2017年1月2日月曜日

まとめ:大宜都比売命の裔(14)

謹賀新年、賀正、新年のお慶びを申し上げます、迎春
と、年賀状ソフトから新年のご挨拶を列挙してみましたので、ひじょーにめでたいと思われます。(笑)
本年もよろしくお願いします。

まとめ:大宜都比売命の裔(1)
まとめ:大宜都比売命の裔(2)
まとめ:大宜都比売命の裔(3)
まとめ:大宜都比売命の裔(4)
まとめ:大宜都比売命の裔(5)
まとめ:大宜都比売命の裔(6)
まとめ:大宜都比売命の裔(7)
まとめ:大宜都比売命の裔(8)
まとめ:大宜都比売命の裔(9)
まとめ:大宜都比売命の裔(10)
まとめ:大宜都比売命の裔(11)
まとめ:大宜都比売命の裔(12)
まとめ:大宜都比売命の裔(13)

前回の
また太田道灌が江戸城をきづきし時、安房の洲崎の神を移し祭りて神田明神とたたえたりと、永亨記に見えたり
の部分の追加資料で「永亨記」該当箇所を群書類従より。

続いては「三嶋鴨神社」の御祭神について
祭神
現在の祭神は以下の2柱。
大山祇神 (おおやまづみのかみ)
『伊予国風土記』逸文によれば、伊予国乎知郡(越智郡)御島に坐す大山積神(大山祇命に同じ)は、またの名を「和多志の大神」といい、仁徳天皇の御世に百済より渡来して津の国の御島に鎮座していたという。
「津の国の御島」とは摂津国三島(現 高槻市三島江)を指すとされ、この記述によれば大山祇神社(愛媛県今治市)の祭神は元々は当地の神とされる。なお、この「大山積神」は記紀の記す大山祇神と別の神格であるという指摘もある

事代主神 (ことしろぬしのかみ)
事代主神は鴨氏の氏神とされ、当地に鴨氏の進出が背景にあるとされる。
『日本書紀』神代巻には、事代主神が八尋熊鰐となって三島溝橛耳の娘・三島溝樴姫(玉櫛媛)のもとに通い、生まれた媛蹈鞴五十鈴媛命が神武天皇の后になったと記す。三島溝橛耳一族の氏神として、当社近くには溝咋神社が祀られている。
これはwikipediaより

御由緒
・創建: 仁徳天皇は河内の茨田まんだの堤をおつくりになるとともに、 淀川鎮守の神として、百済くだらよりここ摂津の「御島」に、大山祇神おおやまづみのかみをお迎えになりました。
「御島」とは淀川の「みしまえ(三島江)」にある川中島のことで、このあたりは淀川でもっ とも神妙幽玄な景観をもっていました。
ここは古代の「玉川湖沼」(仮称)が淀川にながれこむ入江「玉江」(三島江の別称)にあ って、島は淀川本流に、玉川水路が出させた土砂が堆積したもので、玉川の土砂をもって、できたゆえに「御島」とあがめられたのです。
・当社はもとは、「御島(三島)の社」とあがめられ、淀川の鎮守であるとともに、農耕を守り王都難波を守護する神として、祈りつづけられてまいりました。
・豊臣秀吉が淀川右岸堤防を築いたとき、それまで川中島にあった当社を三島江村の中にお遷ししました。
 三嶋鴨神社 公式ホームページより

これを大正14年の太田亮著「摂津」より見ますと

予想通りと言いますか、御祭神は「大山積神」と「鴨御祖大神(かものみおやのおおかみ)」となっております。
つまり伊豆三嶋大神が事代主であるならば三嶋鴨神社の「鴨御祖大神」は事代主であるのです。(この辺り、ひじょーにわかりにくいと思うので、ごめんなさい)
で、さらに思い出していただきたいのが「阿遅鉏高日子根神」が鴨族の祖とされていることと
で出させていただいた、「岩肩彦」あるいは「笑子岩(えびすいわ)」の伝承があります。




 神領村高根山に人面嶽といふ処あり
 数十丈の大巖を人面のかたちにきざみたり 目鼻口眉其あさやかに上作なるる見る内に語を問ふのと思ふどおりにて春のうららこのなる日にてみると笑ふめんにみえ天上自然のわざと思へとも必神作又は上代の作なるへし 是等の作者にて岩肩彦と名を伝えし


 これは粟飯原家の守護神であり、大粟家文書によれば、これは「味鉏高日子根(アヂスキタカヒコネ)命」であるというのです。神領村高根山に人面嶽といふ処あり
でありますし

東みよし町に鎮座まします「鴨神社」については



「阿波志」巻之六に曰く



「事代主神孫鴨王是成」
と記載されているほどの神社なのです。
なお、此の神社裏に控える丹田古墳については大師匠の
「丹田古墳は阿遅鋤高日子根神の神陵」
など参照ください。
ただし前後の記事も読んでないことには、なかなか歯が立ちませんぜ(笑)

字が多いよぉ

さらに事代主については「日本書紀」に「阿閇臣事代」についての記載があり、なんと「任那」まで出仕しているではありませんか。(下図参照)
ちなみに「阿閇氏」については「阿閇」、「阿閉」と「阿倍」等複数の記載方法があり、いわゆる互いの勢力を利用した擬制氏族であり(擬制氏族はほかにも血縁関係のない所属の部民のなかから優秀な人物が氏人に昇格し氏族に加えられることもあったとされています)単純に一氏族のみならず複数の氏族である可能性が考えられます。
此の場合は「阿閇臣事代」が任を帯びて「任那」まで赴いており、「阿閇氏」が重要な地位である氏族だということが認められます。

そして「阿府誌」に曰く


阿部氏
名西上浦町浦方ト云家有当家元祖成務
天皇朝高志國造阿閇臣祖屋主思命三世孫市
命定賜國造高志此地ノ郷名也当象其今徹
リ式内神社ノ部ニ詳ナリ但シ家始リ二千年
ニ及フ阿閇ハ阿部也今ハ阿部阿倍等同姓也

と「阿閇氏」が名西に一氏を構えていたことも確認できるのです。
「鴨王」の地と「味鉏高日子根命」の人面石、事代を輩出する「阿閇氏」の痕跡、さらに付け加えるならば「粟嶋史」より「粟島(善入寺島)の伝承として下図、記載されております。
解釈はいろいろできると思いますが「事代主命を道ずれにして阿波に来た」のではなくて「阿波に帰ってきた」のではないかと思う、今日この頃なのです(笑)
そしてこの時、「忌部の祖」と「大宜都比売命の一族」が手を組んだのではないでしょうか。
続く(けど次が最終回です)

あ、念のため再度書いておきますが
鴨族の祖である阿遅鉏高日子根神が事代主神なのですよ(ワタクシ的には)。
それと大国主命も何度も書いておりますように尊称であり階位でありますので当然一人ではございません。
分かっているだけでも
第七代 八島士奴美神(やしまじぬみのかみ)
第八代 味鉏高日子根命(あじすきたかひこね)
第九代 鳥鳴海神(とりなるみのかみ)
となりますが、本題ではありませんので割愛いたします。

年末までに出そうと思ってたんですが、こんなになってました(笑)