王」
上の写真には写ってないけど左側の崖沿いにも「不動明王」
「不動明王」二体で何かを封印してるの?
正面下に蛙の石像。水神と見ているのか、諏訪神社の「蛙狩神事」のように生け贄と
して見ているのか。また青蛙神なのか。
青蛙神ならば後ろ脚が一本ですが、そこまでは確かめられませんでした。
蛙は俎上に乗ってるような気がして仕方ないんですが・・・
写真はこれだけしか無いんだよぉ。
だって怖かったんだもの。真っ昼間でも空気が違うの。
説明になってないけどごめんね。
感じとしては、水に関係のある「何か」を封印している場所のような感じです。
「不動明王」背の迦楼羅焔で水性のモノに対抗しているとか。
あ、書き忘れてた。
衷心ながら「行かない方がいいと思いますよ」
無知というのは怖い。ぐーたらさんのご説明を伺わなかったら、別に不思議とも思わない光景です。無人の神社にのこのこ入り込んだりしてきましたが、これからは自重します。
返信削除やっぱり歴史にはいろんなものが封印され、埋もれているんですね。怖いものがわからない、見えないということこそ恐いな。無知の悲劇とならないように、行かない方がいいという所へは行きませんわ(^ω^;)(;^ω^)
to カルロス さん
返信削除いやいや「行くな」と言ってるんじゃないんですよ。
神仏に対する礼節と畏敬の念を持ってれば怖れることは無いと思います。
が、ボクもね結構ヤバ目の所へも行ってるつもりです。
昔から鈍感体質なんで大概の所はなーんにも感じないんです、が・・・
新緑の頃なんで森林浴がてらよろしいんじゃないですか。
でもボクを誘わないでくださいね(笑)
どうもです。その説はお世話になりました。メールで当地の件を依頼した者です。
返信削除私が地元の方に聞いたところ、今は跡になっている神社は道路を挟んだ南側の祠に移されたみたいです。(名前は忘れてしまいました。)
あまりにピリピリした雰囲気、謎の蛙が気になりぐーたらさんにご教授頂ければとメールを送らせて頂いた次第であります。
でもここはそっとしておいた方がいいですね。ありがとうございました。
ぐーたら先生!ヤバ過ぎ~。(笑)っていうか傑作!
返信削除ここは深い。興味ソソラレマス。
完全に封印してますね。
カエルを置かれた方のセンスに脱帽です。
いろいろ興味本位にゴソゴソする人を欺くカエルの置物。
こんな場所が深いんだと思います。
磐境のようなたたずまい。明らかにタダモノではなく、
黒四ダムのような石積に、訪問者は「クロヨン・・ダム・・か?」と思いきや「ケ~ロヨ~ン」、だもんね!(笑)
一本やられました!完敗です!
いやあー、本当に凄いものがありますねえ。
返信削除相当に鈍感者の小生でも胸がバクバクしますよ。
と言いながら、此処へ行ったら行ったで、写真撮りまくりかも。
しかし、本当に何なんでしょう?
古墳地域との事ですが、少し明らさまな雰囲気も感じますね。
敢えて”封印してますよ”って感じで、
イコピコさんではないですがカエルも少しカムフラージュ??
現場の空気吸ってないので、変な事言うとバチが当たりますけど。
カエルの石像について、
返信削除<諏訪神社の「蛙狩神事」のように生け贄として見ているのか>
とあります。「蛙狩神事」って? ネットで検索してみたら興味がでてきました。
◆「蛙狩神事」は諏訪大社の神事。
1月1日に、冬眠中のカエルを探し出し、生け贄として神前に供える。まだ諏訪神社という名前もなかった頃から続いている神事と思われる。諏訪大社は全国的にも珍しい狩猟の神である。
現在の諏訪大社は、 建御名方富命(たけみなかたとみのみこと)を祀っている。元々は「ミシャグジ」という土着のカミがいた。タケミナカタがミシャグジを倒し、諏訪の主神となった。
ただし、現在も諏訪大社で行われる神事のほとんどは、タケミナカタではなくミシャグジを祭神としてのものと考えられる。
◆「ミシャグジ」とは何か?
本来は、シャグジ、シャクジと呼ばれる。諏訪では、竜蛇神、山神、風水神などの神性が習合されてミシャグジと呼ばれており、一柱の神であるのかは定かでない。
土着神や土俗神といわれるが、上古以前縄文時代からの原始宗教が現代まで受け継がれた自然信仰の象徴とも言える。木石など大地への自然崇拝が根元となっていたと考えられ、日本における”石神”の代表格と言える。
ミシャグジの姿は、「蛇」神でもあり山神でもあると言われている。
石神(しゃくじ)、石神井(しゃくじい)、精進(しょうじ)、十三(じゅうそう)などの地名はシャグジに関連のある地名のようだ。
◆いやあ〜ん、めちゃめちゃ楽しいやん。封印されているのは、縄文のカミさま(大蛇=オロチ)だ。石井町というのは現在の地名ですが、古くから「石井」と呼ばれていたら、石神さまの地です。
怪しげな気配は、渡来系によって封印されカモフラージュされているのかもしれません。甦れ縄文!!(^ω^;)(;^ω^)
to きよっさん
返信削除こちらこそ、その節はお世話になりました。
なかなかの行動力に感服です。
ワタクシめは年のせいか腰が重くなって仕方ありません(笑)
それにしても面白い・・・いや、興味深い所があるもんですね。
今後ともよろしく。
で、あそこはそっとしときましょう(笑)
to 伊古彦ちゃん
返信削除この近辺は一時期徹底的に廻ったつもりだったんですが、まだまだ出てくる出てくる、いやぁ本当に深いですなぁ。
あ、あそこは行ってないや。
旧の童学寺トンネル。
行く気もないですけどね。
でも、あそこから峰伝いに気延山までいくコース、途中までになってるのでちゃんと踏破しなくちゃとは思ってます。
to 猫の兄弟 さん
返信削除いやね、本当に雰囲気怖かったんですよ。
写真には写ってないけど手前から溝みたいな通路になってて、逃げられないって感じなんです。
カエルは本当にカモフラージュかもしれませんね。
ネギをしょってくるやつを捉える「鴨フラージュ」なんちゃって。
つまんない?
to カルロス縄文 さん
返信削除うわっ、カルロスさんも名前が変わってる!
で、ご存知かもしれませんが石井町には多祁御奈刀弥神社という神社がございまして、事もあろうに長野の諏訪神社は宝亀10年(779年)当社より分祀されたという由緒がございます。
大分前に書きましたので、ひじょーに拙い記事ではございますが。
http://goutara.blogspot.com/2009/11/blog-post.html
をご参照くださいませ。
さらには、建御名方命が建御雷之男神と力比べをしたときに持っていた千引の石も残っております。
http://goutara.blogspot.com/2010/01/blog-post_31.html
ところで、だんだんイメージと違ってきてるんですが。
>いやあ〜ん、めちゃめちゃ楽しいやん
いや、大歓迎なんですけどね。
ぐーたらさん、おはようございます。
返信削除何か読みながらドキドキしましたよ。
行くなと言われたら行ってみたくなるのが人情ってもんで・・(笑)
っって・・・
決して面白半分で行くようなことは致しませんからね。
伊古彦さん、おはようございます。
例のM山、大変わかりやすいヒントをいただきましたので、
地理に疎い私でもわかりました。ありがとうございます。
このM山、1度だけ行ったことがありますが、
ぜんぜん気づきませんでした。
カルロスさんのおっしゃる通り無知って怖いですね。
再度、登場です。
返信削除ぐーたらさん、旧童学寺のトンネルですが、
今年の2月ごろ行ったときは通行止めになっていましたよ。
バリケードされてました。
ぐーたらさん、おはようございます。m(_ _)m
返信削除気述山探訪楽しみにしてます。私も何度か八倉比売神社から藤井寺方面へ探訪したことがありますが一本杉から西側はかなり雰囲気が…。
あとから地元の方に聞いたのですが旧童学寺トンネル上は焼場があったらしいです。。・゜・(ノД`)・゜・。
あと皆さんの考察はかなり鋭くていつも勉強になります。
また何か有りましたらリークさせて頂きます。
to サクラサク4869 さん
返信削除さあ、行ってください(笑)
まあ、桜の季節に森本院はいいかもしれませんよ。
農大の桜並木をくぐり抜けたら車で2、3分歩いても15分くらいでしょう。
いいとこですよ。いろいろ気にしなければ(うふ)
to サクラサク4869 さん
返信削除再度コメントです(笑)
ありがとうございます。
旧童学寺トンネル自体を潜る気はないんです。
あの近辺と峰伝いのコースがいいんですよ。
to きよっさん さん
返信削除こんばんは、夜になってしまいました(笑)
ですか、
>旧童学寺トンネル上は焼場があったらしいです
まあ、そんな事言ってたらあちこち、ねぇ。
あんまし書くのもあれだけど大原のあそこだとか・・・
いや、ヤバいとこ探しじゃないですよね(笑)
それにしても、おっしゃるようにコメントいただいてる方々は凄いですよ。
行ってる場所とかにしたって、半端じゃないもん。
多分ボクが一番いろいろ行ってないんじゃないですか(涙)
確かに。(笑)
返信削除まあでも、よくこれだけマニアックな人が・・・。
揃いも揃って。(笑)
類は友を呼ぶっていいますものね。
年代的にも、何か自由な発想や視点で観察し、検証できる世代の始まりなんでしょうね。
次世代に、様々な「糸口」を残さないと。
我々が。(って僕はアカデミックじゃないですけど)
官能派って感じかな。(爆)
to 伊古彦ちゃん縄文系インディー さん(長いよぉ)
返信削除ボク、マニアックじゃないもん (  ̄っ ̄)ムゥ
(どの口がって、ぜ〜ったい言うでしょ)
で、揃いも揃ったって?
まあ、ある程度の歳になって、いろんな事の仕組みが解ってきた年代ですかね。(ボクは解ってないけど(笑))
そのうち(近々)体も動かなくなるんで今のうちにがんばりませう。
よく来てくれる猫さんは体力も凄いですけど。
今のうちに、官能派を極めたいですぅ〜。
いやあー、私めなんぞ、皆様に比べたら、
返信削除「鋭い考察」も何も有ったもんではありません。
やたら無闇に色々と歩き回っているだけで
(家の者はこれを徘徊と呼ぶ)
脚力は多少有っても本物の体力はありません。
それ以上に、頭は無いわけで、
この年になると”官能”もねえ...(汗)
唯々、此処で色々と勉強させてもらっているだけです。
最近の展開が早くて・・・(笑)!!
返信削除仕事も忙しく、趣味もそれ以上に忙しくて(笑)、なかなかついていけておりません(ー_ー)!!
落ち着いたら、何も考えずに訪れてみたいと思います!!
(^◇^)♪
to 徘徊猫兄弟 さん(皆様どんどん名前が変わってる!)
返信削除でも、ホントにうらやましいです。
ワタクシめがリタイアしたら、多分家でヒッキーになってるでしょう。
もしくは、嫁さんに「濡れ落ち葉」とか言われて「グレ老人」になってるかと思います。
現在ですら見捨てられかけておりますので(笑・・・笑えない)
to すえドン さん
返信削除展開が早すぎて自分自身が一番着いていけてません。
牛に引かれて、◯◯◯参りってところでしょうか。
何度か書いたような気がしますが、石井の山沿い農業大学から童学寺、前山公園のあたりは素晴らしいです。
今の新緑(ちょっと過ぎたか)の季節、散策にこんないい場所はありません。
散策以外にもこんないい場所はありません( ̄ー ̄)ニヤリッ
続けてお邪魔して申し訳ありません。徳島に烏ケ森という地名が江戸時代にはあったと知り、それが王子神社の付近が比定地ということで、こちで検索してみたところ・・・。「出たー!」と心の中で叫んでしまいました。
返信削除久米義広の嫡男の子孫と伝える宇野家が徳島藩に提出した由緒書きには、「名東郡上任村烏ケ森の下屋敷に在居」「 烏野→宇野に改めた」「蜂須賀家政の入国のときには出迎え一ノ宮城まで街道案内」したこと等が書かれているので、これらも全部気になっていたのですが、もっと気になったのが家紋でした。何故なら、何を現しているのか分からないのです。『阿波国 家紋大図鑑(桑井薫 著)』でも、分類が未解決となっていました。
その家紋にソックリだと思ったのが森本院の鐘楼門だったのです。他の方のブログで確認できたのですが、鶏羅殿と扁額に書いてますよね。ヒマラヤ山脈には 鶏羅山(カイラス山)があるそうですが・・・あれ? カラス? 烏? 烏野→宇野さん。 やはり、宇野家に大切な場所のような気がします。
ぐーたらさんが他のページに[国府町の気延山付近を「気延の庄」、気延山を挟んだ北を「久米の庄」と呼んだそうです。]と書かれていますが、《気延山管理者東王山森本院》だそうですね。
ぐーたらさんのおかげで、行ってみたい場所が見付かりました♪ 体力が無いので無理ですが。
自己レスです。「烏ケ森」=「烏の森」とするなら、ぐーたらさんのブログに書かれていますね。「阿波 烏ケ森」等で何度も検索して、最近やっと他のところで見つけたのに。嬉しいやら感心するやら、脱力するやら、です。
削除お調べの件が何かは存じ上げませんが(笑)知らないうちに、お役に立てていたのなら、幸いです。
削除安徳帝生存伝説についての緻密な考証をされている中、度々お邪魔して申し訳ございません。
削除私のコメントは、2011年5月16日月曜日の『東王山森本院 書きますよ』の記事に書くべきでした。返す返す失礼いたしましたm(__)m
上助任町ーWikipediaを落ち着いて読むと、明治40年に吉野川改修工事が行われ、鳥ノ森を含む21小字は改修によって河川敷となった旨が書かれていますね。
「天石門別豊玉龍王宮」と上助任の「鳥ノ森」が、「豊玉姫様」と名西郡石井町高川原の「烏の森」のような関係があるのかどうだか分かりませんが、あった方が、私が調べていることにとっても面白いような気がします。
ところで、安徳帝生存伝説ですが、高知県幡多郡の、私の両親が生まれた村にもあります。村史に書いてあるのですが、私の親戚は皆知らないようです。
やはり、残っている史料がしっかりしている方が真実味がありますね。