2011年5月27日金曜日

段の原って何ですか

ご無沙汰しております最近話題の「嵐の二宮和也」でございます。
佐々木希ちゃんとは良いおつきあいをさせてもらってます。
(すんませ〜ん、モノを投げないでくださ〜い)

前回あたりの記事は、関係者以外は何の事やら分らなかったのではないですかね。
極力丁寧に書いたつもりではありますが。
ところで、前の記事なんかは普通じゃ行かないような所でしたが、今回出してみたいのは
普通に行ってる所といいますか、通り過ぎてる所に実はってな感じです。
国府町に限らず県内には何箇所か「段の原」があります。
鴨島町にもありますよね。
じゃあ、「段の原」って何?
国府町内にも何箇所か「段の原」があります。
地図には載ってません。
国府町早渕にあるんですが、地番の変更かなにかで「段の原」の名前が無くなってます。
下の地図を見てくださいませませ。


より大きな地図で 段の原 を表示

あ、今回は先に書いておきますが、書いてる場所が実際と微妙に違ってたらすいません。
先に謝っときます。
だって地形や堤防の位置とか変わってるはずなので、はっきりしないんだもの。

二箇所マークをつけてますが南の方が最近まで「段の原」だった所です。
この頃は国府町早渕◯◯町とか言ってるんでしょうね。
一応こんな所(のはず)になるんですが。

国府町資料に
「段原国府町早渕にあり奈良朝諸国に軍團あり兵士を収容して之を調練せり或は之を
略して單に團といふ其所在地は大抵國府付近にあり當國の軍團は名東軍團と稱せり
後世其所在地が團の原といふことを忘れて普通の段の原と書けるならん・・・以下略」
と、ございます。
讃岐の「壇ノ浦」も同様であるとのことです。

ま、それはいいんです。
もう一箇所、北側のマーク、ここが分らない。
ここも早渕です。
鮎喰川の堤防道路すぐ下、普通じゃ見えません。堤防上で車を止める事すらできません。
多分、一瞬で通り過ぎちゃうでしょう。
大きな木の下に小さな祠があるでしょ。
重い体を引きずって近づきますと
さて、何でしょうか?
同じく国府町資料では

「當村南東の堤の外川原に首塚反(だん)の原抔云字有り古戦塲と云はかりにて委しき
傅なし堂塚といへど御検地帳の字には見へず」

とありますが、ここが「そう」であるとの確証はありません(あっても書かないよ)
下からも見上げてみませう。
一つ上の写真でも、住宅地に隣接してるのに家の一件も建ってませんしね。
あまり詮索は良くないかなとも思いますので、この辺にしておきますが。

あと資料には何箇所か「段の原」があるように書かれておりますが、道路が通り
家が建ち、いよいよ旧跡が何やら分らなくなってきております。
それがいいとか悪いとかではないんですが、ちょっと淋しいのも事実でございまする。
そして、こんな所は「そこ」に有るのに誰の目にも触れないという、ほとんど異界です。

あなたの近くにもそれはひっそりと佇んでいるかも。(きぃゃぁぁぁぁぁぁ〜)

なんちって。
ちょっと物足りないかもしれませんが、本日はこの辺りで。
久しぶりに資料を入力したら数行で疲れちゃいました。
修行が足りません、古文書持ってスクワット1000回ですかね(笑)

10 件のコメント:

  1. キアヌ・イコピコ・イボンヌ・リーブス2011年5月28日 7:46

    おはようございます。(ぺこり)
    キアヌ・イコピコ・リーブスです。みんなは、キアヌって呼んでるけど、イコピコでいいです。(な・何を投げつけようと構えてるのですか?笑)
    さて、展開が俄然おもしろくなってきましたね?(笑)
    ふとした疑問と、それに因む文書の内容、さらにそこに潜む封印された真実への探求こそが、歴史家の真骨頂ですものね。いつもながら、ぐーたら先生の歴史への強い思いに胸ときめかせている変人キアヌです。(まだ云うか)

    私としては、「段の原」とは全国にその地名が残っていることから、「何か共通の事象が行われた・・場所」であることは理解できますね。
    さらに、いつもながら「段(だん)」の響きも合わせて考察すると、①回りの地形より少し高い場所・・であり、②土壇場、即ち盛り土をして斬首刑を行なっていた場所・・まさに土壇場であって、③警備・警吏・刑執行を行っていた「弾左衛門」身分の「弾」も含め、「全国の段の原は、刑場跡である」といえるのではないか・・と考えます。

    ・・断言するのかって?いや、別段、そんなに強い思い入れはありませんので・・。(笑)許してぇ~。

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  2. to キアヌ・イコピコ・イボンヌ・リーブス さん(せめて2、3回は同じ名前を使いましょうよ)
    せっかくタマゴとキャベツの芯とタマネギの皮を投げつけようと構えてたのに(笑)
    確かに、段の原の「段」は土壇場の「壇」であり軍団の「團(団)」であり、断ずる「断」または資料にある「反(だん)」でありましょう。

    で、今回の記事はツッコミが少ないでしょ。
    結構気を使ってるんですよ(ウソって?)
    市内の◯◯町に「シレイ」って地名があって(漢字じゃ書かないよ)今は変わってる話もあるんですけど、なかなか出せませんねぇ。

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  3. ぴこちゃん。2011年5月28日 20:26

    ふむ。あの辺りは実はいろいろあるらしいですね。
    運〇〇許の合宿者で、感受性の強いひとは、やっぱり感じるらしいですよ。
    まあ、狭いところなので。
    那賀郡の某町。結構山の中です。県道沿いの、ちょっと軽い峠道っぽい場所の山の斜面に板状の石碑があります。
    今度向こうへ向いて行かれた時、まず石碑を見つけてみてください。
    文字を読むと・・・。夏なら一気に涼めますよ。
    「幽霊~の碑」と書かれてますから。(笑)
    是非涼みがてら、どうぞ。

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  4. to ぴこちゃん。 さん(あ〜また変わってるぅ)
    やっぱ、知ってますなあ。
    世間は狭うございます(笑)
    さすがに那賀郡のほうまでは存じ上げませんので。
    今度、機会があれば確かめてみます。
    でも、そこまでして涼みたくないかも(笑)

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  5. きよっさん2011年5月28日 23:08

    ぐーたらさん、こんばんわ。

    今回の国府町早渕"段の原"沿いの道を通るのですが、真っ暗で不気味ですよね…。まさか段の原が処刑場と関連性があるとは思ってはみませんでした。((((;゚Д゚)))))))

    コメントにある"シレイ"は有名です。その場所から近い海岸も良くない噂はよく聞きます。古の因縁が土地に残りつつ、近代化や風化により忘れさられるのは仕方ない事なのかもしれませんが怖いですね。
    私は最近、宮谷古墳後ろの竹林でタケノコ掘りをしている時に見つけた祠を見て異界だなぁ〜と思いました。

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  6. とうとう梅雨入りしました。
    今回のレポートも文面の背後が相当に深そうですね。

    キアヌ・イコピコさんのご説明によりますと、「だん」というのは盛り上がった場所であり、刑場でもあったんですか。「住宅地に隣接してるのに家の一件も建ってません」というのはそーゆーことなのか。

    徳島オカルト・ゾーン
    <市内の◯◯町に「シレイ」/運〇〇許の合宿…>
    <那賀郡の某町。結構山の中…石碑>

    どこやろ? こわいんで行きたくないけど、誰かのレポート希望。

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  7. to きよっさん さん
    国府町資料にもありますように「段の原」は軍団を収容、あるいは古戦場であったようですので、当然そこで人の命のやりとりがあったには想像に難くありません。
    その他に国府町内に数カ所残る「段の原」も全て戦場がらみですので。

    宮谷古墳後ろの祠って「布袋さん」が祀られてたとこですか?
    そこならお世話させてもらってますよ。

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  8. to カルロス さん
    おはようございます、になってしまいました。
    ですのでブログ等で書くのは、ひじょ〜に微妙なんです。
    全部の段の原が刑場であったわけではないですよ。
    阿波国の国府に付随する単なる軍団駐屯地であった段の原もありますので。

    ◯◯町の「シレイ」はもう忘れましょうよ(笑)

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  9. きよっさん2011年5月29日 9:28

    ぐーたらさん、おはようございます。m(_ _)m

    宮谷古墳後ろの祠についてですが、宮谷古墳の南側の竹林の中に埋れております。たぶんぐーたらさんがお世話されているのは休憩所(喫煙所)横、椿が植えてある周辺の祠ではないでしょうか?間違えてましたらすいません。m(_ _)m

    浅学の私が言うのもおこがましいのですがかなり古いものと思いました。形は長方形、サイズは80cm〜100cm、五枚の岩で構成された立方体の中に二つの祠が祀られ?ております。祠は双方共に無銘でありました。
    見つけた時は土に埋れており、何か物悲しくなったのでできる限りは綺麗に掃除して日の目を見るようにさせて貰ってます。(場所が場所だけに、それと今日の豪雨でまた…)
    場所は宮谷古墳から八倉比売神社参道に抜ける小道(可哀想な埴輪ちゃんから塚?に出る小道です。)横の竹やぶの中です。これもぐーたらさんにお伝えしないといけないと思っていたひとつです。
    また機会がありましたら確認してみて下さい。異界ですよ。

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  10. to きよっさん さん
    了解です。
    多分小さな古墳の所ですよね。
    土に埋もれてましたか。お祭りが近づくとあの近辺は一斉に掃除されるんですがどうも忘れられていたようですね。
    掃除までしていただいてありがとうございます。
    大感謝です。
    確認させてもらいます。
    埴輪ちゃんもかわいそうなんですが、予算の関係もあるんでしょう。
    なかなか復旧されないようです。
    何年か前に公園奥、五角形の井戸の近辺が大きく崩れてだいぶかかったようですので。
    ワタクシが言ってたのは宮谷古墳南側道路から少し登った所(文字でも地図でも書きにくい所なんです)にある石積みの祠(?)です。
    地元の人もあんまり知りません(笑)
    でもちゃんとお祀りされてるんですよ。

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