2024年11月2日土曜日

考察:阿波三国説(下)

考察:阿波三国説(上)
考察:阿波三国説(中)

えと、最終回は妄想全開なのでご注意ください(笑)。


で、みまは独自の古墳文化圏とともに「段ノ塚穴型古墳」の集中する地域に「郡衙(ぐんが)」を構え
(郡衙)律令制の行政単位である郡の行政を行う役所。 郡は「こおり」とも読み、古くは「評」と表記され、現代の県に相当する国の下にいくつかの郡が置かれ、さらに郡の下にはいくつかの里(郷)が置かれています。
旧道沿いには「駅」を設けていたわけです。
古代、律令制で中央政府と地方との連絡・通信のために設けられた交通制度。諸道の30里(約16キロ)ごとに一駅が置かれ、官吏や使者に馬・食糧を提供した。

そしてワタクシめが、この美馬国(?)で最重要と「現在」考えておりますのが、ここでございますです。

天都賀佐比古神社(あまつかさひこじんじゃ)

式内社 阿波國美馬郡 天都賀佐毘古神社
旧村社
御祭神 級長津彦命 級長津姫命

当社の創建は不詳。
轟の地にあるためか、轟大明神、轟宮とも呼ばれる神社。
もとは、当地の西方200mほどの高畑にあったという。
近くには「段の塚穴」と呼ばれる古墳や
白鳳期の建立という立光廃寺の遺跡などがあり、
古代から、美馬郡の中心として開けていた場所。
祭神は、風神である級長津彦命と級長津姫命。
轟という鎮座地に相応しい神だといえるが、
一説には、天都賀佐比古の「賀佐比古」が、
「風彦」の意味であるとする後世の付会であるといい、
建貝児王命を祭神とする資料もある。
風の神なので、風神としての神威を伝える伝承も残っている。
一つは、この社の前を乗馬のまま横切ると吹き飛ばされるといい、
また、吉野川を西へ遡る船は、帆をかけたまま通ると転覆するとも。
そのため、境内・社殿は南の吉野川を向いているが、
御神体は、北向きに安置されているという。
玄松子の記憶
由緒 当社は西暦6世紀以前に創建されたものと思われ、古墳時代後期 美馬郡院のあった大村郷(郡里)一帯の住民及び郡領が崇敬していた神を祭り 風災を鎮め五穀豊穣を祈った由緒ある神社でその神威顕著な所から延喜時代式内社に列せられその後郡里の総氏神として盛大な祭が行われていた古社である

あ〜、美馬にはも一つ西荒川に天都賀佐比古神社がございまして

まあ、こんなトコになるんですが、一旦スルーしておきます。
ちなみに御祭神は「天太玉命」でございます。

で、天都賀佐比古神社について「郡里町史」では

「この社はもと現在地の西、約二丁の字高畠にあり・・・」
とありますように現在地より西に約200メートルの位置にありました。
地図で見れば、現在は「高畑」と記載される「この辺り」になりまして。
なんと「段の塚穴」こと「太鼓塚古墳」をほぼ見上げる位置にあったことがわかります。

さらに大正四年発行の「美馬郡郷土誌」によれば「轟大明神」として記載され。


「祠前の田間に墳墓の跡あり、天(あめ)ノ塚又は天乃加佐都加(あめのかさつか)と言ひ、級津彦命を祀りし處なりと、又西方約一町ばかりの畑中にも墳墓の跡あり、地(つち)ノ塚と呼び級津姫命を祀りし所なりと・・・」
要は「級津彦命」と「級津姫命」の塚(墳墓)があったと書いてあるのですね。

社伝によればこの社の創起は6世紀以前。この傳を信ずるなら「太鼓塚古墳」以前となります。ならば「太鼓塚古墳」の主はこの社の系譜に連なるものと考えるのが順当でしょう。

ならばこの主は、級長津彦命 級長津姫命に繋がる系統であるか、級長津彦命 級長津姫命を崇敬する一族ということになりましょう。

シナツヒコ
シナツヒコは、日本神話に登場する神である。 『古事記』では志那都比古神(しなつひこのかみ)、『日本書紀』では級長津彦命(しなつひこのみこと)と表記され、神社の祭神としては志那都彦神などとも書かれる。
概要
『古事記』では、神産みにおいてイザナギとイザナミの間に生まれた神であり、風の神であるとしている。『日本書紀』では神産みの第六の一書で、イザナミが朝霧を吹き払った息から級長戸辺命(しなとべのみこと)またの名を級長津彦命という神が生まれ、これは風の神であると記述している。シナトベは、神社の祭神としては志那戸辨命、志那都比売神などとも書かれる。 wikipedia

追加
 『日本書紀』一書六では、伊弉諾尊の吹き払った息が風神、級長戸辺(しなとべ)命となり、その別名を級長津彦(しなつひこ)命としている。「級長津彦」の方はヒコとあるので、『古事記』と同じく男神であるが、「級長戸辺」のベは女性を意味する語と解されるので、女神と考えられる。
なので
賀茂真淵の説として、本来は男女一対の神であり、それが同一の神とされるようになったとしている。(と言う説もある)

イザナギとイザナミの間に生まれた神をおおざっぱな一覧としておきますと

大事忍男神(おほことおしをのかみ)
石土毘古神(いはつちびこのかみ)
石巣比売神(いはすひめのかみ)
大戸日別神(おほとひわけのかみ)
天之吹男神(あめのふきおのかみ)
大屋毘古神(おほやびこのかみ)
風木津別之忍男神(かざもつわけのおしをのかみ)
大綿津見神(おほわたつみのかみ)
速秋津比古神(はやあきつひこのかみ)
速秋津比売神(はやあきつひめのかみ)
志那都比古神(しなつひこのかみ)
久久能智神(くくのちのかみ)
大山津見神(おほやまつみのかみ)
鹿屋野比売神(かやのひめのかみ)

鳥之石楠船神(とりのいはくすぶねのかみ)
大宜都比売神(おほげつひめのかみ)
火之夜藝速男神(ひのやぎはやをのかみ)

金山毘古神(かなやまびこのかみ、イザナミの吐瀉物から生まれる)
金山毘売神(かなやまびめのかみ、イザナミの吐瀉物から生まれる)
波邇夜須毘古神(はにやすびこのかみ、イザナミの大便から生まれる)
波邇夜須毘売神(はにやすびめのかみ、イザナミの大便から生まれる)
彌都波能売神(みつはのめのかみ、イザナミの尿から生まれる)
和久産巣日神(わくむすひのかみ、イザナミの尿から生まれる)
などがいわゆる兄弟姉妹神です。

阿波でよく見かける(笑)神様で言えば
 久久能智神(くくのちのかみ)
 大山津見神(おほやまつみのかみ)
 鹿屋野比売神(かやのひめのかみ)
 大宜都比売神(おほげつひめのかみ)
が挙げられますね。
他の神様が阿波で祀られていないわけじゃないんですよ。(マニア対策(笑))

無論、イザナミ命が近所に祀られていることは言うまでもありませんが、今回は省略させていただきます。

さて、もう一度「徳島県博物館紀要」よりですが



こうやってみる限り「美馬国(?)」の存在の信憑性は高いような気がします。

この一族についても考察(妄想)してみれば。
・「段の塚穴古墳」から「郡里廃寺跡」を作った氏族は「佐伯氏」であるとの説もある。
・「忌部山古墳」様式と「ほぼ」似ている、しかし全国に例はない。
・強大であるにもかかわらず「忌部山古墳」一族、つまり「天日鷲命」一族と争った形跡もない。
・西荒川の天都賀佐比古神社、御祭神は「天太玉命」。父親は「高御産巣日神(たかみむすびのかみ)」

「高御産巣日神」の子、「天太玉命」の兄弟で、「佐伯氏」の祖。この条件に合うのは

「天忍日命」

これを以って阿波三国説の考察終了とさせていただきます。

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